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音楽展望
吉田ヒレカツ

2004828日  四季劇場・秋

2004/8/29記)

 アンドリュー・ロイド・ウェッバーの「ジーザス・クライスト・スーパースター」ほど、私にとって変わらぬ衝撃を与え続けてくれているミュージカルもない。私が最初にこの作品に接したのは、いったいいつのことだったかしらん。おそらく、舞台ではなく、ノーマン・ジュイソンの作った極めてセンセーショナルな映画が、私にとっての原体験であったに違いない。広大な砂漠を舞台に、映画のロケが行われるという設定、白人のジーザスに対して黒人のユダを配するというキャスティング、最後のシーンでロケバスが出発しても、ジーザス役のテッド・ニーリーはそれには乗っては居ないという幕切れが、非常に印象的なものだった。
 映画の公開に相前後して、劇団四季がこのミュージカルを取り上げたのは、1973年のことだったろうか。あいにく、私はこの初演の場には居合わせてはいなかったのだが、その舞台が非常に話題を呼んだと云うことは、当時のメディアから伝わってきたものだ。幾分興奮気味のその論調は、演出の浅利慶太がこの作品に極めて大胆な発想を持ち込んでいたことを伝えていた。なんと、原作の新約聖書の世界を、江戸時代の日本に置き換えてるというのである。出演者には全員歌舞伎のような隈取りのメークが施され、ユダヤ教の大司教は文字通り「坊主」のいでたちであったという。なかでも飛び抜けて話題をさらっていたのが、当時市村正親が演じていたヘロデ王、花魁姿のコーラスを引き連れた彼の体は、倶梨伽羅紋紋の肉襦袢で覆われていたというのだから。
 私が劇団四季の公演に接することが出来たのは、3年後の再演の時であった。この演出は、本来の聖書の形に近いオーソドックスなもの、確か、平野忠彦というオペラ歌手が、客演で参加しており、その役だけが異様に浮き出ていた印象が残っている。

 後に、この2通りの演出は、それぞれ「ジャポネスク・バージョン」と「エルサレム・バージョン」と呼ばれるようになり、今日に至るまでこの劇団の主要な演目として、継続的に上演されてきたと聞く。なんでも、ついこの間は通算で1000回目の公演が行われたとか、もはや確固たる人気を獲得した証であろうか。
 ご存じのように、私は最近「オペラ座の怪人」や「キャッツ」といった劇団四季の公演を立て続けに味わう機会があった。それらに接して感じたのは、この劇団のあらゆる面における水準の高さである。実際の話、30年前にオペラ歌手が出演した時にはそれだけで違和感があったものが、今ではオペラ歌手になるべく修行を積んだ音楽大学の卒業生が、そのままこの劇団に入ってくるという驚くべき事態になっているというのである。その成果を実感したのは「オペラ座の怪人」であった。ファントムをダブルキャストで演じた高井治と村俊英、ラウル役の柳瀬大輔など、れっきとした音楽大学を卒業(村などは二期会のメンバーでもあった)した団員の出演によって、このミュージカルはほとんどオペラといっても差し支えないほどの高い水準を見せつけていたものだった。
 今回、久しぶりに東京で「ジーザス・クライスト・スーパースター」の、初演の形である「ジャポネスク・バージョン」が上演されると聞き、その配役を調べてみたら、なんと、その3人が出演すると云うではないか。あれほどの評判の演出を、まさに理想的な配役で味わうことの出来る機会を逃す手はない。もはや仙台に落ち着いて長いこと経ち、わざわざ東京まで出かけるのはいささか億劫ではあるが、それだけの価値はあるのではないかと言い聞かせ、上京することにした。

 初めて訪れた「四季劇場」は、拍子抜けするほど簡素なものだった。そこへ行く前に、「ゆりかもめ」とか言う無人の交通システムに乗っていたのだが、そこから見下ろせるその建物は、世のコンサートホールが思い思いに壮観な意匠を競い合っているのとは裏腹に、何の工夫もないまるで倉庫のようなただの箱のように見えたものだ。実際に建物に近づいてみても、周りに小綺麗なレストランが建ち並ぶわけでもなく、コンビニエンス・ストアさえないという殺風景なそのあたりの風景に妙に同化した、即物的な建物がそびえているという感じがしたものである。
 中へ入ってみると、やはり簡素なその内装にはいささかの失望は禁じ得なかった。かつてこの劇団の本拠地であった日比谷の日生劇場に比べたら、その、いかにも機能本位の造りにはがっかりさせられる。作られて何年経つのかは分からないが、床の絨毯は擦り切れているし、2階席あたりはその床自体がなにやら不安定な感じさえしているではないか。まあしかし、本場ブロードウェイあたりでは、多少薄汚い劇場あたりから大ヒット作が生まれているとも聞く。重要なのは舞台を動かす機構と、その舞台の見やすさ、それさえしっかりしていれば、多少の不具合も気にはならなくなってくるのであろう。事実、私が座った2階席の最前列などは、今まで経験したことがないほど舞台が近く感じられたのには驚いたものだ。しかも、舞台そのものがプロセニアムからはかなり前に張り出していたから、役者たちは手を伸ばせば届きそうなところまで近づいてくる。これはなかなかの設計だと感じ入った。

 その舞台だが、真っ白な大きな正方形の板がかなり前に張り出して設置されている後には、なにやら車の付いたやはり白い板が何枚か並べてある。両脇に大きな木が立っている他は、何の舞台装置もない、見事なまでに簡潔な、まるでヴィーラント・ワーグナーのような空間が、そこには広がっているだけである。場内が暗くなり、序曲が始まると、舞台の奥からは全身白ずくめ、顔も白い頭巾で覆った一団が登場、摺り足でその車の付いた板に近づいて行ったかと思うと、それを前方の大きな板にぴったり付着させて、後方を上に持ち上げてしまった。その時点で、この板は大八車であるということが分かるのだが、全ての大八車を同じように並べた結果、そこにはまるで岩山のような情景が広がってしまったのだ。その間の「白子」たちの全く無駄のない動きといったら、見事という他はない。そんな具合に、縦横無尽に操られた大八車は、さらに見事な照明の助けを借りて、次々とその場の情景を変えていくことになるのだ。
 聞くところによれば、このアイディアは、初演が舞台機構が完備されていない中野サンプラザというところで行われた時の苦肉の策だったという。しかし、そのような不自由さを逆手にとって見事な演出を作り上げてしまった初演当時の浅利の才能こそ、称賛に値するものであろう。

 序曲が流れ始めてすぐ、今まで聴き慣れた音楽とはなにか異なった響きであることに気付く。テーマの陰で聞こえるのはなにやら尺八のムラ息のようではないか。打楽器も何か太鼓や鼓のような、いささか趣の変わった音が聞こえてくる。どうやらこの演出では、舞台上の日本的な外観に合わせて、和楽器を積極的に使用した編曲が施されているようである。音だけでは多少の違和感もあったその編曲、しかし、白塗りに隈取りを施し、和服に身を包んだ出演者が登場するに至って、何の不自然さも感じられなくなってしまったのは我ながら不思議なことであった。そして、響きこそ日本的なものが混じってはいるが、音楽そのものは、最近のブロードウェイなどで用いられているものなどよりははるかに元の形に近いものであったから、却って慣れ親しんでいると思われたものである。
 訳詞についても一言述べさせてもらおう。ここで用いられているのは岩谷時子による訳詞であるが、私のように永年英語の歌詞に慣れ親しんだものにとっても、その、日本語の抑揚に逆らわない自然な歌詞には全く違和感を感じることはなかった。確かな言葉の使い手が慎重に言葉を選びさえすれば、充分に鑑賞に足りる訳詞も生まれうると云うことであろう。

 最初に歌われるのが、ユダによるソロであるが、この日ユダを演じたのは吉原光夫という、全く聞いたことのない人であった。実は、今回の東京でのロングラン公演、最初は別の人がこの役を歌っていて、たいそう評判がよかったものだから、その人が別の新作ミュージカルに出演するためにこの吉原という人に変わってしまったことを知って、かなり不安になったものだ。しかし、この最初のソロを聴いて、それは全くの杞憂であることが分かった。表現力のある張りのある声、さらにその立派な体躯はまさにユダとして理想的な資質であろう。これだけの才能がきちんとダブルキャストとして控えているのだから、この劇団の底知れぬ人材には驚嘆させられる。
 マリアの役は金志賢、この韓国出身の人は、「キャッツ」のグリザベラで見事な歌を披露してくれていたので、大いに期待していたものだ。事実、歌を歌うことの技術的な点では、全く非の打ち所のないものを持っていることは明白に伝わってきたものの、その技術に頼りすぎるがゆえに、やや平板な表現に終始していたのでは、と感じられた場面もなくはなかった。最も有名なナンバー「私はイエスが分からない」でも、後半の盛り上がりこそ圧倒的なものがあるが、前半ではやや流れすぎて物足りなかったという印象は残る。
 そして、最初に挙げたイエス役の柳瀬、カヤパ役の高井、ピラト役の村の3人は、まさに期待通りの素晴らしいベル・カントの声で、完璧にそれぞれの役を演じきっていた。特に柳瀬は、鞭打たれ十字架に磔になるというその過酷な芝居を、芝居とは思えないほどの気迫でもって熱演してくれていたのではないか。

 さらに特筆すべきは、この劇団のお家芸とも言えるアンサンブルの見事さであろう。群衆としての計算され尽くされた動き、各々がそれぞれの役割を見事に把握して演じている様は、壮観ですらあった。特にイエスが磔にあった前で柵に見立てて組み合わされた竹の棒の後で見せた不気味この上ない表情ほど、訴える力に富むものはなかったであろう。隈取りによって強調されたその表情からは、神とあがめていたイエスを易々と見放してしまった民衆の残酷さが痛いほど伝わってきたのだ。
 そういう意味では、大八車をくまなく動かしていた白子たちも、その大八車ともども「群衆」と捉えるのも見当違いなことではないのかもしれない。カーテンコールの時には、その白子たちもしっかりキャストの一員として拍手を浴びていたのだから。

 演出家の意図を忠実に再現する能力においては、ミュージカルはとっくの昔にオペラを越えていた。この公演では、舞台全体の力が、はっきりとした意志となって伝わってくることをまざまざと感じないわけにはいかなかった。そこへ持ってきて、音楽的な充実度が30年前の初演時とは比べものにならないほどの高みを見せるに至って、ついにミュージカルはこの国のオペラの水準を追い越したのである。
 そういえばこの作品、初演当時はたしか「ロック・オペラ」と呼ばれてはいなかったかしらん。


当コラムの執筆者のペンネーム「吉田ヒレカツ」は、高名な音楽評論家吉田秀和氏からインスパイアされたものですが、コラムの内容も含めて、吉田氏ご本人とは何の関係もありません。

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