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音楽展望
吉田ヒレカツ

2000/8/27

 バッハの音楽の権威である指揮者・オルガニストのヘルムート・リリンクは、毎年、彼の本拠地であるシュトゥットガルトで「バッハ・アカデミー」という講習会を開催している。世界中の声楽や器楽の演奏家が集まってリリンクを中心とした講師による公開のレッスンを体験するという催し物である。最近では、バッハに限らずもっと幅広いテーマもとりいれて運営されているとも聞いている。
 この「バッハ・アカデミー」の日本版というものが、毎年仙台で開かれていることはご存知だろうか。仙台とリリンクというのは浅からぬ因縁があって、もう亡くなられてしまったが、松原茂さんとおっしゃるリリンクの弟子のオルガニストがかの地の女子大で教鞭をとっておられた関係で、1960年代にリリンクによる合唱の講習会が開かれていたのであった。そのつながりで、「仙台バッハ・アカデミー」というものが定期的に行われるようになったのである。

 今回、このアカデミーのために来日したスイスのフルーティスト、ペーター・ルーカス・グラーフが、仙台だけで演奏会を開くということで、はるばる仙台近郊の名取というところまでやって来た。つくづく仙台には縁があるらしい。
 会場は仙台から車で1時間もかからないところ、最近出来たばかりのまだ真新しい建物である。演奏会が行われるのは、その中の中ホール。シューボックスというのであろうか、適度な広さをもっていてなかなか響きが美しい。

 今回の演奏会は、グラーフを中心にした室内楽、仙台で活躍している若手の弦楽器の演奏家との共演でモーツァルトの四重奏曲がプログラムになっている。
 1曲目はハ長調の四重奏曲。最初のテーマの吹き方が、いかにもグラーフらしい。最初の二部音符を早めに切り上げて、次の音符との間に少し隙間を取るという、独特の歌い方。このようなある種ストイックな表現が昔からの彼の芸風なのであったが、これを聴いただけで、これからのプログラムはうかつに聞き流してはいられないという、対決めいたものが必要になってくることを感じてしまう。有名な「グラン・パルティータ」と同じ曲の第2楽章も、とてつもなく奥が深い音楽で、圧倒されてしまう。
 彼の音は、このようなある意味で高い精神性といったものを追求している音楽と表裏一体の、幾分暗く重たいものである。ここからは、たとえばゴールウェイやランパルといったフルーティストが持つ輝くような音色を期待するのは無理というものだろう。人によってはやや心地悪いと感じるかもしれないが、彼の音楽にあっては、この音がまさに必要とされているのである。それにしても、1929年に生まれているからもはや70歳は超えているはずなのに、このテクニックの見事なことといったらどうだろう。指のテクニックだけではなく、ダイナミックスや音色のコントロールに至るまで、まさに完璧、いささかの衰えも感じられない。たとえば、オーレル・ニコレなどが、60歳代後半からブレスコントロールもメカニックもぼろぼろになってしまっていたのを思うと、これはまさに奇跡以外のなにものでもない。

 2曲目は、K334のディヴェルティメント。元は弦五部とホルンのための6楽章の曲だが、グラーフ自身の手によって4楽章のフルート四重奏の形に編曲されている。なかなか良く出来た編曲で、曲の始まりからホルンの入ったオリジナルの響きが聞こえてくるような、違和感のないものであった。この曲のメヌエットはよくフルート独奏で演奏されるものだから、このアイディアはなかなか当を得たものであろう。ここでもグラーフのテクニックは見事なものであった。ヴァイオリンのパートをこの楽器で吹くというのは実は想像以上に難しいものだと聞いているが、そんなことは微塵も感じさせないで、余裕すら見せていたのだから。

 休憩をはさんでの後半は、有名なイ長調とニ長調の四重奏曲。曲に対するアプローチは、前半同様とことん厳しいものがあるから、聴きなれた演奏とは違って、まるで別の曲を聴いているかのような印象すら与えられる。だから、全曲聴きおわったらとても充実した思いを持ったのと同時に、いささかの疲労感が残ってしまった感も否めない。モーツァルトというのはここまで厳しく、重たい作曲家だったのだろうか、本当はもっと楽しめる音楽なのではないか、というのが、正直な感想だった。ニ長調の25小節目のトリルが、半音ではなく、全音のトリルだったのも、納得のいかないところであった。

 ところが、アンコールを聴くに及んで、そのような不満は霧散してしまった。曲は、プログラムにはなかったト長調の四重奏曲のメヌエットと、文字通りのアンコールであるイ長調からのメヌエットと、ハ長調からの第6変奏とコーダ。後半の2曲が、本番で演奏されたのとは全く異なる表情付けや装飾で、とても軽やかに演奏されたのである。共演の弦楽器奏者ともお互い笑顔をかわしながらの、即興性にあふれたとびきり和やかな演奏。これまでは、まるで求道者のような厳しさしか見せていなかったものが、こんな楽しいことも出来るのだったとは。
 こういった、録音されたものでは分からないことが体験できるのが、生の演奏会の醍醐味なのであろう。はるばるやって来た甲斐があったというものである。


当コラムの執筆者のペンネーム「吉田ヒレカツ」は、高名な音楽評論家吉田秀和氏からインスパイアされたものですが、コラムの内容も含めて、吉田氏ご本人とは何の関係もありません。

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