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音楽展望
吉田ヒレカツ

2006年7月14日  宮城県民会館

2006/7/15記)

 日本全国全ての都道府県で最高気温が30度を超えたというとてつもなく暑い日に、オペラを見るべく会場の県民会館へ向かう街中は、夕方になっているにもかかわらず猛暑の勢いが一向に衰える気配を見せてはいなかった。ただ立っているだけで汗がにじみ出てくるほどのこんな陽気は、もちろん老体には毒なのであろうが、本日の演目は実演で見ることなどおそらくこの機会を逃したら一生(といっても、あと何年生きていられることか)ないだろうと思われるものであったから、こうして喘ぎ喘ぎ足を運んできたのである。その演目というのは、リムスキー・コルサコフの「モーツァルトとサリエリ」という、プーシキンの原作による短いオペラである。これは、ひところ大騒ぎになったことのあるミロス・フォアマンの映画、あるいはその原作であったピーター・シェーファーの戯曲「アマデウス」の拠り所ともなった、サリエリのモーツァルトに対する嫉妬と陰謀を扱った作品なのであるが、私はこの年になるまで実演はおろかCDですらも聴いたことはなかった。その様な珍しいものを、このような辺鄙な地でも聴くことが出来るようになったのも、昨今のモーツァルトを巡る騒々しいお祭りのせいなのであろう。
 もちろん、興行主としては、その様な1時間もかからない珍しいオペラだけを上演したのでは魅力に乏しいことは分かっているのであろうから、このタイトルのように、映画の「アマデウス」という看板を前面に押し出して売り込みを図っていたのであろう。その結果、オペラの前には11歳の少年がモーツァルトに扮してピアノ協奏曲を演奏し、最後には「アマデウス」の中でも効果的に用いられていた「レクイエム」を全曲演奏するという、いささか異様な構成となったのである。

 入場券を渡してロビーにはいると、なにやら金管楽器の演奏が聞こえてきた。そういえば、この歌劇場の公演に数年前に訪れた時にもロビーコンサートのようなものをやっていたという記憶が蘇ってきた。近づいてみると、それは金管五重奏の演奏であった。もっとも、この公演にチューバは入ってはいないのであろう、最低音はトロンボーンという編成にはなっていた。そこで演奏されていたのが、「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」の金管のための編曲であった。別に悪いことではないのであるが、このような編曲で演奏されると、モーツァルトの優雅さがほとんど感じられなくなってしまうと思うのは、私だけなのであろうか。特に、ソプラノパートのトランペットが極めて趣味の悪い装飾音の扱いだったせいで、それは原曲の面影が無惨にも改竄されたものになっていた。第二楽章が、落ち着きのないテンポで、まるでチンドン屋のような趣で聞こえてきたのをしおに、この演奏には見切りを付け、早々に客席へと向かったものだった。

 今回席をとった3階のバルコニーからは、オーケストラピットの中が良く見渡せる。先日も同じ会場で見た「魔笛」ではピット全体に奏者が入っていたものであったが、今回は左右の端にかなりの隙間がある。モーツァルトはともかく、リムスキー・コルサコフもこのような少ない編成なのかしらん。
 最初のステージでは、舞台上の次のオペラのためのセットの中にピアノが置いてあった。ということは、コンチェルトをピットの中のオーケストラと、舞台の上のピアノとが共演するということになるのであろうか。これはなかなか大変なことであろう。案の定、モーツァルトの扮装をしたヤン・フォイテクという11歳の少年こそ、イ長調の協奏曲を見事に弾いていたものの、ヤン・シュティフという初老の指揮者はこのような配置でのアンサンブルを整えることに全く能力を欠いているとみえて、あちこちにほころびが見えていた。

 「モーツァルトとサリエリ」での楽器編成は、木管楽器がそれぞれ1本ずつという非常に小さいものであった。あとはホルンが2本入るだけで、ティンパニもないから、弦楽器も第1ヴァイオリンが6人という少なさでも十分なものなのであろう。ここでは、指揮者がパヴェル・シュナイドルという若い人に代わる。一夜の公演に指揮者を2人用意するなど、なんと贅沢な。
 そこから聞こえてきた音楽は、リムスキー・コルサコフといって連想されがちな厚ぼったく煌びやかな響きとは全く無縁のものであった。それは、あたかも新古典主義のような、昔の、そう、ロココ時代の様式を模したものである。この作品は、プーシキンの戯曲を忠実にテキストとしているものであるから、言ってみれば全てが台詞のような抑揚に乏しい音楽が、歌として歌われている。いにしえの「レシタティーヴォ・アッコンパニヤート」のような佇まいであるから、これは意図的にモーツァルトの時代を模した、ほとんどパロディのような趣が感じられることであろう。現に、舞台にモーツァルト役の歌い手が登場するやいなや、そこの音楽はまさにモーツァルト風のものに変わっていた。
 舞台の上には、左右に合唱団が座っていて、場面に応じて立ち上がり、なにか意味のある仕草をするというような役目を担っていた。例えば、サリエリが新しい曲を歌わせようと楽譜を配ると、彼らはそれを丸めてサリエリに投げ返す、といったような演出が行われていた。さらに、歌手としての登場人物はモーツァルト役のテノールとサリエリ役のバリトンしかいないのであるが、もう一人「運命」という無言の役を設けて、なにやら象徴的な仕草を与えていたのが印象的であった。ただ、音楽的にはモーツァルトの引用や、いかにもモーツァルトが作りそうなものを披露するという部分は楽しめたが、全体としては淡々と流れているという印象は免れないものであった。どちらかと言えば、音楽そのものよりも、プーシキンのテキストを味わうというところに重きが置かれていたのではないだろうか。

 オペラの方は、結末に余韻を残して終わるのであるが、この公演ではそのあとにバレエ仕立ての「レクイエム」を持ってくることで、いわゆるモーツァルト伝説の完結を意図していたのではなかっただろうか。そう、てっきり最後の「レクイエム」だけは普通のステージの上での演奏を予想していたのだったが、それは見事に裏切られ、そこにはきちんと物語のあるバレエが、この曲とともに披露されていたのだった。休憩が終わってまだ緞帳が下りたままの状態で、相変わらずピットの中にいるオーケストラが、先ほどのシュティフの元で演奏を始めると、幕が開いて、舞台上には新たに天使やらオルガンやらのセットが組み上がっているのが分かる。合唱は先ほどのオペラと同じ位置、そこには、10人ほどのダンサーが手に手にろうそくを持って現れたではないか。先ほどの「運命」も登場するということで、このバレエは物語としてオペラと繋がりがあることが分かる。しかも、今度はダンサーとしてのモーツァルトも登場したではないか。しかも2人。この2人は、例えば棺の上で指揮をしているモーツァルトを、遠くから別のモーツァルトが眺めているというような、かなり具体的な演じられ方をしているから、少々煩わしい部分がないとは言えない。後方のスクリーンには時計だの燭台だの稲妻だのといった、いかにもな映像が映し出されれば、その煩わしさもいやが上にも高まろうというものだ。
 そういえば、以前テレビであったろうか、やはりモーツァルトの「ハ短調ミサ」をバレエに仕立てたものを見たことがあった。しかし、この場合は抽象的な踊りに徹していて、決して具体的な物語を強要するものではなかったため、純粋に芸術的な意図を楽しめたものであった。しかし、今回のこのバレエは、あまりにもその内容が生々しく、そのせいで音楽の方が薄っぺらなものになってしまったという印象はぬぐえないものであった。どうやら、この公演を企画した人たちは、なんとしてもこの曲から悲劇のようなものを導き出したかったのであろう。しかし、それは結果として単なるお節介にしか終わらなかったと言わざるを得ない。
 先ほどの協奏曲で醜態を演じたこの指揮者は、この曲でも管理能力の無さを露呈していた。あまりにも合唱が遠くにあるものだから、二重フーガの部分などはことごとく醜いアンサンブルとなっていた。もう1点、本来はバセットホルンで演奏すべきものをクラリネットで代用していたことも頷けない。一昔前ならいざ知らず、これだけこの楽器による演奏が増えて、その響きがこの曲の特色として認知されるにいたって、未だにクラリネットを使うなど、見識を疑ってしまう。そういえば、先ほどのロビーでの演奏で趣味の悪さに辟易とさせられたトランペット奏者も、このジュスマイヤー版のトランペットパートの趣味の悪さを知らしめるかのような緊張の足らない演奏に終始していたものだった。

 どんなものであれ、外国から来たオペラであればほぼ満席になるというこの街での集客状況を鑑みると、この夜の観客数が定員の三分の一程度であったというのは、まさに異例のことである。確かに貴重なオペラを上演してくれるという奇特な部分はあったものの、一夜の演奏会としては何とも惨めな結果に終わってしまったことを、まるでこの街のオペラ愛好家が予見していたかのようなこの惨状に、逆に溜飲を下げたのは、私がひねくれ者の年寄りであるせいなのであろう。程良い冷房の効いていたホールを出ると、もう深夜にもかかわらず依然として熱気がまとわりついてきた。どこまで不快な夜なのであろう。


当コラムの執筆者のペンネーム「吉田ヒレカツ」は、高名な音楽評論家吉田秀和氏からインスパイアされたものですが、コラムの内容も含めて、吉田氏ご本人とは何の関係もありません。

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