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音楽展望 ベルリンの小澤
吉田ヒレカツ

高名な音楽評論家、吉田ヒレカツ先生は、「朝目新聞」紙上に毎月エッセイを書かれています。ここでご紹介するのは、1993年6月、小澤征爾がはじめてヴァルトビューネでのベルリン・フィルのサマーコンサートを指揮した直後に掲載されたものです。


 たまらなく暑い日があったかと思うと急に大雨が降ったりと、ここのところ定まらない天候が続いているが、この年になってしまうとわざわざ音楽会に出掛けるのも億劫(おっくう)で、いきおいテレビの前にかじりつくことが多くなってしまう。
この間も、《ベルリン・フィルのサマーコンサート》というのを家人と楽しませて貰(もら)った。なんでもこれはベルリン・フィルがシーズンの終わりに毎年行っている野外コンサートだそうで、そう、アメリカで言えばハリウッド・ボウルみたいな巨大な擦鉢(すりばち)状の会場に何万人という聴衆がピクニック気分で音楽を楽しむものらしい。今年は小澤征爾が指揮をしていた。

映像ディレクター(というのだろうか)のブライアン・ラージから話を始めるのは一寸(ちょっと)唐突だろうか。バイロイトの《指環(ゆびわ)》全曲のビデオ化でもって一躍(いちやく)有名になった彼の仕事は、試聴盤として送られて来る数多くのオペラのLDや《ニューイヤーコンサート》によって私などには馴染(なじ)み深いものだが、ここでは彼の十八番(おはこ)の指揮者正面のカメラに加えて、ロックのコンサートみたいにクレーンを多用して躍動(やくどう)感溢(あふ)れる画像を作りだしている。いささかやりすぎの感が無くもないが、本当はオペラでもこんなことをやりたかったんじゃないかな?
 別な日にこれもラージの画像でショルティが指揮をした定期演奏会も見たけれど、こちらの方はもちろんクレーンなんか使わないオーソドックスなもの。ところで、あのフィルハーモニーというのはオーケストラのすぐ後ろ、よく合唱などが使う場所にもお客さんが入っているのだけれど、そこに小学生ぐらいの男の子がいて打楽器の強奏(ふぉるてぃっしも)の度(たび)に耳をふさいだりして大騒ぎしている様子がちゃんと写っていておかしかった。
 ベルリン・フィルの定期演奏会でこうなのだから、日本の地方都市のアマチュアオーケストラなんかではもっと酷(ひど)いことがまかり通っているんじゃないかしら。
 話がとんでしまったけれど、ベルリン・フィルのメンバーも世代交代といおうか、二十歳(はたち)台のまるで少年のような奏者たちが管楽器の首席をつとめる時代になってしまい、ライスター、コッホ、ツェラーといったカラヤンの黄金期(おとこざかり)を支えた名人たちが相次いでこのオーケストラを去っていったことには、老人の私にとっては感慨(かんがい)深いものがある。
 
 小澤のことを忘れるところだった。小澤がラージのカメラにおさまるのはこれが初めてではなかったかしら。それはそれとしてアンコールの《ベルリンの風》で日本人の小澤の指揮に合わせて総立ちのベルリンの聴衆が指笛(ゆびぶえ)を鳴らすのをみて、不覚にも涙が止まらなくなってしまったのはいったいどういう訳(わけ)?日本人が西洋音楽を演奏することはもはや特別なことではなくなってしまった、その最も幸福な邂逅(かいこう)を目の当たりにしての自然な生理?
これで、もし私が生きている間にウィーン・フィルのニューイヤーコンサートでも振ってくれれば、最早(もはや)この世に思い残すことは何も無い。思い出すだに恥ずかしいあのN響事件や天皇直訴(じきそ)事件、そして水戸へは最初の年しか来て呉れなかった恨(うら)みもさっぱりと忘れて、心おきなく黄泉(よみ)の国へ旅立てるというものだ。

 山口県立美術館で開催されているクレー展を紹介した放送にも触れなければいけないだろう。クレーについてはこれまでに幾度(いくど)となく書いてきたけれど、そう、これだけまとまった物をテレビで見たのは初めてだ。ついでに言えばシェーンベルク、オルフ、コダーイ、バルトークといった、クレーと同時代のひとたちの作品をバックに使っていた制作者の趣味の良さも褒(ほ)められよう。この展覧会は7月末からは東京でも開かれるということだから、私も鎌倉から足をのばしてクレーとの「再会」をはたしてみようと思っている。

当コラムの執筆者のペンネーム「吉田ヒレカツ」は、高名な音楽評論家吉田秀和氏からインスパイアされたものですが、コラムの内容も含めて、吉田氏ご本人とは何の関係もありません。

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