昔の資料に「昭和34年に仙台市民交響楽団のコンサートマスターに就任」などとあるように、戦後の仙台のオーケストラ運動を文字通りリードしてきた山路団長の業績には、計り知れないものがあります。ニューフィルのルーツというのは、ここらあたりまで遡るのかも。もちろんこの団体は今の「市民響」とは縁もゆかりもないもの。(jurassic)
おせっかいな解説 今ある「仙台市民交響楽団」というのは 昔は「仙台ユースシンフォニー」といっていたものです。 年齢層が上がって「ユース」がふさわしくないと、 安直に改名したのですが かつての歴史を知るほどの大人ではなかったようですね。 |