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Monthly Column

(00/5)


昔の資料に「昭和34年に仙台市民交響楽団のコンサートマスターに就任」などとあるように、戦後の仙台のオーケストラ運動を文字通りリードしてきた山路団長の業績には、計り知れないものがあります。ニューフィルのルーツというのは、ここらあたりまで遡るのかも。もちろんこの団体は今の「市民響」とは縁もゆかりもないもの。(jurassic
おせっかいな解説

今ある「仙台市民交響楽団」というのは
昔は「仙台ユースシンフォニー」といっていたものです。
年齢層が上がって「ユース」がふさわしくないと、
安直に改名したのですが
かつての歴史を知るほどの大人ではなかったようですね。

別の月のコラム

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