古代エジプトでパピルスを原料とした紙を発明して以来、 人類はこのメディアで記録、伝達、証明などをしてきた。 しかしながら、現代では電子メディアをこの紙メディアにとって替えようとしている。 だが、この電子メディアがもたらしてきたものを考えてみよう。 7〜8年前のバブル真っ只中の頃、新聞の記事にあったことだが、 あるオフィスが紙資源の保護を目的として、ワープロを導入した。 その結果、皮肉なことに印刷後に失敗に気付いたり、 マシントラブルによって破棄した紙の量が、以前の廃棄量をはるかに上回った、 という記事だった。 これは極端な例だが、実際紙に代わるメディアは現れていないと言えるだろう。 いい例が新聞である。 これだけインターネットが普及した世の中であるのにもかかわらず、 いまだに新聞を読んで(日本のみならず)、 ニュースサイトでその代わりにしようとしないことからも、 紙のほうが便利だろうという証明になるのである。 ただ、電子メディアの利点は、e-mailなどのコミュニケーション手段の圧倒的速さにある。 e-mailやチャットならばほぼリアルタイムで会話ができ、 手間と時間が削減されるということである。 では、通信スピードや更新が速いネットと、旧来からある新聞との決定的な違いは何であろう。 それはアクセスの幅と光度にあると考えられる。 まず、新聞は手にとって広げれば視覚的にすべての情報がサーチでき、 それ以降は読者が情報の選別を行うのである。 それに対し、ネットニュースは検索をしないと情報が出てこなかったり、 ある程度絞っても重複した情報が出てきてしまうといったことが起こりうる。 それ以外にも、ネットに接続しなければならないという手数がかかってしまうし、 朝は特に時間がないので、それすらも惜しんでしまうのである。 (最近はハイバネーション(resumeと同じ?)機能があるので、 また、見た目にも相当な差がある。 新聞は自らが発光するわけではないので、 外界からの反射光を人間は受け止めて、読むことになるが、 ネットからのニュースはディスプレイを通じて読むので、 実質的に発光しているブラウン管や液晶を見ることになる。 これが人間にとっては非常にストレスとなる。 ”最近の若者は距離感がつかめない”ということを 科学的に証明しようと実験しているTV番組のコーナーがあった。 これによるとTVゲームをよくしている若者と、 全くしないと言う若者の差は歴然で、距離のつかみ方に明らかな差が出た。 参考ページ にもあるように、効き目ともう片方の目という差があるにしても、 ゲームをする者はしない者よりも距離感がつかめない、 という根拠は平面を立体として捉えてしまうことで、 脳にストレスを与えると専門家の見解もあった。 このように、無意識のうちにブラウン管を通してのものの認識はストレスになってい るのだ。 したがって、今なお、新聞が広く一般家庭で普及しているのは、 これらのことが意識の中にあると考えられる。 もっとも日本の住宅事情を考えれば、 だが、クリアすべき問題は山積しているのである。 |