大学生とモラトリアム
職業指導の補講で、S先生(都内H市在住で、
T市との境の川にいるホームレスの話題が多い先生。
専門学校の理事をしている)が、
”大学を出ても、専門学校に入学する若者が増えている。 これは学校離れができない、
いわゆるモラトリアムを求めて入学してくる者が
8割はいるんじゃないか、と考えている”とおっしゃった。
モラトリアムとは…?

モラトリアム[moratorium]
(1)戦争・恐慌・天災などの非常時に、社会的混乱を避けるため
  法令により金銭債務の支払いを一定期間猶予すること。支払い猶予。
(2)知的・肉体的には一人前に達していながら、なお社会人としての
  義務と責任の遂行を猶予されている期間。
  または、そういう心理状態にとどまっている期間。
(3)実行・実施の猶予または停止。
  多く、核実験や原子力発電所設置についていう。
大辞林第二版より

この場合は(2)が妥当であろう。
つまり、大学生活はまさにモラトリアムであると言える。
では、その先は…という話しなのである。
一概に前述の大学生活=モラトリアムというのは成り立つのであろうか?
答えはおそらく”否”である。
もちろん個人差はあるに違いないが、
すべての人間がモラトリアムを求めて大学生になったわけではないだろう。
もっとも、”遊びたい”という欲望で入学したものや、
”周りが行くから”とか、”親に言われて”という者もいるであろう。
だが、目的を持って入学した者、あるいは社会人入試で
学問を修めることを前提に大学生になる者もいるのである。

更に先生はおっしゃった。
”キャリアが未発達のまま成長してしまったがために、
社会に出ることが怖く、モラトリアム化、フリーター志向などの
自立意識欠如の傾向が見られる”と。
付録として、Yahoo!のニュースページから失業率についての資料もあった。
内容は”11月(2001年)失業率、最悪の5.5%”という記事であった。
つまり、社会に失望するあまり、
フリーター化しているということを言いたかったようだ。
(ちょっとこれには自信がない)
さらに先生は続けた。
”40過ぎてアルバイトの身分は何の社会的保証もないし、惨めですよ”と。
はっきり言うと、”目的探しにフリーターをしている”とか、
”やりたいことがないからバイトで生活している”なんて、
言い訳であり、甘えでしかない。
大学生になるまでの18年間、自分は何をしてきたのか、
そしてこれから何をしていきたいのか。
という2点を見出せない時点で希薄な人生を送ってきたのではなかろうか。
そもそも就労を4年(または2年)遅らせることに見合った修学をしなければ、
年収×4(or2)をむざむざ捨てることになり、
それはすなわち人生にとって時間と金のムダである。
むろん”目的達成のためにアルバイトをしている”という、知り合いもいるし、
”大学は人脈やコネを作るために行くものだ”という、会社経営者もいる。
これらはしっかりと目的があるのであって、全くのムダではない。
ただ、前出のフリーター志向などとは、手段と目的が逆転しているのである。

いわゆる欧米で一般的な”インターン制度”の欠如や、
進学を最終目的とした進路指導が日本において目立つのは確かである。
しかしながら、それを隠れ蓑にするようにバイトをし、
すぐに”つまらないから辞める”というパターンが極めて多い。
これこそが甘えの構造なのである。
もちろん”つまらない”を理由に辞めるのは、決しておかしな選択ではない。
ただ、見習い期間であるのにもかかわらず、”自分は一人前だ”と思い、
さらに、”もっと高度な仕事ができるのに”と勘違いすることが多々あると、
以前先生はおっしゃっていた。
それこそが、”認識の差”であり、”経験不足”に起因するものではないだろうか。
現在の日本人に最も不足しているのは社会性である。
その最たるものとして”ひきこもり”や”対人恐怖症”という言葉が
出現してきたのである。
成長の過程で幼馴染の友達とつかみあいの喧嘩をしたり、
学校帰りに買い食いをしたことを思い出してもらいたい。
おそらく世代や育った地域性によってその量が全く違うであろう。
それだけですでに、社会性や経験の不足が立証できるのである。

では、対策について考えてみよう。
これもやはり個人差が生じてしまうのだが、
ちょっとしたことで立ち止まってみてはどうだろうか?
例えば、家路に急ぐところを道を一本変えてみたり、
普段なら気に求めないようなものに注目してみたり、
といったように、一つ違うことをしてみると。
時間のムダになってしまうかもしれない。
でも、そんな時間も作れないような生活なら、
きっとつまらない人生を過ごしてしまうであろう。
それが生活に反映できてこそ、
人間として悔いのない日々を送れるのではなかろうか。
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