オスカルはとても急いでいた。
彼女はパンを口に詰め込めるだけ詰め込んでコップを手に取ると飲み物で口の中のパンを一気に胃袋に流し込んだ。
「オスカル、そんなに慌てると・・・のどにつかえるよ。」
アンドレは心配してオスカルに声を掛けたが、オスカルは逆にキッと彼を睨みつけて、
「早く食べろ!」
と一言だけ言うと、皿の上に盛り付けられた肉を切り分けもせずフォークで突き刺してかぶりついた。
早く食べないと時間はすぐになくなるんだ。
もたもたしていたらすぐに帰り支度だ。
オスカルは不機嫌そうに口を動かした。

“馬で遠乗りに出かけていい、アンドレと2人だけで。”
両親から許可が出たのは先週である。
この件は随分前から願い出ていたものだったので、オスカルの喜びはひとしおだった。
そしてそれは、オスカルが想像していた以上のもので・・・・
大人の監視無しに、思うまま好き勝手に遊ぶことがこれほど楽しいものだとは!
オスカルは1分1秒でも長く遊んでいたかった。
だから余分なことに時間を費やされて遊び時間が減るのは、オスカルにとって我慢ならなかった。
昼食など簡単で、出来るだけ早く食べられれば何だっていいんだ!
母上もばあやもどうして分かってくれないのだ!
大層に・・・まるで家にいる時のように食べるなんて・・・時間の無駄だ!
敷き物を敷いて、持って来た食器を出し、食べ物を皿に盛りつけてそれから並べて、飲み物を準備して・・・やっと昼食を済ませても片付けが残っているのだぞ!
“お嬢様は、アンドレが準備や片付けをしている間も遊べますでしょうに、何か問題でもございますか?”
ばあやの言葉を思い出して一層オスカルは不機嫌になった。
アンドレが一緒でないと・・・一人で遊んだってちっとも面白くないんだ!
勿論オスカルにはアンドレが一生懸命やってくれているのはよく分かっていた。
だから本当は手伝ってやりたかったのだが―ばあやは総てお見通しだった―オスカルはアンドレを絶対に手伝わないと固く約束させられていたのだった。
それにしても、もっと早く済ませるいい方法はないだろうか?
オスカルは肉を口いっぱいにほお張りながら考えた。
敷き物は使わない。食器は沢山使わなくて二人で一つの皿とコップを使えばいいのだ。あとは食べ物は出来るだけ少なくだ。早く食べられる物・・・・・・
そうだ!早く食べられるのものだ。
何かいいものがきっとあるはずだ!
一度に一緒に食べられる様なもの
そうだ、こうしてはどうだろうか?
オスカルは今自分の思いついた事をもう一度考え直した。
それはとてもいい考えに思えた。
よし、今度の遠乗りで試してみよう。
オスカルは肉をごくんと飲み込むと立ち上がった。
「さあ、全部食べたぞ!さっさと片付けてさっきの洞穴を調べに行くぞアンドレ!」

「薄く切るですか、オスカル様。何故そのような事を?」
屋敷へ帰るなり、オスカルは自ら料理長の元へ赴くと風変わりな願いを彼に告げた。
そして料理長のその問い掛けに、オスカルは “食べやすいと思うから” としか答えなかった。
自分が良い考えだと思い実行に移すと、何故か大人の不評を買う。
カエルをいっぱい捕まえてきた時もそうだったし、アンドレの部屋で一緒に寝ながら本を読んだ時もそうだ。
家の裏にあるブナの木の先まで登った時だって・・・・
これは絶対にいい考えだ。
邪魔なんてされてたまるか!
料理長は―実はその理由に見当がついたので―それ以上追求せずオスカルの希望に沿うよう準備するのを約束した。
オスカルは礼を言って料理長の元を後にした。
歩きながらオスカルは、次の遠乗りの事を考えた。
想像しただけでわくわくした。
まずぼくが作って食べてみて・・・それからアンドレにも作ってあげよう。
これは手伝うのではなくて、ぼくが発明した事を試すだけなんだ。
これからナイフもフォークもいらないし、食器も・・・使わない。片付けもきっと楽だ。
必ずもっとたくさん遊べるんだ!

■■■■

「あの頃は、サンドイッチの存在そのものを知らなかったからな。遠乗りから戻って来て、料理長に“パンにうまく挟んで食べられましたか?”と聞かれた時には・・・・こっそり付いてきたのかと思って焦ったぞ。」
オスカルはパンにバターを塗ってそれから壜を取り出しその蓋を開けて言った。
「それよりおれは、おまえからあれを・・・薄く切ったパンにチーズとハムを挟んで手渡された時の方が焦ったな。」
アンドレはオスカルの手元を見ながら答えた。
「どうせばあやの顔が浮かんだのだろう?“手で持って食べるなんて!おばあちゃんにばれたら!ぼく・・・また怒られるよ〜”だったからな。」
「よく覚えているな。確かにそんな事を言った気がする。おばあちゃんは必ず“お前はまたお嬢様にロクでもないことをお教えして!”で、有無を言わさずおれをひっぱたくから。・・・オスカル、なんだそれは?」
オスカルがパンに塗りたくっているものを見てアンドレは心配そうに尋ねた。
「秘密だ。どうした?その心配そうな顔は。」
「いや、心配ではないが・・・少し塗りすぎではないのか?」
オスカルはパンを見つめた。
かなり多めに塗っていいと―オスカルの要望通りサンドイッチの作り方を教えてくれて、ついでにこのピクルス入り特製マヨネーズを壜に詰めてくれた料理長は、オスカルに言ったのだ。
この位にしておこうか。
オスカルはそれを皿の上に置いて次のパンに取り掛かった。
バターを塗って、それから先程のマヨネーズを塗ろうとして・・・アンドレを見ると、彼はやはり心配そうなまなざしでオスカルの手にあるパンを見つめている。
先程のパンは塗りすぎたかもしれない・・・こちらは塗らない方が良いのだろうか?
オスカルは考えて・・・それには塗るのを止めて、今度はスモークサーモンを先ほどのハムとチーズと同様にパンにきっちりと隙間無く、尚且つパンからはみ出さないように並べてその上に先程のパンを乗せて皿に置いた。
ハムとチーズ、サーモンあとは・・・あと一組はジャムだな。
「オスカルあの・・・おれも手伝おうか?」
「いい、おまえは見ていればいい。」
オスカルは澄ましてアンドレに言った。
その言葉にアンドレはオスカルに聞かれないように小さく溜息を付いた。

“今から馬で出掛ける。すぐに準備をしろ。朝食は外で食べる。準備はさせた、帰って来たら出仕する。”

早朝、唐突にオスカルはアンドレにそう言って・・・つまり今はベルサイユ南西の森まで馬をギャロップで走らせて、木陰で朝食の準備中である。
ただし、いつもと違うのは手を動かしているのがアンドレではなくオスカルで・・・アンドレは心配そうにオスカルの手を見つめていた。
パンに塗るだけなんだからおれがやれば5分とかからないのに。
サンドイッチを作るなどと言い出したオスカルの真意がつかめない上に、何もすることの無いアンドレは仕方なく頭の中で今日の予定を確認してみた。
まずあれを片付けてそれからあの資料もそろえて置かないと・・・それから・・・・うまくこなさないと明日は修羅場だ。
そういや、明日は他にも何かあったような?
アンドレは少し考えて・・・・明日が自分の誕生日である事を思い出した。
最近の忙しさにかまけてすっかり忘れていたが・・・なんとか誕生日ぐらいはつつがなく過ごせますように。
アンドレの思案をよそにオスカルはさくらんぼのジャムをたっぷりパンに塗り終えた。
オスカルは作り上げたパンを積み重ね直し、それからナイフを手に持った。
刃物に関してはオスカルは熟練のプロである。
どんなものでも鮮やかに扱うのが常である。
だから何の心配もなくオスカルは積み重ねたパンにナイフを入れた。
しかし相手が悪かった。
人ならまだしもパンというのは・・それも具を挟んだ柔らかいパンというのは非常に扱いにくいものである。

アンドレが気づいた時にはすでに手遅れだった。
オスカルは不機嫌にそしてどこか悲しげに黙ってそれを見ていた。
ハムとチーズは辛うじて形を留めていたが、サーモンとジャムを挟んだものは・・・サーモンはうまく切れず、あれほどきれいに並べた甲斐もなくパンからはみ出てしまったし、ジャムはそれでなくともかなりたっぷり塗られていた為、パンとパンの間から中身が溢れ出して他のまでジャムだらけになってしまっていた。
オスカルはアンドレと目が合うと肩をすくめて
「剣を扱うようにはうまくいかないな。」
と一言だけ言ってまたしても黙り込んだ。
「サンドイッチは切るのが難しい。おれもどれだけ失敗した事か!」
そう言いながらアンドレは一番酷い有様のものを手に取ると、一口で食べてしまった。
それからオスカルに顔を向けて嬉しそうに微笑んだ。
「やっぱりおまえが作ると本当に美味しいな。何故だろう?」
「・・・見た目が悪い。」
「料理は見た目よりも味だぞ。」
そう言いながらアンドレはまた一つサンドイッチを美味しそうに頬張った。
それを見てオスカルも自分の作ったそれを一つ手に取って口に運んだ。
味はアンドレの言うほどではないが・・・見かけほど不味くはなかった。
それでもオスカルは思わず溜息を付いた。
「・・・マルトの言葉は当たらずといえどもだな。」
アンドレは驚いたようにオスカルを見つめ・・・・それからやっと、2ヶ月前の事を思い出して苦笑した。
「オスカル悪いがいくらおまえが作ったものでも、おれは腐ったものは食べないぞ!これは美味しい!そりゃあ見た目は少々悪いが・・・初めてでこれなら上出来だぞ。」
「もっとまともな物を食べさせてやりたかったのだ。明日はおまえの・・・・」
自分から目を逸らしたオスカルを見ながらアンドレは考えた。
明日は・・・おれの誕生日だ。
つまりこれは・・・
「おれの為か!」
アンドレが思わず叫んだ声に、オスカルはボソボソと答えた。
「・・・・おいしいと言ってくれたからな。それに明日は時間など取れそうにも無いから。」
オスカルの返答にアンドレはサンドイッチの乗った皿を取ると自分の前に置いた。
「これは全部おれのものだ!」
アンドレは宣言した。
「わたしの分もある。」
「そうか・・・それは残念。」
アンドレはそういうと皿を取り出し、サンドイッチを出来るだけ見栄えがいい物を取り分けてオスカルに渡し、残りを自分の前に置いた。
「・・・お前のほうが多いぞ、それに形が・・・」
「おれのだろう?多めに貰ってもいいじゃないか!」
アンドレはそう言ってオスカルの作ったそれを手に取って食べ始めた。
「うん、うまい。」
アンドレはあっという間に一切れを食べて次のを手に取った。

アンドレは本当に美味しそうに自分の作ったそれを食べていた。
「まったく!これの何処がそんなに美味しいのだ?」
呆れた様子でオスカルは言ったが、その口調には少なからず嬉しそうな響きがあった。
「仕方ないだろう?美味しいのだから。」
アンドレは嬉しそうに笑って答えた。
「おまえの味覚が信用出来なくなったぞ。」
「おれは味にはうるさい。」
「とてもそうには見えないが。」
「おいしいよな、うん。」
アンドレはまた一つオスカルの手作りサンドイッチを口にして言った。
それを見てオスカルも自分の作ったサンドイッチを手に取り、一口食べた。
今度は形を出来るだけ見ずに口に入れた。すると先程より幾分か美味しく思えた。
それほど悪くは無いのだろうか?
アンドレはと見ると、相変わらず美味しそうにオスカルの作ったそれを食べていた。
オスカルはその様子を見て、照れくさそうに笑った。

来年の誕生日にも・・・作ってみようか?
オスカルは考えて、それから自分の作ったサンドイッチを見つめた。
剣を習得するのには地道な練習と練習相手が必要だった。
つまりこれも同じだ。
だが・・・・
オスカルは口をへの字に曲げた。
練習するのはいいが、アンドレではなくて一体誰を練習相手にすればいいのだ?

*サンドイッチが考案されたのは18世紀と言われてますし、当時のフランスには自ら料理して客に振舞った美食家の貴族も大勢いたようなので・・・オスカルが料理?しても悪くなかろうと。サンドイッチなら、まずくて食べられないという事もありませんし。アンドレはあんなことを言っていますが・・・勿論腐ったものでも美味しく頂くでしょう。きっと。