「おいアンドレ、オスカル様に就寝の挨拶は済ませたか?」
廊下で会ったクロードはアンドレに尋ねた。
「ああ、今して来た所だが・・・どうした?」
「それなら調理場行って食って来いよ、さくらんぼ。ジャンの所が豊作だったらしくて山ほど置いてったそうだ。食べた奴が美味いと言ってたぜ。・・・と、お前はいいか。今日食べたから。」
クロードはアンドレに言った。
「食べたが1個だけだぞ。ちょっと待て!どうして知ってるんだ?」
アンドレは驚いて尋ねた。
「そうじゃない。隠さなくてもいいって!そんなもんよりずっと美味かったろう?アンドレ。」
ニヤニヤ笑いながらクロードは言った。
アンドレはそれを見て理解した。
そういうことか。
「帰って来た時も言ったろう?キスなんてしてない。」
「してない?なんでまた?見た奴によると、さくらんぼのような赤い唇が食べたくなるほど美味そうだったらしいじゃないか。」
「そりゃもう!眩暈がするくらい。」
「だったら何故?」
アンドレはクロードを睨みつけた。
「おれだって出来るものならそうしたかったよ!」
「なんだ、まだ告白してないのか?それなら尚更いい機会だったろう?」
「機会も何も!出来る訳ないだろう、オスカルに!」
「オスカル様?」
「・・・・み、見つけて来てくれたんだ・・・・オスカルが・・・だからそれは・・・絶対!無理だ。」
口篭りながらいうアンドレの様子にクロードは怪訝そうな顔をしたがそれ以上の追求はしなかった。
「それはそれはご愁傷様。代わりにはならんが食べて来いよ、さくらんぼ。おれも後で行くからさ。」
「・・・ああ。」

調理場へ行くと、机の上には一抱えもあるような大きな籠が5つもあって、中には真っ赤なさくらんぼが山積みされており、その横で料理人達が数人せっせと種を取り出していた。
「すごいな・・・」
アンドレは机の上の籠を見ながら椅子に座った。
「まあな。」
「ジャムにでもするのか?」
「それと果実酒な。こいつは生で食べるのが一番だがこれじゃあな。」
机の上の籠の目をやって料理人の一人が答えた。
「アンドレ、これがお前の分。」
別の料理人がアンドレの目の前に山積みのさくらんぼの皿を置いた。
「いや、こんなには・・・」
「残念だがノルマだ。」
「ノルマなんて、聞いてないぞ。」
「みんなに食べてもらってまだこれだけ残ってるんだ。まだ食べていないのは、お前とクロードだけだ。」
料理人は机の上の籠を指差しながら言った。
「しかし・・・なあ、皆こんなに食べたのか?」
アンドレはまじまじと大皿一杯に山盛りされたそれを見つめた。
「お前は特別だ、野郎どもからのサービスさ。“俺達が食べ切れなかった分はアンドレに食べさせてやってくれ”とな。」
「なんだそれは?」
横から他の料理人が口を出した。
「スゲー美女と馬車でいちゃついて、その上食っちまったんだろう?これはつまり・・・嫌がらせだな。」
どんどん話が大きくなっているじゃないか!
「おれは何もしてないぞ!」
「隠さなくてもいいだろう?屋敷中知ってるぜ。」
「あれは、オスカルが見つけてきた女性だぞ!」
「オスカル様が?」
「ああ、おれも今日初めて会ったんだ!」
アンドレは “初めて” のところを強調した。
「それでも口説いて、次のデートの約束ぐらい取り付けてきたんだろう?」
「してないよ。」
「アンドレ!お前何やってるんだ。勿体無い!」
「だからそんなの出来る相手じゃないんだよ!」
アンドレは怒った口調で言い返した。
「なあアンドレ、俺は前から思ってたんだが・・・お前自分の事分かってるか?」
「何が?」
「お前モテるんだぞ。その気になったら大抵の女は簡単に落とせるのに。」
「そりゃどうも、嬉しいね。」
「まったくおかしな奴だよ、お前は!」
料理人が呆れたようにアンドレに言った。
「アンドレはさ、女に対して以外と冷淡なんだよな。」
別の料理人の一人が言った。
「おれの何処が冷淡なんだ?」
アンドレは不機嫌に聞いた。
「そうそう、確かにお前にはそういうところがある。誰にでも同じように接するから女達は―“アンドレって誰にでも優しいよね” なんて言ってるが、裏を返せばどんな女に対しても特別興味も執着も無いってことだろ?」
「宮廷でそれはそれはきれいなお姫様を見慣れて普通の女じゃ感じないか?」
「着飾ることしか考えてない人形みたいな女は御免だね。」
アンドレは答えた。
「それじゃあ・・・単に好きなタイプの女がまわりにいないから、興味がないとか?」
「するとなにか?今日連れてった娘も、お前の好みの女じゃなかったのか?」
「金髪碧眼の信じられないような美女だったのだろう?アンドレ、お前の好みのタイプって一体どんなだ?」
心配そうに料理人の一人が聞いた。
「もしかして!やっぱりヴィヴィアンヌが趣味とかいわないでくれよ〜アンドレ。」
「それは絶対無い!それから言っておくが!胸の大きな色っぽい黒髪の性格の悪い顔だけの女も違うからな!」
アンドレはしっかりと念押しした。
「それじゃあ、お前の好みの女は?」

「何はなくとも巨乳だろう。」

突然背後から声がして、アンドレが振り返るとそこにはクロードが立っていた。
「クロード!それはお前だろう。聞いてなかったのか!おれは・・・」
「これ食っていいのか。」
クロードはアンドレの前におかれたさくらんぼを見て言った。
「ああ、好きなだけいいぞ。」
アンドレは言った。
「だめだ!ほらクロード、こっちがお前の分。」
料理人が差し出した皿の上のさくらんぼを見てクロードは不満げに言った。
「俺の方が少ない。」
「交換してやるよ。」
「おお、ありがとうな。アンドレ。」
山積のそれを美味しそうに食べるクロードをほおづえを付いて眺めながらアンドレは言った。
「なあ、この前も思ったが・・・どうしてこう出鱈目ばかりが飛び交うんだ?おれに何か・・悪意でもあるのか?」
「まさか!これは全部身から出た錆だぞ、アンドレ。」
「何も言ってないし、してないぞ!」
クロードは食べるのを止めて、アンドレの方へ向きを変えて“分かってないな”という顔をした。
「それが理由だ!好きな女がいるとか、こんな女が好みだとか、お前がはっきりしないから噂に尾ひれに背びれが付いてだな・・・・でも本当はおれと一緒だろう?アンドレ。」
「違う!」
「それじゃ、どんな女がいいんだ?この際だ、はっきりさせちまえよ。」
「そうそう、そうすれば変な噂も流れなくなるって。」
周りの男達が口々に言った。
しかし、アンドレは押し黙ったまま口を開こうとしなかった。
「言いたくないようだな?」
「本当の事を言っても、どうせまた変な噂が流れるだけだ。」
「信用ないな。それじゃ勝手に考えるぞ。」
アンドレはどうしようもないという表情をした。
「止めたってそうするんだろう?」
それを聞いてクロードはニッと笑った。
「その通り!それではまず最初に・・・・お前の好きな女は巨乳ではなくて、貧乳だ。」
クロードは自信有りげに言い切った。
「普通だ。」
アンドレは思わずむっとして答えた。
「よし!1つ分かったぞ。胸は大きからず小さからず普通と!次に髪は黒髪ではない。」
「薄茶に、金髪、それから栗色、赤毛、灰色と・・・選択肢はかなりあるな。」
「目もそうだ。で、どれだ?アンドレ」
「さあな。惚れちまえば容姿なんてあとから付いてくるからな。」
アンドレは質問をかわした。
「まったく!これは保留。次だぞ、色っぽくない。つまり清楚なタイプか、かわいい子かだな。」
「かわいいは無しだな。ロザリーは対象外のようだから・・・」
「それは単に年が離れてるからだろう?それと“オスカル様命”だよな。」
「あれさえなければいい線いってるのに!・・・・・・分かった!睨むなって!かわいいタイプはごめんだぞと。これでいいな。」
「賢そうな女ってのは?それか反対にお馬鹿な女か?」
「それは分かるぞ!こいつは世話を焼かれるより焼いてやりたい奴だから、お馬鹿タイプで決定っと・・・違うのか?」
「へえ、アンドレは頭使ってる女の方がいいのか!」
「当たり前だろう。」
「へいへい、俺は抜けてた方が可愛げがあっていいけどな。つまり賢そうな・・・知性的な女か。で?なんだった。あとは年のあまり離れたのも駄目だ。と」
「でも思い切り!年上がタイプって事もあるぜ。な?アンドレ。」
「そんなのお断りだ!」
「ということで、年上も却下だそうだ。あと背は?やたら高いのはなんだな。ちっちゃくて可愛い感じか?」
「そうか!オスカル様が連れてきた女を口説かなかったのはあれだな、やたら背が高かったからだな。」
「へえ!そんなに高かったのか?」
クロードは驚いて尋ねた。
「ああ、俺は後姿しか見てないがありゃオスカル様より少し低い位だったか?いやもしかしたら高かったかも?」
「オスカル様よりか!そりゃあかわいそうになあ。」
「その上、見た奴によると!スゲー気が強そうな女だって言ってたぜ。」
「そりゃ嫌だな。いくら美人でもやっぱり女は可愛げがなきゃいかんぞ。」
「そうそう!女は可愛いのが一番だ。」

「・・・・気が強いと可愛げが無いのか?そんなの誰が決めた!背が高くて気が強くて・・・何処が悪い!」

一同おや?という風にアンドレを見た。
アンドレはそれに気づいてプイと視線を逸らした。
「そうか・・・・悪い、悪い。お前は背の高い女がいいのか!そういやお前もデカいからな。ついでに気の強い女だな。そうか!なるほどな。」
クロードは嬉しそうにバンバンとアンドレの背中を叩いた。
「いや〜なかなかいい趣味じゃないか。そうするとだ。年はそう離れてなくて!そして長身で!胸はでかくなくてもよくて・・・知性的で!気が強い!と、アンドレ、お前ってポリーヌはまったくタイプじゃないな。いい趣味だ。」
「アンドレ、お前には悪いが・・俺は遠慮したいな、そういう大女はちょっとなあ。」
料理人の一人が言った。
「おれは気が強くて細身の背の高い女がいいんだよ!」
「おい!聞いたかクロード。その上、痩せた女がいいらしいぜ。」
面白そうにまた別の料理人が言った。
「・・・そういやアンドレ、お前さっき俺に言ったよな?“おれだって出来るものならそうしたかったよ!”って。」
クロードが何かを思い出しながらアンドレに聞いた。
「・・・言ったか?そんな事。」
「ああ!俺は確かに聞いたぞ。」
「おいクロードなんだそれは?」
「いや、さっきここへ来る前に・・・・つまりだ!今日連れてった女はアンドレの好みの女だった!という事だな。」
アンドレはほおづえを付いたままそっぽを向いた。
「図星のようだな。」
「そうするとアンドレの好みはブロンドで、」
「あと透けるように白い肌にさくらんぼのように美味しそうな赤い唇の!」
「きりりとした気の強そうな、すらっとした長身の!そこら辺に転がっていないような超美人がいいぞと!」
「アンドレお前って!すごい面食いだったんだ。」
「なにが!“惚れちまえば容姿なんてあとから付いてくる”だ。」
「いやー人は見かけによらないもんだ!」
「ああ、そうだよ!おれは面食いだよ。何か文句あるのか!」
「お?アンドレ開き直り。」
「おいおい!さっき言ってたの全部当てはまらないか?この女に!」
一人の言った言葉に男達はどよめいた。
「そういや・・・その通りじゃないか!」
「アンドレの好みのタイプは・・・」
「細身で長身。胸は普通で知性的で!気が強い!だ。」
「ということは・・・・」
「理想が服着て歩いてたんだ。」
「アンドレ!これは運命の出会いってヤツだぞ。」
「なんで“付き合ってください!”と言わなかったんだ!」
「馬鹿!付き合ってくれなんて暢気に構えてる場合じゃないぞ!」
「それはもうすごい美人だったのだろう?ライバルは山ほどいるぞ!」
「そうそう!プロポーズだ!プロポーズ!」
「“結婚してください。どうか俺の妻になってください”てか?」
「おい、どうしたアンドレ!」
「お前、真っ赤だぞ〜〜」
「おお、照れてる照れてる!」
「ヒューヒュー!」

「うるさい!黙れ! 」

アンドレはとうとう辛抱しきれず怒鳴りつけた。
しかし、男達は黙る素振りすら見せず囃したてた。
ああ畜生、こいつら人の気も知らずいいたいことを言いやがって!
だからこいつらとこういう話をするのは嫌なんだ!
「何としてでも口説いて、次のデートの約束取り付けて来るべきだったな。」
「今からでも遅くない!明日朝一番にだな・・・」
「だからそんなの出来る相手じゃないんだよ!」
「さてはお前・・・口説いて振られたな?」
「振られてない!出来ないって言ってるだろう?」
「もういい、隠すな。そうか・・・」
「悪かったな、アンドレ。」
「早く言えばいいのに。」
「だから!それ以前の問題で・・・・」
「まあこれでも食べて元気だせって!」
クロードはそういってアンドレの背中をばんばん叩いた。
アンドレは皿のさくらんぼを見て溜息をついた。
結局こいつらはおれの話しなぞ聞きやしないんだ。
で、また変な噂が・・・・
「おいおい、食べる前から溜息なんて付くなよ。見目麗しく味も良しだぞ。これだけ出来のいいのはそうないぞ。」
料理人の言葉にアンドレはさくらんぼを見つめた。
つやのある鮮やかな赤い色のさくらんぼは、それはそれは美味しそうに見えた。
今日のオスカルの唇に比べればこちらの方が数段落ちるが。
アンドレは思い出さなくていいものを思い出して落ち込んだ。
いつもだって美味しそうなのに・・・
今日はまた好きにしてくれといわんばかりに目の前にあって・・・
本当にぞくぞくするほど赤くって・・・・
眩暈がするほどそそったのに・・・・
その上今日はいつにも増して!むちゃくちゃ可愛くて!
マルトの家で真っ赤になって俯いたあの仕草ときたら・・・・
ああ、畜生!!
殴られてもいいから・・・・

「考えてないでさっさと食っちまえよ。」

アンドレはその言葉に我に返った。
皆が怪訝そうに自分を見ている。
アンドレは黙って苦笑した。
そして、皿からさくらんぼを一つ摘まむと、口に放り込んだ。
さくらんぼの爽やかな酸味と甘さがアンドレの口いっぱいに広がった。

*少々品がありませんがアンドレの好みのタイプは?です。書かなくても分かってますが(^_^;)。さくぼらんは、当時のフランスでもよく食べられていた初夏に出回る季節の果実だったようです。Who is his wife?で出てくるさくらんぼは、アメリカンチェリーのような黒っぽいものではなく勿論国産と同じきれいな赤いものです。