「・・・・・安くて感じのいいとこだったんだが。」
アランは扉の張り紙を見て残念そうに言った。
「おれはどこでもいいぞ。」
アンドレは言った。
「仕方ない、別の所にするか・・・・・」
アランは辺りを見回した。
そして、大きな鋲が打付けてある重そうな錆びた鉄の扉に目を留めた。
看板はなかった。その代わり扉には磨き上げられた真鍮の板が張られていた。
板には文字が書かれていた。
「どうした?アラン。」
アンドレもアランが見ている扉を見ると板に書かれた文字を見て呟いた。。
「 “オンドリの尻尾”? これが・・・店の名か?」
「けったいな名前だな・・・よし!気に入った。ここにしようぜ。」
「ああ・・・・」
二人は重い鉄の扉を開けて中に入った。

中は狭かった。
直線のカウンターに10席ほど、客はいなかった。
そして、その奥の突き当りの壁には自分達が入ってきたのとまったく同じ扉があった。
shakerカウンターの中には奇妙な服装 −変わった襟と袖の白いシャツに黒のチョッキに黒いズボン−の男が銀色の楕円形の筒のような物を手首のスナップを利かせてシャカシャカと振っていた。
男の背後の壁は飾り棚になっていて、そこには二人が見たこともないような・・・様々な種類の酒瓶が並べられていた。
二人は不安げに顔を見合わせた。
「どうぞ奥へ。」カウンターの男は言った。
二人は席についた。
男は言った。
「何になさいますか?」
二人はまたしても顔を見合わせた。
アンドレは言った。
「酒の種類だろう?ジンでいいか?アラン。」
「ああ。」
「それじゃあジンを。」
「ジンベースのカクテルですね。お任せですか?」
男の言葉にアンドレは驚いて尋ねた。
「カクテル?酒に何か混ぜて飲むやつか?ここは・・・普通の酒場じゃないのか?」
「ええ、ここはカクテル専門店ですから。」

別の所へ行こうという話も出たのだが、結局二人はここで飲む事にした。
男に “カクテルを飲んだ事がないなら是非一度試してみては?” と強く薦められた事と・・・
アランの “高いんだろう?” の言葉に、男が “他で飲むより安くしますから” と答えた事が理由だった。

shaker男は2本の壜を出して、金属製の・・・多分計量カップだろう、それで分量を測って先程の楕円形の物に氷と一緒に入れた。それから蓋を閉めると彼らが訪れた時やっていたように不思議な振り方でシャカシャカ振った。
それからそれをカウンターの上に置くと蓋を開け、中の液体を氷がグラスに入らないよう器具を使って注いだ。
液体を注がれたグラスが、二人の前に出された。
「ではまずこちらを・・・ギムレットです。」
二人は飲んだ。
「なんだこりゃ!甘い!甘すぎだぜ!」
アランは叫んだ。
アンドレはなんともいえない顔をしてグラスを中身を見つめた。
「ジンとライムジュースです。フレッシュライムを使用する店が多いのですが、当店ではビン詰めライムジュースを使用します。それはとても甘いので有名なものでして。ですからギムレットをお好きな方でもそうおっしゃいます。」
「で?それでも出すのか。」
「ええ。とにかく男性お二人で来られてジンベースでお任せであれば、まずこれです。ギムレットは・・・友と飲む酒ですから。」
男は答えた。
「友?俺とこいつはそんなもんじゃねえよ。」
「こんな酒でも・・・友となら飲める?」
「解釈はご自由に・・・・・」
男はそれ以上言わなかった。
「酒を飲むのにあーだこーだ考えなくてもいいんだよ。」
アランはそれを飲み干した。
「今度は甘くなくて・・・強いやつな。こいつも一緒でいい。」
「おい!アランおれは・・・」
「今日は俺のおごりだ。」
アンドレは肩をすくめた。
男は何も言わず新しいカクテルを造りはじめた。

「アースクェーク、地震という意味です。」
男は新しいカクテルを出して言った。
「地震は、地面が揺れる自然現象ですが・・・・・ところで、お国はどちらで?」
「フランスだ。何をあほな事を・・・」
「申し訳ありません。あのドアからは色々な国の方がおいでになるので・・・・・・」
「外人相手の店なのか?そうだろうな・・・」
アランは納得した。
「ええ・・・まあ。地震は、フランスではほとんど知られていない自然現象ですね。」
アランは一口飲んで言った。
「いいじゃねえか!これはいける。」
「・・・おまえは・・・・オスカルと同じか?」
「なんだ?隊長と同じって・・・・」
「いや・・・・おれとは違うってことだ。アニスの風味がするな。これは・・・・」
アンドレは言った。
「ジンよりウィスキーが少し多めなのですが・・・それとアニス酒です。」
「酒が3つ。強いはずだ。・・・そうか、地面が揺れるというのは酔ってふらふらと・・・・」
「俺は大丈夫だぜ。」アランは平然と言った。
「おれは・・・大丈夫じゃないな。」アンドレは溜息をついて答えた。

相変わらず、他の客は誰一人来なかった。
店は二人の貸切だった。

アンドレはこの店の明かりが・・・かなり変わっている事に気づいた。
天井には15センチほどの丸い穴が等間隔で開いており、そこから光がカウンターテーブルを照らしていた。
飲みながら彼は考えた。
中に蝋燭?いや、それにしてはあの穴から漏れる光は明るすぎる。
一体どうなっているんだ?
 「なあアンドレ、お前・・・・あの女の何処がいいんだ?」
アンドレは飲むのを止めて、アランを見た。
「お前がおれに聞くのか?」
アンドレはおかしそうに言った。
「何がおかしいんだ?」
「分かっているのにおれに聞くからだ。」
「俺じゃねえ、お前の事だ。わかんねーから聞いてるんだ!」
アランは怒って言った。
「アラン、明るくてかわいい娘にしろ。お前だけを見て、お前だけを思ってくれるような・・・・・・」
「お前が俺に言うのか?」
「おれだからお前に言えるのさ。」
アンドレはグラスの中身を飲み干した。

テーブルに新しいカクテルが出された。
ほとんど無色に近い黄金色のそれには、オリーブが1つ入れられていた。
「これは?」
「マティーニです。ジンとベルモットです。オリーブはお好みで。」
彼らはマティーニを飲んだ。
「・・・旨いな。」
アンドレはそう言って一口飲んだ。それから
「オスカルが気に入りそうだ。」
と付け加えた。
アランは3口ほどでマティーニを飲み干した。
「もう一杯貰おう。」
「どうなさいますか?エキストラドライにもできますが?」
「超辛口?それは一体・・・」
「マティーニをお好きな方はベルモットの量を限りなく少なく、つまりエキストラドライを好まれる方が多いのです。」
「なるほどな。おもしろそうだ。そいつを貰おう。」
「おれは・・・」
「お前もそれだ!もう一つ同じのを。」

男は先程と同じような作業を始めた。
ただし、ベルモットだけには手をつけなかった。
大き目のコップのようなものの中で氷によって冷やされたジンは、オリーブを入れたグラスに注ぎ入まれ、レモンピールされた。
グラスがそれぞれの前に置かれた。
そして、カウンターの中からベルモットの壜が取り出され、二人の間に置かれた。
「どうぞ。」
二人は顔を見合わせた。
「ベルモットを・・・どうするんだ?」
「眺めてお飲みください。」
男は言った。
「・・・眺めて?ジンを飲むのか!」
「ええ、そうです。一つ忠告が。真正面から見て飲むと甘くなりすぎるので、横目でチラッとどうぞ。」
二人は忠告に従い、横目でベルモットの壜を見て・・・グラスの液体に口をつけた。

「・・・なるほど。確かに超辛口だな。」
アンドレは笑った。
「こりゃただのジンだぜ?あんたが考えたのか?」
アランは男に聞いた。
「50年ほど前イギリスが戦争をしていた頃、その影響でイギリスにはフランスからベルモットが入ってこなくなったそうです。どうしてもマティーニが飲みたい。しかし、ベルモットはまったく手に入らない。手元に残っているベルモットを飲んでしまう訳にはいかない。そこで・・・・という話があります。」
「そこまでして欲しいのか?我慢するにも限度ってもんがあるぜ。」
アランは呆れた様子で言った。
「“惚れたものに対してはいくらでも愚かになれる、どのような忍耐が伴おうとも”そういう方もおられます。」
男は答えた。
「・・・愚か、だな。」
アンドレは男の言葉に苦く笑った。
アランはアンドレを見た。
それから彼は、緑色をしたベルモットの壜に目をやった。
「なあ、グリーンじゃなくて・・・・ブルーの壜はあるか?ベルモットの。」
アランは聞いた。
「・・・小さな蔵元で作られた物でしたら。かなり甘口ですが。」
男は棚からサファイアブルーの美しい壜を取り出してアランに見せた。
「よし!それでマティーニを作ってくれ。ドライじゃない普通のやつを2つ。」

「・・・・・・傷はいいのか?」
アランはカウンターの中の男がマティーニを作るのを見ながら言った。
「ああ、もう3週間になるからな。」
アンドレは答えた。
「人の好意を無にするからだ。」
アランは言った。
「お前には悪いが、これはおれの役目だよ。」
アンドレは笑って答えた。
「その目でいつまで続けるつもりだ?また何かあったら・・・今度こそ死ぬぞ。」
アンドレはアランを見た。
それから、自分とアランの間に置かれたベルモットに目をやった。
「・・・・・おれの役目だよ。」
彼はそういうと、グラスの中身を飲み干した。
アランはそれを横目で見ながら、黙ってドライマティーニを口に運んだ。

マティーニが出された。
男はジンとサファイアブルーのベルモットを片付けようとした。
「ベルモットの壜はしまわなくていい。それを、こいつの真正面に置いてやってくれ。」
男は黙って壜をアンドレの真正面に置いた。
「アラン、どういうことだ?」
「超辛口はウンザリだろ?たまには超甘口もいいと思うぜ。」
アランはそういうとマティーニを飲んだ。
アンドレは自分の目の前に置かれたサファイアブルーの壜を見た。
先程は気づかなかったが、天井から当たる光で壜の色は・・・・彼の知る瞳の色と、とてもよく似ていた。
「今日は俺のおごりだからな。文句は言わせねえ。」
マティーニを飲みながらアランは言った。
アンドレは苦笑した。
それから
「・・・ありがたく頂戴するよ。」
そういって、サファイアブルーの壜をしばらく見つめ、マティーニを口にした。

結局、彼らがそこで飲んでいる間中、客は一人もやって来なかった。
そろそろ帰ろうということになり、勘定は約束どおり・・・・アランが支払うことになった。
料金は男が言った通り安かった。
実際の所、一人で飲むのよりずっと少ない金額だったのだ。
 「なあ、これでやっていけるのか?」
アランは心配そうに言った。
「ええ、十分ですよ。」
男は笑って答えた。
「カクテル、美味しかったよ。」
アンドレは言った。
「ありがとうございます。」
「それと、先程のマティーニの話なんだが・・・・」
「おい!扉が開かないぞ。」
アランはびくともしない扉を何とか開けようとしながら言った。
「いらしたのはそちらではありませんよ。」
男は言った。
「ああ?こちらの扉は使えないのか。」
「ええ、まあ。」
男は曖昧に笑った。
「それじゃまた寄らせてもらうな。」
「ええ、再びお会いできるのを楽しみにしております。」
二人は自分達が来た方の扉を開けて外へ出た。

「どうした?」
店を出てから何か考え込んでいるアンドレに、アランは聞いた。
「なあ、50年前イギリスと戦争なんて・・・・してないよな?」
「そういえば・・・・まあいいじゃないか。いい間違えたんだろう?」
「ああ・・・・多分、そうだな。」

数日後、アランは再び 「オンドリの尻尾」 へやってきた。
しかし、確かにあったはずの場所には壁があるだけで、あの・・・錆びた鉄の扉はなかった。
アランは場所を間違えたのだと思い、今度はアンドレを引っ張ってきたが、アンドレの覚えていた場所も自分と同じ壁のある場所だった。
二人は方々探し歩いたが、とうとうあの錆びた鉄の扉を見つけることは出来なかった。

―The end―

カクテル(Cocktail)の名の由来は一説によると雄鶏の尾羽(tail of cock)からだと言われている。