オスカルは、おれの視力が悪くなっているのを知っている。
視力は間違いなく低下すること、そしてそれは目の酷使の状態によって低下の度合いが変わるというラソンヌ先生の診断は、もう一つの件とは違いオスカルにも伝えられたから。

だから、目を使うような仕事は必要最低限しかさせられなくなった。書類の整理や書きものもそうだし、剣の練習に至っては皆無だ。
その為に今まで気づかれずにきた。でなければ、とうに知られていただろう。

 弾薬袋から弾を取り出すと、それを噛み切って口に銜えて火皿に点火薬を入れる。それから、込め矢を引き抜いて銜えた弾丸を銃身にいれると引き抜いた込め矢で弾丸を押し込んだ。込め矢を元に戻して構える。
銃を構えた先にあるのは的だ。しかしそれはもう、ぼんやりと白く霞んでいるだけのもので、おれはそれに向けて引き金を引く。

 ダァーン! 

 おれはまた弾薬袋から弾を取り出すとそれを噛み切って口に銜えると火皿に点火薬を入れて、撃つ為の準備をする。

 もう一つの件は・・・あの時はまだ可能性という選択肢の一つに過ぎなかったし、必要以上に自分を責めていたオスカルには話すべきではないと判断してくれた先生におれは心から感謝している。
どうあがこうともこうなる運命だったのだ。左目を失った時点で、失明のリスクは少なからずあったのだから。
弾を込め終えると、おれは銃を構えて撃った。

 ダァーン! 

 音が響く。こんな音よりも、的に当った音が聞き取れればいいのだが。
おれは弾薬袋からまた弾を取り出すとそれを噛み切って口に加えると、火皿に点火薬を入れた。

 聴力は次第に鋭くなった。目の代わりに耳を澄ますから。どんな些細な音も聞き漏らさないように。人の声、ドアの開閉、ペンを走らせる音。足音。それから・・・
だが、的に当る音までは無理だ。

 おれは、込め矢を引き抜いて気がついた。
音・・・足音だ。近づいて来る。複数?いや、1人だ。これは・・・アランだ。
おれは耳を澄ませてそれからクスリと笑った。いつもと違って覇気のない歩き方だ。
くわえた弾丸を銃身に入れるとおれはアランに尋ねた。

 「どうした?退屈そうじゃないか、アラン。」
 「まあな。最近は忙しすぎて時間が空くと持て余しちまう。」 アランは答えた。
おれは込め矢をしまい、銃を構えると撃った。

 ダァーン! 

 おれはまた、先程と同じ作業を繰り返す。
アランは余程時間を持て余していたらしく、黙っておれの作業を見ていた。
どの位時間が経ったのか、10発ほど撃ち終わって弾を込めようと込め矢を引き抜いた時、アランは唐突に口を開いた。

 「聞いたか?リヨンの暴動。」
 「いや。」 おれは込め矢で弾丸を押し込みながら答える。
 「止めに行かされた兵士のうち9名が死んだそうだ。」
 「そうか。」
おれは返事だけ返すと、込め矢をしまった。

 暴動や反乱は、どこかで毎日起こる。
パリでもいずれ起こるだろう。近いうちに・・・・大規模の暴動。
おれは立ち上がって撃つ位置を離れた。目を瞑り元の位置に戻ると銃を構え引き金を引く。

 ダァーン! 

 「アンドレ、話にならん。」 アランが言った。
 「そんなに外れたのか?」 おれは少し驚いてアランに尋ねた。
 「ああ。一歩間違えば同士討ちだ。」
おれは小さく息をついた。撃つ位置が分からなくなると駄目だ。うまくいかない。

 もう一度弾薬袋から弾を取り出すと噛み切って口にくわえる。
同じ作業を繰り返して、先程と同じ一旦撃つ位置を動いて目を瞑り、銃口を的と思しき方向に向けて撃つ。

 ダァーン! 

 アランは今度は何も言わなかった。
もう一度撃とうとして弾薬袋を探る。しかし中はもう空だった。
おれは立ち上がると的に向かって歩いた。

的に近づくと、おれはそれに触れて弾痕を確かめる。
おれは嬉しくなって1人ほくそ笑む。
昨日と同じで、全部中心からは大きく外れていた。だが、ほぼ横に一列に集弾している。
おれは的に目を近づけて数を数える。それから気づく、21発も当っていない。ああクソ!今日はうまくいったと思ったのに。

 「アンドレ、隣の的だ。その隣の的もだぞ。」
アランの言葉におれは唇を への字に曲げた。そして隣の的まで行くと目を近づけて数を数えた。8発。だが高さは揃っている。そしてその隣の的も同じように確かめた。こちらは4発。そして、的に当らなかったのが8発。つまり・・・5発に1発は派手に外れる勘定だ。
おれが的を換えて戻ると、アランはまだそこにいた。

 「何か用でも?」
 「うまくなったものだと思って。上下のブレはほとんどなくなった。」
アランの声に感心した様子があった。おれは銃を持ちながら笑って答えた。
 「方向が定まらない。5発撃つごとに1度は確実に外れる。」
 「目瞑ってそれだけ撃てりゃ十分すぎるくらいだぜ?」
 「だが動くと駄目だ。方向が分からなくなる。」
 「おいおい!俺達と同じように撃つつもりか?」
 「ああ。皆と同じように撃てないと意味がない。」
でないと、何もならない。オスカルを守れない。
 「誰かに指示してもらえ。そうすりゃ当る。間違いない。」
おれはクスリと笑った。
 「誰に?」
 「隊長がいるだろう。」

 おれは銃をアランに突きつけた。だがアランは平然とした様子でおれに言った。
 「弾が入ってないぜ。」
 「バイヨネットが見えないのか?」 おれはアランを睨み付けた。
 「まったく!冗談の通じない奴だぜ。」
アランは両手を派手に動かしておれに降ろすように指図した。
おれはアランを睨み付けたまま突きつけた銃を降ろした。アランはフゥと息をついてそれからおれに言った。

 「何かあった時は俺が指示するから必ず俺の側にいろ。一応お前も衛兵隊の隊員だし、俺には班長の立場があるからな。分かったな。」
アランはそれだけを一気に言うと、ふて腐れた様子で付け加えた。
 「言っておくが、同士討ちは困るからだぞ。それだけだ。」
 「・・・すまない。」
 「だから言ったろう!俺は・・・」

 アランは何か言おうとしたが、何も言わなかった。それからほんの少し間があって  「珍しく会議が早く終わったようだぜ。」 と言った。
おれは射撃場の入り口を見た。
目を細める。人影、頭が金色だ。オスカルだ。でも、どうしてここへ?

 「・・・おかんむりだぞ。」 アランがおれに囁いた。
 「会議で何かあったのか?」 おれはアランに尋ねた。
 「そんな所だろう。とにかく俺は八つ当たりされるのは御免だからな。」

 オスカルの足音が近づいて来る。少しずつだが姿が分かるようになる。
オスカルはおれ達の前まで来ると立ち止まった。
アランはオスカルに敬礼をするとすぐにその場を立ち去った。
オスカルはアランの後姿を見送るとおれを見た。

 「熱心だな、アンドレ。」
オスカルの声。ああ!本当に機嫌が悪い、それもかなり。
 「オスカル、会議で何か?」
 「ああ。終了後、閣下からお褒めの言葉をいただいたぞ。片目しか見えないにも関わらず、毎日毎日、銃の訓練に余念がない兵士がいるとな!」
オスカルの声が怒りを爆発させた。
ええい、くそ。一体誰がそんなつまらない事を将軍の耳に入れたんだ?

 「何故だ?」
オスカルはおれに詰問した。おれは肩をすくめてみせた。
 「さあ、どうして将軍が知っているかなんぞ、おれには分からないよ。」
 「わたしは何故毎日銃の練習をしているのかと聞いているのだ!」
オスカルの声が一段と怒りを含んだ。
 「うまくなりたい。」
 「狙撃兵にでもなるつもりか?」
 「まさか。人並みにって事だよ、オスカル。」
 「必要ない。」
 「それはないだろう?オスカル。」

 「必要ない!射撃がどれほど目に負担をかけるか分かっているのか!」
オスカルがおれを怒鳴りつけた。
 「たまにならいい。だが毎日だ!射撃場の管理台帳を見たら非番の時も来ているじゃないか!!これ以上目が悪くなったらどうする!それでなくともお前の目は・・・」
怒りで声が震える。
 「分かっているだろう!」

 「大丈夫だよ、オスカル。」
 「何が大丈夫だ!前よりずっと悪くなってるだろう!わたしが知らないとでも思っているのか!」
 「それは仕方ないよ。ラソンヌ先生も仰っていたじゃないか。」
 「酷使の状態によって低下の度合いが変わる!忘れたか!これ以上悪くなったら、わたしは・・・」
声が震えて掠れる。不安が伝わる。

 「無理はしてないよ。そんな事をして何になる?おれだって、顔を近づけないとおまえの顔がはっきり見えなくなるなんて真っ平ごめんだぞ。」
おれはそう言ってオスカルに笑いかけた。
オスカルは黙り込んでいたが、少ししてようやく口を開いた。
 「・・・その言葉、絶対に忘れるなよ!」
 「ああ、勿論。分かっているよ、オスカル。」
おれはもう一度笑った。これ以上できないくらい。安心させる為に。

 オスカルはもう何も言わなかった。踵を返すと黙って歩く。
おれも黙ってオスカルの横を歩いた。
おれは歩きながら横目でちらりとオスカルを見る。
ぼんやりと霞む姿。
本当はもう、顔を近づけないと前のようには見えない。

 風が微かに吹いた。
それがオスカルの髪を揺らしたのだろう。オスカルの香りだけ運ぶ、おれの元まで。
もう少ししたら・・・声と、これがおれに残された総てになる。おれの目はもうじきに見えなくなる。

 オスカル、おれのオスカル。
おまえの顔が見えなくなる前に。髪の金色も瞳のサファイヤも、白い顔もばら色の指も分からなくなる前に!灰色の世界になる前に!すぐ目の前で、触れるほど目の前で、ちゃんと触れて確かめたい!
何だっていい!どんな理由でもいいから!今すぐに!届く距離なんだ!
届く距離なのに・・・

 「もう少しうまくなったら、おまえに見て欲しいな。」
胸が痛んで、あんまり痛くて馬鹿なことを口走る。
もうそんな状態じゃない、頻繁に見えなくなるのに。

 「今のままでいい。」
 「だから、うまくなったらだよ。」
オスカルの顔が俯いた。
 「うまくならなくていい。おまえはわたしの側にいればいいんだ。」
急に声のトーンが落ちて囁くように。
 「いつも側にいるじゃないか。何を言い出すかと思えば。」
おれは何も気づかないふりをして陽気に答える。

 オスカルがおれを見つめた。多分おれを睨んでいるのだろう。
おれは肩をすくめて笑ってみせる。
オスカルは何も言わなかった。おれを見るのを止めて黙って歩く。
そしておれは、オスカルの少し後を歩く。気づかれぬように注意して目で追いながら。

 あとどの位、こうやって側にいられるのだろう?
いずれ出動の命が下る。
見えていなければその時が最後、おれの役目は終わる。
それまで側にいる為に、その為にはおまえに気づかれないように、絶対に気づかれないように。それだけがおれに残された唯一の・・・・

 「アンドレ。」
不意におれの名前を呼んで立ち止まったオスカルに、おれも慌てて立ち止まった。
 「な、何かオスカル?」
するといきなり右手を捉まれて、おれは驚いてオスカルの顔を見た。
オスカルの手がおれの手をぎゅっと握った。

 「いるだけでいい、いてくれるだけで。わたしは・・・それだけでいいのだぞ?」

 オスカルの声は優しくて、それは誤解しそうなくらい優しくて切ない声で。
抱きしめて“愛しているよ”と言いたいのを悟られないように、おれは目を伏せて 「ウィ」 と返事だけ返した。

銃について
この当時、兵士が持つ銃はフリントロック式(火打石を使って発火させる方式)のマスケット銃(ライフルの前身)。今の銃とは違い、弾を1つずつ“込め矢”という細い棒もようなもので銃身に詰めては撃つというもの。弾は火薬と弾丸を紙で包んだもので、火薬に着火しなければならないので、包んだ紙を歯で噛み切って銃身に詰めなければならなかった。・・・というようなことらしいです(^_^;)
バイヨネット
銃の先につける剣の事。銃剣。