アランが店の扉を開けると 「いらっしゃいませ。」 という子供の明るい声が響いた。
そこにはくせのある黒い髪に大きな黒い瞳をした、まだあどけなさが残る10歳位の少女が立っていた。アランはその少女をじっと見つめた。

 「贈り物ですか?それとも家使いですか?ミュゲも沢山入りましたよ。」
アランは気づいて店内を見回し、その少女しかいないのが分かると彼女に尋ねた。

 「親父さんか、おふくろさんは?」
 「父さんは配達に出ています。母さんは家です。もうすぐ赤ちゃんが生まれるんです!」
彼女は嬉しそうに答えた。
 「そうか。親父さんはすぐに戻ってくるか?」
 「30分くらいで戻るからと言っていました。」
それを聞いてアランは考えこんだ。

 「あの、花束ならわたし出来ます!本当です!何でも言ってください。わたし大丈夫です!まかせてください!」
少女は熱心に言った。
それは懇願に近く、アランは苦笑すると 「では百合はあるか?時期が早いがここならあるかもしれないと聞いて来たのだが。」 と尋ねた。
 「はい、あります!こちらです。」
少女は元気よく返事をすると店の奥へアランを招き入れて百合を見せた。

 「6月になれば露地栽培のものが入りますが、今はこれだけです。」
少女はそう言ってから説明を始めた。
 「これがカンディウム。普通のユリです。そしてこちらがロンギフローラムです。形がきれいでしょう。ラッパに似ているんですよ。それからこれはレガレです。花の中心が黄色です。」

 「百合など1つしか種類がないと思っていたが・・・」
それを聞いて少女は頷いた。
 「ロンギフローラムとレガレは東洋のユリでフランスには最近入ってきたばかりなんです。どれにしますか?」
アランは3種類の百合の花を見比べると考え込んだ。暫くして彼は一つの種類を指差して言った。
 「これを全部包んでくれ。」

 「ロンギフローラムですね。贈り物ですか?」
 「・・・ああ。」
アランは目を伏せると答えた。
 「どんな感じにしますか?」
少女は尋ねた。
 「普通に包んでくれればいい。」
少女は花を容器から取り出そうとするのを止めてアランを見た。

 「ムシュウ、贈る方の好みとか雰囲気が分かればそれに合わせて包みます。相手の方もそのほうが喜ばれますよ?」
少女が自分に助言でもするように言ったのでアランは思わず苦笑した。
多分、父親か母親がいつもそう言っているのだろう。

 「そうか。それではお前に任せよう。名前は?」
 「ディアンヌです。ムシュウ。」
 「ディアンヌ?」
 「はい!」
アランは少女を見つめた。それから不意に表情が変わった。不機嫌そうなきついまなざしが消えて、彼は子供のように笑った。
 「そうか、ディアンヌか。いい名前だな。よし!ディアンヌ。俺はこういうのはよく分からん。だからお前の好きなように頼む。」

ディアンヌは嬉しそうな顔をすると 「はい、ムシュウ!」 と元気よく返事をした。
そしてアランに 「聞いてもいいですか?」 と、尋ねた。

 「何だ?」
 「相手の方はどんな感じの人ですか?」
アランは少し考えて、懐かしむように答えた。
 「・・・強い人だった。」
 「男の人ですか?」
アランは笑った。先程ディアンヌに笑いかけた子供のようなそれではなかった。だが、優しげな笑顔だった。

 「いや、女性だ。強くて、それでいて優しくて・・・とてもきれいな人だ。」
 「強くて優しくてきれいな人ですか。髪の色とか目の色は?」
 「・・・黄金の髪、サファイヤの瞳。透けるような白い肌に・・・唇は真紅。」
アランは遠くを見るようなまなざしで答えた。
少女は少し驚いたようにアランを見た。

 「ムシュウって・・・ロマンチストですね。」
アランは気づいて苦笑いした。
 「言ったのは俺じゃない。俺の友人だ。そいつからくどいくらい聞かされてな・・・それでつい。まったく!あの馬鹿は恥ずかしげもなく平然と・・・」
 「でも・・・お友達でしょう?」
ディアンヌは少しだけ咎める様なまなざしでアランを見た。アランは慌てて弁解した。
 「いや、ディアンヌ。言葉通りの意味ではない。つまりだな、あいつは・・・」
アランは微かに笑った。
 「あいつは俺の親友だ。そしてロマンチストだった。呆れるくらいな。」
 ・・・あの人だけに。

 「ロンギフローラムが似合いそうですね。」
アランは怪訝そうに少女を見た。
 「お友達じゃなくて、ムシュウが花を贈る方です。」
 「・・・・何故だ?」
ディアンヌは首を傾げた。
 「白が似合いそうだから。あとは・・・なんとなくそんな気がして。」

ディアンヌは作業台まで花を運ぶとその上にあるバケツに花を入れた。それから隅から台を持ってきて作業台の前に置くとそれに乗った。
そして彼女は、エプロンのポケットから鋏を―それは小さめの鋏だった。多分彼女の専用だろう―を取り出すと、花を手に取って慣れた様子で鋏を入れて花を整えて始めた。
余分な葉を切り落とし、バランスを取りながら花を束ねボリュームを出していく様子を、アランは感心して眺めた。

 「すごいな。」
ディアンヌは恥ずかしそうに笑った。
 「でも父さんはまだまだだって。ムシュウの恋人ですか?」
アランは驚いてディアンヌを見て、それから苦笑した。
 「いや、違う。そんなんじゃない。」
 「でも一番好きな人ですよね。」

ディアンヌは花を紐で縛ると、作業台の幅の広い引き出しを開けた。中には紙が入っていた。ディアンヌはすぐに引き出しを閉めると今度はその下の引き出しを開けた。彼女はそこからパラフィン紙のような半透明に透ける白い紙を何枚か取り出すとアランを見た。

 「どうでもいい人に花を贈る時って・・・みんな “適当に見繕ってくれ” とか “見栄えがすればいいから” って。だけどムシュウは、花を選ぶ時も一生懸命考えていらしたし、それに・・・とっても優しい目だったから。」
彼女は笑った。
 「父さんが母さんを見る時と一緒。」

アランは一瞬、照れくさいような恥ずかしいような顔をした。しかしすぐに気難しい顔を作ると 「そんな事はない。きっとお前の親父さんの方が数倍優しい目だと思うぞ。」 と、答えた。
ディアンヌは楽しそうに笑って 「でもムシュウもそうでした。ほんとですよ。」 というと紙の上に花を置くとそれを包み始めた。
アランは黙ってディアンヌが花を包むのを見つめた。

彼女は包み終えると、また1枚の紙を手に取り、バランスを見て最初に包んだ紙の上から包んだ。彼女はそれを何度か繰り返した。 ディアンヌは、作業台の後ろに並べられている沢山のリボンを見回して、その中から金色の中に銀が少し入ったような恐ろしく幅の広いシフォンのリボンを手に取った。
紙で包んだ花束をそのリボンで縛ると大きなリボン結びを苦労して作り上げるとハサミでリボンを切り揃える。そして形を整えるとディアンヌふうと小さく息をついた。
彼女はそれを両手で抱えると少し不安げな顔でアランに差し出した。

 「お待たせしました。」

透けるような白い紙は重なり合って微妙な濃淡を作り出していた。それはまるで大きな花弁のように百合の花を包みこんでいた。そして、花束をまとめている金色の大きなリボンがふわふわと揺れていた。

アランは満足げに頷いた。
 「あの人もきっと喜ぶだろう。」 
ディアンヌはそれを聞くとほっとした様子を見せた。
 「いくらになる?」
アランはディアンヌに尋ねた。

ディアンヌは頭の中ですばやく計算をするとアランに値段を告げた。
アランは財布を取り出すと、娘の言った金額とかなり多めチップを差し出した。
彼女は驚いてアランを見つめた。
 「こんなに素晴らしい花束ははじめてだ。メルシ、ディアンヌ。」
 「あ、ありがとうございます!ムシュウ。」
ディアンヌは嬉しそうに笑って答えた。

 大きな百合の花束には特大の金色のリボン。持つのは軍服を着た大柄の厳しい面構えの男。
アランとすれ違う人々は、アランと花束の組み合わせを不思議そうに眺めた。
そしてアランはその度睨み返し・・・
アランは気づいていなかったが、それが彼をよりいっそう目立たせることになった。

まったく!俺が花を持って歩くとそんなにおかしいのか?
アランは居心地悪そうに詰襟を弛めると抱えた花束を見た。
そうだ、一目を引くのはこの花の所為かもしれない。

その百合には、普通の百合の儚げで清楚な様子がすこしも感じられなかった。
特徴的なフォルムと存在感。そしてしんとした強さと威厳を感じさせる雰囲気。百合であって百合に在らざるもの。

 “ロンギフローラムが似合いそうですね”

不意に少女の言葉を思い出し、アランは目を伏せた。
ああそうだ。
だからいつもの百合でなくこれを選んだのだ。

 暫く歩いて、辻馬車の停車場を見つけたアランは御者に声をかけた。
御者がアランと花束を見比べたのでアランは彼を睨みつけた。
御者は慌てて返事をした。

 「だ、だんな!えーと、どちらまで?」
 「オ・ノン・ドゥ・ラ・ローズ・ディフュジオン通りの共同墓地までやってくれ。」
 「か、かしこまりました。」

アランは馬車に乗り込むと、隣に花を置いてふうと息をついた。
歩いてもいける距離だが、馬車の方が気が楽だな。
彼は呟いて、それから隣に置いた花束に目をやった。
再び少女の言葉が頭に浮かぶ。

 “白が似合いそうだから”

そうだ。あの人には、白がよく似合った。
だが気づきもしなかった。
濃紺と金モールの軍服姿だけが、俺の知るあの人だった。

アランは窓から外の景色を眺めた。

真っ白いベールが軍服を覆い隠して、まるで纏うように掛けられていた。
細かい目できっちりと編まれたレースの・・・誰が見ても分かる極上の婚礼用のベール
ロザリーが、あの人の母親のものだと言った。

 「ああ。なんてよく似合うんだ!」
誰かが感嘆するように声を上げて・・・

純白のベールが、唇に薄く塗られた紅と金の髪とよく合って、
きっとサファイヤのような青い瞳がさぞや映えたろう。
だが、もう二度と開かれることのない瞳。

 「花が欲しいな。」
言ったのは誰だったか。

 「棺に入れる花じゃない。花嫁が持つブーケだ。」
誰が言ったのだろう・・・

 「俺が!」

 「アラン?」
 「俺が探してくる。」
 「だけどアラン。もうミサまで時間が・・・」
 「すぐに戻る!」

何故俺は、花など探しに行ったのだろう?

じりじりと痛いほどの日差しの中、当てもなく走った。
街には武装した民衆。声高に革命を叫び、熱弁を振るう者。
街路の片隅には虚ろな目でそれを眺める浮浪者達。

花などない。どこにもない。
総ての店、家という家の扉は固く閉ざされて息を潜めていた。

それでも探して、探して探して・・・
ふと目に入ったのは少しだけ開けられた小さな木戸。
中をのぞくと庭の片隅にそれはひっそりと花を咲かせていた。

家の扉を壊れるほど叩いて、
ようやく顔をのぞかせた老人に、花を譲ってくれと頼んだ。
礼はするからと言って、
ポケットを探って出て来たのは銅貨が数枚。

 「棺に入れるのかね?」

老人の言葉で気づいた。
胸から溢れて俺の服が吸い取った。ぐっしょり濡れて肌にしみるほど。
あの人の血が染み込んだままの・・・俺の服。

 「・・・友人かね?」
 「いえ!あの人は俺の・・・」
 “隊長でした” そう答えるはずだった。

 「愛した・・・・」

アランは、目頭に指を押しあてると目を閉じた。
少しして、強い香りが馬車の中を包んでいるのに気づく。
アランは目を開けると隣に置いた花束を見つめた。

顔を上げると、目の前には百合の花束。
庭を見ると百合は全部切り取られていた。

 「行きなさい。さあ、早く。」

花を抱えて、
走って、走って、走って・・・

白い百合の花を持たせると、
あの人は微笑んだように見えた。

 馬車が がくん と揺れた。
馬が怯えて騒ぐのを御者がどう!どう!と抑える声がした。
暫くすると馬達も落ち着きを取り戻したようだが、馬車は一向に走り出す気配がなかった。

 「だんな、申し訳ない!」

外から御者がアランに声を掛けた。
 「どうした?」
 「いえね。轍に車輪がはまり込んじまいまして・・・ちょいと時間がかかりそうなんですよ。どうされますか?」
アランは少し考え込んだが、
 「ここで降りる。」
と返事をして花を持つと外へ出た。

丁度その時、彼の背後から歓声が聞こえたので彼は振り返った。
そこには小さな教会があった。
歓声はそこからで、晴れ着を着た男女が皆の祝福を浴びて教会から出て来たところだった。

 「結婚式ですね。ほら!花嫁の幸せそうな顔ときたら・・・」
御者は感慨のこもった声で言った。
アランも頷いた。それから目を細めて  「最近は白の晴れ着が多いようだな」 と言った。
御者は 「ええ。そのようですね。」 と返事をして花嫁を見た。
 「あたしゃ、婚礼衣装は華やかな方がいいと思っていましたが・・・こうして見ると白というのもいいですねえ。」
 「ああ、そうだな。」

それからアランは御者に料金を渡すと教会へ向かって歩いた。
彼が向かう方向から花婿と花嫁が進んでくる。
子供達が籠に入った花を撒いて先導する。周囲からは歓声と祝福の声が絶え間なく続く。

アランは花嫁と花婿の横を通り過ぎる時、ちらりと彼らを見た。
嬉しそうな花婿。そして、幸せそうに微笑む花嫁。
その手には純白の百合。
聖母マリアに捧げる・・・花嫁の持つ花。

あの人もこうなるはずだった。

 “この戦闘が終わったら・・・・”

あの人が奴に囁いた言葉は、すぐ側にいた俺にも届いた。
あの人は、幸せになるはずだった。

 教会の横を抜けて暫くすると墓地が現れた。
アランは入り口に立つと、どこかおかしな所がないか自分の姿を見回した。
そして詰襟を直すと彼は墓地に足を踏み入れた。

共同墓地の墓碑は取って付けたようにどれも同じ、小さな石に名前が彫られているだけだった。
彼は墓地の中をゆっくりと歩いた。そしてある墓碑の前で立ち止まるとそこにある名前を読んだ。

 フランソワ・アルマン

そしてまた彼はゆっくりと歩き、再び立ち止まる。彼はまた墓碑の名前を読んだ。

 ジャン・シニエ

彼は時々立ち止まり、それを何度も繰り返した。

 オスカル・フランソワ
 アンドレ・グランディエ

アランは、二人の名前が一緒に刻まれた墓碑で立ち止まると周りを見回した。
そこは他の墓碑に比べて手入れが行き届いていた。
アランは微笑むと、膝を折り手に持った花束を墓碑の前に置いて墓碑を見た。

 「隊長、すみません。なかなか来られなくて。」
それから彼は花を見て苦笑した。
 「毎度この花で芸がないんですがね。今年はちょっと違うでしょう?東洋の百合だそうです。ディアンヌという子供が花束を作ってくれたのですよ。その子は・・・」
アランは嬉しそうな顔をした。
 「似ていました、妹に。」
彼は優しい顔のまま続けた。
 「ディアンヌは、あなたには白が似合うと言っていましたよ。」

いや、ディアンヌだけじゃない。皆、白が似合うと言うだろう。
俺もそう思う。
だが、奴なら・・・
アランは不機嫌そうに言った。

 「あなたの隣にいる馬鹿は、何でも似合うと言うでしょうがね。でも俺は・・・」

そうだ、俺は・・・
アランは照れくさそうに笑って目を伏せた。

 「軍服のあなたが一番きれいだと思います。」

5月の風が心地よく吹き抜ける。
アランは長いことその場に佇んでいた。

ようやくアランは立ち上がると、かかとを合わせ直立不動の姿勢を取った。

 「これからツーロンへ向かいます。」

アランは敬礼をすると踵を返し、墓碑に背を向けた。
彼はもう振り返らず、そのまま墓地を後にした。
誰もいなくなったそこに風が吹いて、金のリボンと白い百合の花を揺らした。

Memo

以上、毎度の事ながらいい加減の上、都合のいいように解釈して書きました。すみません。