「アラン!」
その声にアランが振り向くと、いきなり剣が投げて寄越された。アランがそれを受け取ると続けてマスクが投げて寄越された。彼は難無く受け取るとそれらを自分に投げて寄こした人物を睨みつけた。
「何のまねだ?」
「士官学校で見たことがあるはずだが?」
オスカル・フランソワはアランに楽しそうに答えた。
「フルーレ剣*やマスクは、うらなり将校には必要だろうが!俺には必要ない。」
「これを使わないのなら、お前と剣の手合わせをする事はまかりならんと言われているのでな。」
フッと笑ってオスカルは答えた。アランは少し離れた所で、黙ってこちらを見つめている黒い髪の男を見ると見下したように笑った。
「剣の相手なら、その心配性の従僕にさせればいいだろう?」
「アンドレには剣の練習はさせられない。」
「剣も使えない奴が護衛とは笑わせるぜ。」
オスカルは目を伏せた。
「・・・少し前までは、そこそこの腕だった。」
彼女の言葉に、アランは彼の片目が見えなくなったのがつい最近であることを知った。この前の様子からも推測すると、この女の所為であいつは片目を失ったのだろう。
馬鹿な野郎だぜ。たかが女の為に、それも貴族の女だ。そんな女の為に何をしてやっても無駄なのに。
「片目を潰した時点で護衛の任を解くべきだろうが?隊長さんよ。」
オスカルは不思議そうな顔をしてアランを見た。その様子に、アランは自分が何か間違った事を言ったような妙な気分にさせられた。
片目しか見えない、剣も使えない、銃だってなってない。あんな奴に何が出来るというのだ?護衛をさせるのが間違っているだろう?俺は何もおかしな事は・・・
「・・・・そうか、護衛の任は解くべきか。」
オスカルはポツリと言った。アランは彼女がまるで、捨てられかけた子猫のような面持ちで考え込んだのを見て、今度は何とも後ろめたい気分にさせられた。
何故俺がこれしきのことで罪悪感に駆られなければならないのだ?俺はただあの片目野郎に護衛など出来ないと言っただけなのだぞ!
アランはその気持ちを打ち消そうとしてオスカルに言った。
「・・・剣の勝負は決着がついたろう?」
「お前と話がしたくてな。」
「俺には話す事なぞ何もない。」
「これなら多少の話題もあるだろう?」
オスカルは手に持った、フルーレ剣とマスクを見ながら言った。
「フラーズ・ダルム*でもお前とするのはお断りだ。」
アランは冷たく言い放った。
「そう言うなアラン。これならば少しぐらい口を聞いてくれてもよかろう?」
オスカルの自分を少し見上げて話す仕草も、低いが深みのあるよく響く声も、特にまっすぐに自分を見つめる青い瞳は、まるで何か魔法でも使えるかのようで・・・思わずウィと返事をしそうになり、アランはそれに負けまいとして半ば自分に言い聞かせるように答えた。
「絶対に、断る!」
「ならば先日の雪辱戦ではどうだ?」
これはまたしてもアランの心を揺らした。
互角の、若しくはそれ以上の相手との手合わせは彼の望む所でもあったが、そのような相手は隊には誰一人としていなかった。彼女の言う通り、先日の借りを返すチャンスでもある。
「どうだ、アラン?」
まっすぐに自分を見つめる真っ青な瞳が少し不安げにアランに映る。
これで断ったらひどくがっかりするだろう。そう考えてアランは慌てて否定した。
この女がどう思おうと俺の知ったことじゃない。
しかしアランは、またしても後ろめたい気分にさせられた。そして妹のディアンヌがたまに見せる、何か諦めたような悲しそうな笑顔が目の前にいる女と重なった。
ああ畜生、だから女は嫌なんだ!
こうやって力も無いのに望みのものを手に入れやがる。
「何本勝負だ?」
不機嫌そうに答えたアランに、オスカルは嬉しそうに笑った。
「5本でどうだ。」
アランはオスカルにマスクを差し出した。
「これだけは御免だ。」
オスカルはアランからマスクを受け取り、それから振り返るとアンドレを見てニヤリと笑った。それを見て、アンドレは諦めた様子で溜息を付いた。
剣を垂直に持ち、つばに口づけするような仕草の後、剣先を互いの相手にまっすぐに向けてサリュー*を終えると、二人は片足を踏み出して構えた。
オスカルは剣先を肩の高さに構え、アランは少し考えて剣を左手に持ち替えるとオスカルよりもさらに剣先を下げ、ほぼ水平に構えた。双方攻撃重視の構え。しかし、アランの方がさらに攻撃的である。
「Etes Vous Pret?」
オスカルの澄んだ声が練習場に響く。
「Oui!」
アランが答える。
「Allez!」
オスカルの合図で剣の手合わせは始まった。
最初の2本は、アランが左利きの利点を最大限に生かした。
1本目。長い攻防の末、アランはオスカルの右上段への攻撃をうまく剣ではじくとそのままオスカルの右肩口へ突きを決めた。
2本目。間合いを取りながら相手の攻撃をかわしていたオスカルだが、アランの攻撃を右下段でかわすと素早く突き返しを決めるべく剣を動かそうとした。しかし、互いの剣が同一線上になり邪魔をされて・・・これは左利きと戦う際起こりやすく、次の動作に移る際厄介である。オスカルは攻撃ではなく防御に回るしかなかった。
アランはオスカルの剣が中途半端に防御に回ったのを見とると、素早くそれも強くオスカルの剣を叩いて外側へはじいた。がら空きになったオスカルの真正面へアランのきれいな突きが決まった。
3本目。左利きに対し左上段への攻撃は危険だ。
後の無いオスカルはあえて左上段への攻撃を仕掛けた。アランはこれで決まる!と思ったのは一瞬で ―それはフェイントだった。うまくアランの剣を誘い出したオスカルは、手のひらを内側にひねるとアランの剣の内側を軽く叩き、自分に向けられた剣先を外させて自分はそのままアランの鳩尾へ突きを決めた。
息を切らしながらオスカルが言った。
「これで2対1だ。」
アランは剣の先に触って感覚を確かめながら不機嫌に答える。
「次、俺が勝てば決まる。」
「まだ3本だ。これからだぞ、アラン。」
オスカルは言った。
日差しは強かった。動くたびに二人の汗が地面に落ちた。
有利なのはアランだった。
フラーズ・ダルムによる手合わせは、戦い方も真剣とは違い様々な剣の型を駆使しての技の攻防を主とする。そういう点では、オスカルの多彩で正確な型から紡ぎ出される技は有効だ。
しかし、見た目の華麗さとは裏腹に剣の手合わせはフットワークを使ったスピードのある動きが要求される。
もはや4本目、時間が掛かるだけ体力的に劣るオスカルが不利だった。彼女はそれを技と身の軽さでなんとか凌いでいた。
繰り出される技は、まるで手本になりそうなくらい正確で多彩でそれから・・・
“剣は舞踊だ。これほど無駄の無い、それでいて優雅な舞いが他にあるか?”
アランは士官学校で剣の教師が言った言葉を思い出した。当時は半ば馬鹿にしてそれを聞いた。だが、その通りかもしれない。隙が無く研ぎ澄まされているのに優雅で華麗でそして・・・
美しい。
勝負において、一瞬でも気を逸らすのは敗北を意味する。
オスカルは、体重を前足にかけ地面を強く蹴って突きを決めようとしたアランの剣を身体を思い切り後にひねってかわした。それから手首を内側に押し出すようにして下から上へそのままの姿勢で背後へ突き返すと、その剣先をアランの脇腹に決めた。
「・・・今のは俺のミスだ。これで2対2だ。」
アランは肩で息をしながらオスカルに言った。
しかしオスカルは答えもせず、息を整えるのに力を使うのがやっとのようだった。
彼はまだ苦しそうに肩で息をしているオスカルを見つめた。
この暑さでは俺でもきつい。女のこいつにとっては・・・もう限界だ。
それでもここまで・・・男の俺と互角に渡り合える。
この女はこれだけの剣技を身に付ける為に、一体のどれだけの努力と時間を費やしたのだろう?
「・・・最後だ、アラン。」
オスカルの声にアランは我に返った。
2人は構え直して、最後の勝負を開始した。
5本目。オスカルはかなりの間合いを取った。その上、なかなか自分の方から仕掛けようとはしない。長引けばそれだけ自分が不利になるにも拘らず。
アランは考えた。
そして、自分が間合いを詰めて攻撃を仕掛けてくるのを待ってそれをかわして、背中へ突きを決める気だという結論を出した。それならば・・・・俺は、この女が防御にワザと隙を作るのに惑わされないようにして、体力を消耗させてミスを誘い出して決めればいい。
戦略としてはそれがベストだろう。女のこいつの体力ではもう限界だ。焦らず待っていれば・・・自滅する。
そして、アランは決めた。
次の瞬間、アランはオスカルの誘いに乗り懐深くまで一気に詰めた。オスカルはアランをぎりぎりまでひきつけると絶妙のタイミングで重心ずらし、思い切り身体をそらすと腕をアランの背中に向けて伸ばした。
アランも逃すまいとして剣先を彼女の脇腹に定めたまま腕を伸ばす。それぞれの突きがアランの左肩とオスカルの左脇腹に入る。
だが、オスカルの突きが僅かだけ早く決まった。
アランは肩で息をしながら、もっと苦しそうに肩で息をしているオスカルに剣を渡すとその場から立ち去ろうとした。
オスカルは、とても口の聞ける状態ではなかった。
だから彼女は目で 「待て!」 と合図してアランをその場に留めた。
アランは仕方なく待った。
「何故・・・・わたしの体力を消耗させてミスを誘わなかった?」
やっと呼吸を整えてオスカルは言った。
アランはその質問に不愉快そうに答えた。
「面倒だ。」
「面倒・・・か。・・・・済まなかったな。」
オスカルは目を伏せた。
「お前と戦うのがじゃない!!この暑さでこれ以上長引くのがだ。」
アランは思わず叫んで、それから決まり悪そうに押し黙った。
オスカルはアランを見つめると目を和らげて尋ねた。
「それでは次回は涼しくなったら・・・・どうだ?」
アランは慌ててオスカルの嬉しそうな顔から目を逸らすと 「好きにすればいい。」 とぶっきらぼうに答えた。
アンドレがアランの上着を彼に差し出す。
アランは何も言わず上着を受け取ると、それを肩に引っ掛けて練習場を後にした。
――――フェンシング、まるで分かってません。2人にさせたかっただけです。
| back |