末娘の肖像画 - Youngest daughter 1787 -

 ロザリーは22歳、もうとっくに嫁いでいてもおかしくない年齢だった。
しかし、彼女には意中の相手がいて、その人物以外には決して目を向けようとはしなかった。
その人物が、男ならまだよかったのだが・・・・・・・
 一番心配していたのは、マロン・グラッセ。それとジャルジェ伯爵夫人。
二人の間でどのような話しがされたのかは分からない。
とにかく二人は ”相手が女性だとしっかり認識できればよい”という結論を出した。
そしてマロン・グラッセは夫人に言った。
「お嬢様にドレスを着ていただきましょう。」と。

 「理由はよく分かりました。それで、何故わたくしがドレスを着ねばならぬのです!」
「まあまあ、オスカル。そんなに大声を出さなくても聞こえますよ。」
夫人はにっこり笑った。
オスカルは憮然とした表情で、押し黙った。
「ロザリーにはあなたが女性だと勿論判っていますよ、頭の中ではね。けれどそれを実感しているわけではないのです。このままロザリーが一生結婚しないなどと言い出したらどうしますか?あなたはそのような不幸なことになってもいいのですか?オスカル。」
「それは困ります。わたくしはロザリーの事を実の妹のように大切に思っているのです。」
オスカルは言い切った。
「そうでしょう?ロザリーには幸せになって欲しい思うでしょう?それなら、どんなことでも出来るわね?オスカル。ドレスを着るぐらいなんでもないわね。」
「そ、それは・・・母上・・当然です。」
「よかったわ!これですべてうまくわ。ばあや、聞きましたね。それでは打ち合わせ通りに進めて頂戴ね。それとアンドレ。」
「なんでしょうか?奥様」
「あなたはこれから1ヶ月間、ロザリーとオスカルを馬車でパリの別宅まで送迎をお願いね。」
「かしこまりました。」
「くれぐれもあの人には内緒よ。解りましたね。」

 「だから、オスカル様の肖像画を描いていただくんだよ。デュラン先生に。」
何を解りきったことを!と言うようにマロンはアンドレを見た。
「つまりね、奥様がせめて1枚ぐらいオスカル様のドレス姿の絵が欲しいとおっしゃって、オスカル様はその奥様の願いを叶える為にドレスを着る。だけど、だんな様にばれたら大変だから、パリのお屋敷でこっそり描いてもらうんだよ。それで、ドレスを着付ける為に口の堅い侍女が必要という按配さ。分かったかい、アンドレ!」
「なるほど!考えたな。で、ロザリーの出番になるわけか。」
「そういうことだよ!ああ!それにしてもしつこくドレスを作って待った甲斐があったね。あたしゃ本当に生きててよかったよ。」

ぐすんと鼻をすすると、マロンはこんな事をしてる場合じゃないという顔になった。
「どんなドレスにしようかね。ア・ラ・フランセ−ズかね。トルコ後宮風もいいね。忘れちゃいけない!女らしいく見えるように!これが一番大事だねえ。あと色は・・・・おや、アンドレ。お前まだいたのかい?ほら、さっさと仕事に戻って。ほれ。」

・・・・・2週間後、オスカルは渋々仕事を調整してパリへ行く時間を作り出した。
アンドレは二人を送っていき、3時間後また迎えに行くという仕事を1ヶ月近く続けた。
結局、アンドレはオスカルのドレス姿を見ることなく終わった。
その後完成した絵はジャルジェ伯爵夫人の元へ届けられたが、アンドレの目に触れる事はなかった。

■■■
 「では頼みましたよ。」
「はい、奥様。」
部屋を出て行く夫人を見送ってから、アンドレは改めて絵を ―ドレス姿のオスカル― を見つめた。
今度は先程と違い自分の想いを隠そうとはせず、いとしげに・・・・

オスカルのドレス姿は、これで2度目になる。
3週間前、オスカルはドレスを着て舞踏会に出席した。
名前を隠して外国の伯爵夫人として。
それが他の男の為であっても、彼は愛する人の美しい姿に酔った。
馬車に乗り込み舞踏会へ向かうまでのほんの少しの間、彼はその美しい姿を他人に気づかれぬようにそっと目で追った。
それすらも、彼には許されない事だったから。
けれど今は人目も無い。
例えそれがオスカル本人ではなく絵だったとしても、このように見つめる機会は彼にとってそうそうあることではないのだ。
「役得だったな。おれへのノエルの贈り物といったところだろうか?」
絵を見ながら彼はひとりごちた。

デュランは気に入らない絵があると、暫くしてから描き直す。
そして差し替えてくれと持ってくる。
昨年描いたこの絵は、満足のいく物ではなかったらしい。
今日はノエルだというのに、大きな絵を抱えてジャルジェ伯爵夫人の所へやってきたのだった。
そしてアンドレは夫人とデュランが話をしている間、デュランが絵を持ち帰る為の梱包を夫人から言い付かったのだ。

 絵のオスカルは、長椅子に持たれかかってどこか遠くを眺める物憂げ様子と、胸のあたりまで見える身体のラインを強調するドレスとが相俟って普段の彼女からは想像も出来ないほど艶かしくて、彼を・・・落ち着かせてくれない・・・・いたたまれないような気持ちにさせた。
そして華奢な肩、折れてしまいそうな細い腰・・・・
そう、そっと抱かないと・・・強く抱きしめたら壊れてしまう。
彼は思わず苦笑した。
我ながら呆れ返るな。想いを言葉にするのさえ叶わないのに、 “そっと抱かないと” など!よくそんな馬鹿な事が考えられるものだ。
アンドレは絵から目を逸らすと、それから一つだけ溜息を付いた。

時間は、あっという間に過ぎる。
名残惜しげに絵の梱包を始めて、ふと隣にあるそれに気づいた。
そこには白い布が掛けてある同じぐらいの大きさの絵があった。
新しい絵・・・差し替えられた方の?
彼は考えた。
彼の知る限り、新たに描き直された絵は前よりずっと出来がよいのだ。
見てもいいだろうか?そのくらいは許されるだろうか?

「アンドレが?」
デュランは顔を曇らせた。
「ええ。それが何か?」
「いや・・・なんでも。」
「もう梱包は終わったと思いますけど・・・どうぞ!こちらの部屋です。」
侍女はそういってデュランを絵の置いてある部屋へ案内した。
デュランが部屋へ入ると、アンドレはまだ梱包の最中だった。
デュランを見ると軽く会釈し、すぐに背中を向けて言った。
「すみません。今取り掛ったところで・・・もう少し待っていただけますか?」
「別にかまわんよ。」
デュランは部屋を見回した。
そして、白い布が掛けられたものを見つけた。
「これはわしが今日持ってきた・・・新しい方か?」
それを指差して彼は聞いた。
アンドレは包む手を止めると 「ええ、そうです。」 と一言だけ答えた。

彼はいつもきちんと目を見て話す。それなのに今日は違っていた。
デュランは布の掛けられた絵をちらりと見てアンドレに尋ねた。

「見たのか?」
「・・・・ええ。」
「奥様か?」
「いえ・・・置いてあったので・・・ちょっと・・・・」
「この・・・ばか者が!!」
デュランは彼を怒鳴りつけた。
アンドレは梱包している絵から目を離してデュランと目を合わせた。

諦めと激情2つの色が混じって作られた瞳の色は、普段は表へ現れる事はなかった。
しかし今はその色しか彼の瞳の中に見い出せなかった。

「いい絵だと思いますよ先生。」
それでもアンドレは勤めて明るい口調で答えた。
「お前にはいい絵ではないだろう。」
デュランは言った。
沈黙が続いた。
「・・・・・ええ、おれにはいい絵じゃない。」
アンドレはぽつりと言った。
「勝手に見るからそういうことになるのだ!」
「先生、そんなに怒らないでください。もう罰は十分受けましたから・・・・」
アンドレは笑いながら言った、瞳の色は同じままで。
「他の男に心を奪われた姿が・・・永遠に残るものを見たのです。」
「だからお前はばか者なんだ!!大ばか者が!!大体お前は!」
デュランの怒鳴り声は部屋中に響き渡った。
「もうしませんよ先生、その絵は・・・おれには残酷です。」
アンドレは暗い色の瞳を伏せて言った。