その1:包帯は(部位によっては)巻くのがとても難しい
今後の警備体制の概略についての説明を途中で終えて15分間の休憩を言い渡したオスカルは、机に置いた書類を持って気づいた。袖から白いものが垂れている。彼女は迷ったが上着を脱いだ。シャツを捲るとやはり包帯は緩んでいてかなり解けている。だがそれは少し巻き直せば何とかなりそうな気がした。
「衛生兵を呼びましょうか?」
側にいた兵士が気づき声をかけた。
彼女は一瞬考えた。
「いや、いい。自分で巻く。」
彼女は答えると包帯をほどき始めた。
15分後、オスカルは急いで袖を直すと上着を着た。そしてその3分後、彼女にしては珍しく少し遅れて続きのブリーフィングは始まった。
説明はつつがなく進んだ。黒板に図を書いて説明しようとチョークを取ろうとした時だった。彼女は不意に気づいた。兵士達の視線が別の何かにあるのを彼女は悟った。オスカルは兵士達の視線の先を追って行くと自分の右手に行き着いた。その途端、それはスルスルと滑るように床に落ちた。オスカルはなす術もなく床を見つめた。
その場に居合わせた兵士達は全員、1人残らずオスカルの落胆ぶりを理解した。分からなかった者はだれもいなかった。それはそうだろう。先程の休憩時間を総て使い尽くして、悪戦苦闘の末やっとの思いで巻き上げたのだ。出来上がった時のあの子供のような嬉しそうな笑顔を見たら誰だって分る。
ようやくオスカルは顔を上げた。兵士達は皆一斉に息を飲んだ。オスカルは彼らを見た。兵士達もオスカルを見た。途端彼女の表情が変わった。彼らはオスカルに視線をくぎ付けにしてじっと見つめた。
これは誰だ?目の前で真っ赤になって俯いているのは・・・・
「・・・かわいくねえ?」
年若い兵士が小さな声でボソリとつぶやいた。幸いにもそれはオスカルの耳には届かなかった。届いたのは、副官のダグー大佐だ。彼は慌てて立ち上がると威厳のこもった声で命じた。
「ユラン伍長!衛生兵を連れて来い。急げ!早く!」
大佐の声が部屋に響いた。伍長は慌てて席を立つと入り口へ走った。
ダグー大佐はオスカルに近寄ると、「左肩の傷もまだ完治しておらぬのでしょう。無理をされてはなりません!」とオスカルに言った。
「そうです!無理は禁物ですぞ!」大佐は繰り返した。
オスカルは黙って頷いた。まもなく衛生兵がやって来た。彼は彼女の腕の傷を消毒した上で包帯を巻いて―――多分時間にして2、3分だろう。―――すぐに部屋を出た。
オスカルは急いで袖を直すと上着を着た。それから彼女は 「すまなかった。」 と兵士達に詫びると、何事もなかったかのように説明を続けた。しかしその間中、彼女は兵士達と目を合わせなかった。
その2:巻くにはコツがあるが、知らなければ役に立たない
オスカルは、不機嫌に右腕を見つめた。今すぐほどいて巻き直したい衝動に駆られたが、彼女は思い留まった。彼女は唇を噛み締めた。
練習だ、練習するしかない!そうすれば先程の衛生兵のように素早く巻けるように・・・・
それから彼女はまた、包帯の巻かれている右腕を見た。彼女は情けない顔をした。
あの目は同情だ!いいや、憐れみかもしれない。このわたしが!隊長であるわたしが、よりにもよって兵士達の目の前で・・・・
その時、オスカルは向こうから1人の兵士がこちらへやって来るのが分った。
アランだ。オスカルはすぐに気づいた。多分わたしを見て露骨に不機嫌な顔をするだろう。彼女は考えた。
衛兵隊で彼女にこういう態度を示すのは、もうこの男だけだった。だが、以前のような何が何でも拒絶と言う態度は既になかった。今では半ば意地になってそれを続けているのがはっきり分った。面白い男だ。オスカルはクスリと笑った。
だが、今日は違った。次第に距離が詰まるにつれてオスカルはアランの様子がおかしいのに気づいた。このいかにも軍人全とした大柄な男にはいつもの厳しさがなく、どこかそわそわと落ち着きがないように見受けられた。何かあったのだろうか?オスカルは考えた。
アランは彼女の側まで来ると形式上礼を取って、ほんの少しだけ照れたような表情を・・・オスカルにはそれが、何か言いたげ見えた。
「どうしたアラン?」
オスカルは優しく尋ねた。しかしアランは急に不機嫌な顔を作った。
「別に。アンタこそなんだ?俺に何か用でもあるのか?」
「いや、なんでもない。」 彼女は答えた。「悪かったな、アラン。」
彼女はそういうと通り過ぎた。
「包帯を巻く時は・・・」
背後から声がした。オスカルは振り返るとアランを見た。アランは一瞬だけ迷ったような顔をした。オスカルは緊張した面持ちでアランを見返した。するとアランはすぐにいつもの表情になり苛々した様子で言った。
「あんたには無理だから、さっさと衛生兵でも呼ぶんだな。その方が・・・・」
オスカルは最後まで聞かずに踵を返すとその場を足早に立ち去った。アランは何も言わずオスカルの後ろ姿を、彼女の姿が見えなくなるまで目で追った。
「包帯を巻く時は、途中で包帯を捻るとほどけにくくなるんです。」
アランは情けない表情をして囁くように呟いた。
幕間----幸せな時は普段なら絶対に言えない事でもさらりと口に出せるらしい
アランは呆れきった様子で医務室のベッドに横たわる男を見つめた。
「そんな馬鹿にした顔で見なくてもいいだろう?」 アンドレは苦笑した。
「いいや、馬鹿な奴はそういう風に扱ってやらねえと、自分が馬鹿な上に愚かであるって事も気づかねえからな。いいか!そもそもお前がこんな怪我をしたのは!俺の好意を無にしてだな、パリなんぞへ行くからであって・・・」
どうやらおれは余程心配されていたらしいな。
アンドレは永遠に続きそうなアランの説教を聞きながら考えて、思わず顔をほころばせた。
アンドレの様子にアランは気づいて黙った。
「・・・何がおかしい?」
「いいや、嬉しくてね。メルシ、アラン。」
「な・・・・」
絶句したアランにもう一度笑いかけるとアンドレは、身体を起こそうとした。が、アランは 「馬鹿が!起きるんじゃねえよ!」 と慌てて止めた。 「いいか!お前はここで寝てろ!病人にうろつかれては邪魔なだけだ。」
アランは言った。
「いや、もう具合は大分いいんだ。だからおれは・・・」
アランは横目で睨んだ。
「はん!言い訳は沢山だ。どうせあの女が心配で無理やり付いて来たんだろうが!」
アンドレは苦笑した。
「バレていたのか。」
「あたりめーだろう!馬鹿かおまえは。」
「そうだなあ。かなりのものだと思うよ。」
アンドレは嬉しそうに微笑んだ。その顔を見てアランは口を開こうとしたがしなかった。アランは腕を組んで苦々しげな顔をしてアンドレを睨んだ。
「馬鹿に付ける薬はないな。」
アンドレはクスクスと笑った。それを見てアランはアンドレを睨んだ。
「ところでアラン。」
アンドレは言った。
「なんだ?」
「おまえは見たのか?オスカルが包帯を・・・」
「俺は馬鹿にした訳じゃねえ!」
アランが叫んだので、アンドレはびっくりして彼を見た。アランはきまり悪げな顔をすると言いたくなさそうに口を開いた。
「いいか!俺はあの女が1人で包帯を巻くのは無理だと思ったから、衛生兵でも呼んでさせればいいとそう言っただけだ。俺は・・・・」
「アラン。」
アンドレが自分の名前を呼んだのでアランは怪訝そうにアンドレを見た。するとアンドレは優しく微笑んだ。
「素直じゃないぞアラン。何故俺が手伝いますと言わなかった。」
「馬鹿か!何で俺がそんなもん・・・」
「したかったろう?」
「したくねーよ!」 アランは叫んだ。
「何故だ?」 アンドレは尋ねた。
「愚問だろうが。」
「へえ、愚問か。まあそうだな。」
アンドレは納得した様子で楽しげに頷いた。その様子を見てアランは声を荒げた。
「おまえは!何を考えてやがるんだ!」
「いや、お前がそう思うくらいかわいかったんだなあと思って・・・」
「はあ?何だそれは!」
「かわいかったろう?オスカルは?」
「な・・・・」
アンドレの言葉にアランは絶句した。それを見てアンドレがクックッと笑い出したのでアランは我に返ると慌てて叫んだ。
「馬鹿か!てめえは!てめえじゃあるまいし、なんで俺があの女をかわいいなどと・・・」
「思ったろう?」
「思ってない!」
「いいや、とてもかわいいと思ったはずだ。」
「思うか!」
「アラン、お前真っ赤だぞ?」
「うるせえ!この馬鹿!」
アランは大声で叫んだ。
「黙れ馬鹿!喋るなこの馬鹿!いい加減にしやがれこの馬鹿が!!くだらないことばかり言いやがって!この馬鹿が一生言ってろ!俺はお前と違うんだ!俺はあの女なんぞ・・・」
アランは連呼しながらアンドレから離れ扉に近づいた。彼はドアノブに手をかけながら叫んだ。
「かわいいなんて思っちゃいねーからな!少しもだ!分ったか!この馬鹿!」
アランは扉を開けると医務室から退散した。
その3:包帯を巻くのは・・・
大体!そんな事をしようと思ったのが間違っていたのだ。
オスカルは納得した。悟ったと言った方が正しいかもしれない。オスカルはアンドレを見た。
「アンドレ。」
オスカルは名前を呼んだ。アンドレは黙ってオスカルの次の言葉を待った。
「わたしには無理だ。」
彼女は静かに言った。その言葉にアンドレは心の中で喝采した。これでもうオスカルに巻き方を教えなくていいし、不機嫌な顔も悲しげな顔も見ずに済む!だが、その喜びは表には出さず、アンドレは黙って頷いた。
「そもそも、これはわたしのすべきことではなかったのだ。」
オスカルは言った。
それはその通りだろう。だって生まれてから一度だって包帯など自分で巻いた事などなかったのだから。
アンドレは心の中で呟いた。
「そもそも!最初に包帯がほどけた時が間違っていたのだ。」
オスカルの言うとおり。その時の状況が間違っていたのだ。アンドレは思った。
オスカルは腕を組むとアンドレを睨んだ。
「その場におまえがいないのが悪い!」
「ああ、その通りだよ。オスカル。」
アンドレは答えた。
「だってこれは・・・」
それからアンドレはオスカルに優しく微笑んだ。
「おれの仕事だからな。」
アンドレの言葉にオスカルはこくりと頷いて、右腕を差し出した。アンドレはいそいそとオスカルの腕の包帯を替えた。
-----終わり