気になることば 第七回

「保健師・助産師・看護師」

 昨年末の議員立法によって保健婦助産婦看護婦法の名称が変更され、平成14年3月に施行された。これにともない、資格の名称も、保健婦・保健士が保健師、助産婦が助産師に、看護婦・看護士が看護士に、准看護婦・准看護士が准看護師に変わった。

 改正の理由は、賛成に回った業界団体などの意見をみると、「専門資格の名称が女性と男性とで異なっている現状を改める必要がある」ということらしい。わかったような、わからないような説明である。

 「○×精神病院で二名の医師が患者に暴行、重傷を負わす」などという新聞記事を目にしたとする。暴行を働いたのが男性なのか女性なのか、読者に知るすべはない。仮に、「医師」の部分を看護職に置き換えてみると、暴行の主が男性二名なのか、女性二名なのか、男女一名ずつなのかによって、今までならば、記事を書き分けなければならなかった。法律改正によって、加害者の性別に関する情報が奇しくも公開を免れることになったというのは、報道倫理の最新動向からすれば、歓迎すべきことかも知れない。上記の例とは反対に、看護職が被害者の側にあるような事例についても、当事者の性別に関する情報が保護されるわけである。

 別の例を挙げる。家政婦(まだ家政師ではないようだ)紹介所などの助けを得ないで、住み込みの看護婦を捜す場合、これまでは、「看護婦求む」と募集広告したからといって男女雇用機会均等法に触れることはなかったが、これからは「看護師(女性)求む」などと広告すれば、同法の第五条違反となる。逆に、どうしても看護婦ではなく看護士を採用したいという場合もあるであろうが、その数は相対的に少ないと想像される。とすると、職種の名称変更によって、今まで社会的な認知度の低かった男性の看護師にとっては雇用機会が建前の上では広がることになった。これも時流に沿った動きであると言えよう。

 なるほど、男女で異なっていた資格の名称を統一することで得られる利益があることは分かった。では一体、男女双方を指す呼称として、なぜ「看護士」はだめで、「看護師」でなければならなかったのか。しかも、「士」と「師」では画数が7つも異なり、手書きの手間が断然違う。

 保健衛生福祉分野には男女共通の資格名称が従来から多くある。「士」のグループに属するのは、
 


などである。

 一方、「師」のグループに属するのは、
 


のほか、
 


などである。

 「師」のグループに属する職種にほぼ共通するのは、必ずしも上級者の指示に従うことなく、独立して業を行うことができる職種であるということである。
 


などもそうである。他人を煙に巻くことを生業とするところでは、
 


 ほかにも、
 


など、いずれも一匹狼の臭いがある。

 大きな漢和辞典を見れば、「師」にも「士」にも、「専門技術を身につけた者」という意味は共通している。その上で、「師」には「教え導く者」とか「ある境地に達した人」などという意味が重なり、「士」には「上の人に仕える人」とか「公務員」というような意味が加わっている。そこから「師」と「士」の使い分けが生まれてきているのであろう。

 保健師を取りあげれば、看護師などにくらべて、自律的かつ自主的に業務を遂行する場面が現実に多い、ということが指摘できる。しかし、就労者の多くが地方公務員であって、その職場が保健所などの官公署であることを考えれば、保健師というより保健士といったほうが漢字の語義に忠実であるような気がする。

 助産師については、独立業態は日本では減りつつあり、病院等の組織に属して勤務する場合が増えている。外国語ではどうか。中国語では栄養士を営養師としているにもかかわらず、助産師ではなく助産士である。chairmanをchairpersonに変えつつある英語ではあるが、midwifeは「女性とともに」という語義なので、*midhusband*midpersonなどと言い換えることは意味を損なう。midwifeが男女共用である。特に男性の助産士を指したいときには、male midwifeとかman-midwifeなどと呼ぶ。フランス語では、sage-femmeに対応する sage-hommeという名称に抵抗があったので、新たにmaieuticienなる語を導入し、これを男性のみに用いることにした。ところが女性はmaieuticienneではなく従来通りsage-femmeであるために、むしろ男性呼称の方が高尚な職種であるというような誤解を与えているのではないかと指摘されている。いずれにせよ、日本の現行法が未だに助産業務への男性の参入を認めていない(数多ある憲法違反の法律のひとつである)以上、助産婦を助産師に変える必然性はなかった。職種の名称を変えるよりも先にやるべきことがあった。

 看護師は在宅看護などの普及に伴って少しづつ独立的に活動する場が広がってきている。しかし、開業看護婦が一般に普及している諸外国に比べれば、まだまだ日本の看護師は医師の直接的な指示のもとで、准看護師は医師・歯科医師・看護師の直接的な指示のもとで働く職業であるといえる。そのため、日本語の語感に忠実であればあるほど、看護師という音の響きはともかく、その字面に違和感を持つ人も多いのではないかと思われる。病院の待合室で「師長さん、至急お戻りください」などというアナウンスを聞く場面を想像するまでもなく、看護師という文字が女性の看護士を自然に指すことばとして日本人の間に定着するには長い時間がかかりそうである。看護業務の専門性の深化と看護職種の地位向上を望む立場からしても、なぜ、「士」ではなく「師」でなければならなかったのか、判然としない。「士」から「師」への変化が現状改革の追い風となるかどうかも必ずしも明らかとは言えない。ちなみに中国語では男女含めて「護士」である。

 すでに挙げた例からも明らかなように、「士」だから「師」よりも専門性が低いということにはならない。むしろ、言語学的には、職業として独立開業の歴史を有するかどうかという点の区別が意味論の上で重要である。

 これを裏付けるように、「士」グループの専門資格のほとんどは、「師」に名称変更することを特に予定していない。例えば、身分法による規定はないが、動物看護士は動物看護士のままであり、操縦士は操縦士のままである。毎年5月12日のInternational Nurses Day は「国際看護婦の日」とこれまで訳されていたが、今後変更されるのかどうか。

 意味論の話はここまでとして、より肝心な議論は、法律が一本通っただけで日本語の語彙が変わってしまうような状況が望ましいかどうかである。

 「ちょっと床屋に行ってくる」と言うのも、「ちょっと理髪店に行ってくる」と言うのも、話し手の勝手ではないのか。「保母さんにさようならといいなさいね」と幼児に言ったからといって、優しい保育士さんが知らんぷりをするわけでは無かろう。何も法律が変わったからと言って、日本語の語彙が取って代わったと思いこむ必要はないのではないか。

 日常の話し言葉は、時間の流れと世代交代のなかで自然に変化していく性質のものであって、これを法律に検閲させてはならない。「看護婦(かんごふ)」は日本語のれっきとした語彙の一部である。立法者に文化資産としてのことばを奪う権利はない。行政文書や人材募集広告では現行法に基づいた職名を使うべきであるとしても、話し言葉で、看護婦、看護士を使いたい人は、そう喋ればよい。保健衛生に関する日本の身分法規で「士」を男女両用に使っている例は枚挙にいとまがないから、女性に対して、看護士という呼び名を使っても悪いはずはない。

 印欧諸語においては職業名称がしばしば男性名詞である。そこで男性名詞と対を成す女性名詞を新造しようとする試みは、言語学的女性化(feminisation)と呼ばれる。その是非はともかくとして、フランス語、スペイン語、ドイツ語などでは、ここ数十年の間に次第に言語改革運動として浸透してきた。しかしながら、同一職種の男女が混ざった集団の呼称は、通常、文法に従って、男性名詞の複数形を充てることになっており、このことについては、女性主義者からも大きな反対の声はない。

 しかるに、日本において「保健婦」と「保健士」をあわせて廃止して「保健師」とするごときは、言語学的中性化運動とでもいうべきものである。果たしてこれが、名詞に性別のない日本語に特有の語彙的迷走現象であるのか、あるいは、男性の女性化と女性の男性化が同時進行する現代日本の心理学的社会現象の故なのか、読者のお考えを問う。
 

(2002年6月19日 本稿の漢字は、日本で通常用いられる字形によった)