気になることば 第五回

「遵法精神」

 生産した自動車に欠陥が発見された事実をM社は当局に届け出ず隠匿していたという。社長が記者会見し、社員に遵法精神が欠けていたことを認めた。社長の発言を報道したテレビ・新聞のうち、正しく「遵法」と標記をしたものは少数で、多くは「順法」の文字を当てた。

 「順法精神」というからには「逆法精神」もあるのであろう。なにやら、反骨の気概が感じられないでもない言葉の響きであるが、実は、日本人には順法精神はあっても遵法精神は存在しないのではないかと思われる。

 昔のギリシャには、悪法にすら従って死を得た者がいたという。このエピソードは、法を尊しとする価値観がこの人の心に宿っていたことを示している。各自がルールに従うということは、世の中がそれだけ規律正しくなるということであり、熱力学的に表現するなら社会のエントロピーが低い状態にとどまるということである。

 先進国と称される国々の中に日本を含める人もいるらしいが、いったい、違法駐車が市内随所で狭い道路をせき止め、歩道では自転車が歩行者に向けて突進し、不揃いな鉛筆のような建築物が犇めき合い、けばけばしい色のネオン広告が空を彩り、街角、野山や海岸の至る所で塵芥が投棄されている有り様を見れば、日本における単位面積あたりのエントロピーの高さはアジア諸国の平均を軽く上回るのではないかと思われる。かろうじて、自然の照葉樹林に代わって山を被う単一樹種からなる黒い森だけが、高まりつつあるエントロピー総量を多少とも押し下げるのに貢献しているという程度ではないのか。

 そもそも現代日本人の美意識の中に、エントロピーの低さをもってこれを尊ぶ気持ちがあるのかどうか、疑問である。エントロピーの低さを美しいと感じる国民はいることはいるのであって、ドイツ人であるとか、スイス人がこれに該当すると思われる。彼らは、あるルールが一旦ルールとしての地位を得れば、それを遵守しようとする。ルールを守らない者に対しては、容赦なくその事実を指摘する。そのかわり、遵守することが現実的に困難であると想定されるようなルールは初めから作らない

 日本人は、法を守ることが自らの利益にかなう場合にはこれに順い、利益にならないと判断される場合にはこれに背いて憚らない。つまり、制裁あるいは不利益を受ける虞があるかかどうかが判断と行動の基準なのであって、法に遵うという行為そのものに価値を見出す民族ではない

 先の大戦で、連合軍によって極悪非道な扱いを受けた日本軍兵士の捕虜よりも、同様の待遇を日本軍に被った連合軍兵士の方がよほど多かったという事実も、圧倒的多数の日本人が遵法という行為に大して興味を抱いていないことを示唆している。

 だから、実現性のないルールも平気で作る。また、時代とともに現実に適合しなくなったルールに対して、これを敢えて変えようとしない。その結果、守っても守らなくても大差ないルール、守ることが不可能なルール、守るべきでないルールなど、いわゆる悪法と呼ぶべきルールが横溢し、これらの存在がさらに遵法精神を喪失させる。この悪循環が日本の過去六十有余年を特徴づけたのでないか

 本来なら事実認定と法にもとづいた量刑だけを淡々と行えばよいはずの裁判官が刑事事件の判決の中で「言語道断な行為」であるとか「到底許すべからざる行い」であるとか、血気にはやる群衆さながらの言辞を弄するのも、国民の総意の表現としての法の存在が失われていることの証左であろう。さらに言うなら、ここで述べた日本人と法の間の関係を、法と日本国憲法の関係に当てはめることも許されるだろう。

 日本が特殊な国家である、とか、日本人が特殊な民族である、という類の論は既に尽くされ、一般の興味を引くことがなくなってしまった。しかし、日本を訪れたり日本人と知り合ったりした外国人が日本や日本人に対して未だに奇異の念を抱くことがあるとすれば、その理由の一つは、先に述べた日本人と法との関係からくるものであろう。

 フィリピンで過激派に捕らわれたドイツ人に対して身代金が支払われたことは耳目を驚かせたが、むしろこの類の行為は日本の十八番である。日本政府は過去二回にわたって「超法規的措置」を発動して収監中のテロリストを野に放ったが、それを指弾する勇気のある新聞はなかったし、内閣不信任決議を提出する国会議員もいなかった。犯罪者との取り引きをする政府に失望して国を捨てる者もいなかったし、その合法性を司法に問おうとする個人もいなかった。もちろん、この種の訴訟提起を可能にする法的枠組みさえも、わが国には存在しない訳である。

 最後に、お約束の練習問題。実現が最も容易であると考えられるのは次のどれか?
 

(1)夜間無灯火二人乗りで道路の右側を疾走する自転車の撲滅
(2)国際連合安全保障理事会の常任理事国入り(手段は純粋な外交努力に限る)
(3)人口当たりの法曹の数を現行の五倍に増やすこと
(4)街角の景観の美化
(5)歴史の巻き戻し(もう一度、明治時代から)


(2000年9月7日)