サマリヤ人の憂鬱





それがいつかは現実のものになるだろうと確信しつつも、しかしまだずっと先のことだろうと思う、あるいは思いたい、そういう事柄が誰にでもあろう。私は思いもよらず、まさかのそれに遭遇した。

名古屋を発車した東京行きの新幹線ひかり号の車内で、なんとはなく不自然な緊迫さを秘めた業務放送があったときから、何かがあるなとは薄々感じていた。しかし、その数分後、二度目の車内放送で、無意識下の恐怖が俄に現実になったのである。

「おくつろぎのところ、大変失礼いたします。ただいま12号車において、急に気分の悪くなられたお客様がおられます。誠にご迷惑ですが、もし、お医者様が乗っておいででしたら、車掌がただいまから車内を回ります際にお申し出いただきますよう、お願いいたします。」

この瞬間、普段は錆び付いている私の頭脳が急速回転を始めた。私のいるこの車両は何号車だろう。なんと、14号車か。もし車掌が列車の先頭に向けて医者を捜し始めたら、ものの1分もしないうちにここまで到達するだろう。でも、もし反対側に歩き始めたら...まだ少し考える時間がある。そもそも、「お医者様」とは、どういう意味だろう。医者とは診療を業としている人のことで、医師免許を持っている人という意味ではないはずだ。でも、もし、見て見ぬ振りをして患者を見殺しにするようなことをすれば、自分のような偽医者でも、ヒポクラテスの誓いに反する行為をしたことになるのでは...  ところで、ヒポクラテスの誓いに応召義務なんてあったっけ。ええい、そんなことはどうでもいい、自分の良心の問題ではないか。それより、一体、この列車には何人くらい乗客が乗っているのだろう。

一列に5人、一車両に約25列として、一車両におよそ125人の乗客。やや空席があるものの、ほぼ満席だから、少なくとも100人と計算していいはず。すると、16倍して1600人。まあ、安全を見越して1500人としよう。ええと、日本の医師数は、人口10万人あたり確か、220人だったかな、260人だったかな。まあ、少な目に200人として、1500人の人の中には、平均して3人の医師が混じっているはずだ。問題は、こういう時間帯に新幹線に乗っている医師が、一般人口に比べて多いか、少ないかだ。寝たきり老人は汽車旅行なぞしないはずだから、一般人口より医師が多いかというと、医者だって寝たきりになるから、ええい、まあ、大体同じだろう。平均3人ということは、最悪でも2人は乗っているんじゃないか。

でも、医者といっても、いろいろな専門があるし。そういえば友人のMがいっていたっけ。国内の学会出席のため、耳鼻科の医局員全員で新幹線に乗り合わせているときに、やはり同じような情況に陥って、衆議の結果、自分たちは内科の医者ではないから、申し出ない方が患者の生命のためであろうという結論に達したとか達しなかったとか。

それと比べれば、私には耳鼻科の知識すらないのだから、あまり患者さんの訳には立たないだろうな。ところで、救急の時にはどうするんだっけ。たしか、救急蘇生のABCというのがあったな。Aは、エア。Bは、ブリーズ(息)? それとも、ブラッド(血)?ではCは何だろう? サーキュレーション(血液循環)か。とすると、Bはやっぱりブレス(息)でいいのか。こんなこと、医師でなくたって、救急救命士だって知っているはずだぞ。気道の確保と心臓マッサージくらい僕にもできるだろう。でも、もうすぐ、列車は浜松にさしかかるはず。車掌が知りたいのは、浜松に緊急停車させるべきかどうか、それを医者に聞きたいんだろう。とすると、列車を止める責任は重いぞ。病気のおよその診断を下さないことには...。さて、それが自分にわかるかどうかだ。でも、最寄り駅で降りさえすればいいというものでもないしな。例えば、岐阜羽島のような田舎駅で降りたって、そこから病院まで行くのが却って大変だろう。ところで、浜松医大って、駅の近くなのかな。何となく離れていそう。まあ、大きな町だし、市内に救急指定病院くらいあるだろう。

でも、もし、へたに診療行為をして、患者が死んだ後で訴えられたらどうするんだ。臨床をしてないから、医師の保険にも入っていないぞ。こういうのを、善良なるサマリヤ人というんだろうな。たしか、新約聖書で、ルカ伝だったか、マタイ伝だったかな、たとえ話で、行き倒れの介抱をしたサマリヤ人がキリストの喩えで、誰がユダヤ人で誰が誰だったっけ。ええい、そんなことは、どうでもいい。それより、こんなとき、日本の判例はどうなっているのかな。善意に基づいて申し出たのに、患者が死んだからといって訴えられてしまうなんて、あんまりじゃないか。よし、覚悟を決めよう。いい考えを思いついた。もし、車掌がきたら、一応申し出て、でも、そのまま、もっと役に立ちそうな医者探しを残りの車内で続行してもらうように頼もう。そうすれば、僕は、できることだけやればいいし、そのうち、すぐに頼もしい先生が後から現れるに違いない。

やや、もうさっきから5分以上経つぞ。ということは、もう医者が見つかったのだろう。まてよ、それとも、まだ必死に探しているのか。だとしたら、こんなところでぐずぐずしていないで、自分から12号車に出頭すべきなんじゃないか。

と考えた矢先だった。

「皆様、先ほどは失礼いたしました。急病のお客様は念のため、次の静岡で下車なさることになりました。どうもご協力ありがとうございました。」

この瞬間、足の先から全身の力が抜けていき、体が深く座席に沈み込んでいった。

(1998年12月7日)
 

エピローグ...  

本文の脱稿後、「本当の医者」である友人数人に聞いたところ、未だかつて公共交通機関の中で「お医者様呼び出し」に遭遇したことが無いという者が少なからずいることがわかった。ということは、このような事態に直面する確率は、一般的には決して高くないということになる。ところが運命というのは面白い。私は最初の事件から数ヶ月も経たないうちに、別の事件に遭遇することになるのである。

それはBA6712便の機内であった。離陸した機体が水平飛行に移って間もなくのことであった。

“May I have your attention: if there is any doctor of medicine on board, please identify yourself. Thank you.” 

いかにも英国航空らしい、何の愛嬌も感じさせない冷たい口調のアナウンスである。まるで、宿題を忘れた生徒を黒板の前に呼び出す教師のような調子である。しかも、後段を“medicine”という言葉を強調して2回繰り返すのである。そこには、「私はDoctor of philosophy(哲学博士)なのですが何かお役に立てるでしょうか」などという客の興味本位の申し出は断固拒絶するという決意が込められていた。

そっと振り返れば、4列ほど後ろの乗客が気分が悪いらしい。乗務員が彼を床に寝かせてのぞきこんでいる。前回の事もあるので、時間を失うことなく私は決心して立ち上がった、とその瞬間である。私は上方の荷物入れに頭をひどくぶつけてしまったのである。思わず痛いところに手をやりつつ、格好悪さを堪えて立ったまま再び後方に体をねじると、何と、私の視野には患者の診察に取りかかっている年配の医師の姿が映ったのである。

見たところ60歳前後、白くて立派な口ひげを蓄えた、見るからに頼もしい感じの紳士である。急病になって往診を依頼したときには是非こういう医師に訪問して欲しい、と誰もが思うイメージにぴったりの医師であった。

これは私の出る幕ではない。出番の消えた私はぶつけた頭を押さえたまま、座席の背に背中を滑らせて、再び着座するより他なかった。

(1999年2月4日)