私の提言

京都復原計画

京都復原計画

1.復原の目的

 米国人が原爆投下を断念してまで戦災から守った古都、京都の町並を日本人は無惨にも破壊してしまった。本計画の目的は、京都の町に歴史的・考古的・文化的価値のある街並みを復元することにより京都の身代わりに被災した広島、長崎、その他空襲の犠牲になった都市に報いることにある。

2.計画実施のタイミング

 本計画を実行するにあたり、最大20年間にわたって京都の町は居住その他の人間活動に適さなくなる。また復元後の京都に居住するにあたって守るべき条件を許諾できない個人及び法人は、これを機会に別の地域に移住・移転することになる。従って、一時的移住者および永久移住者の住居確保を容易にするため、本計画は日本の総人口が減少に転ずる西暦2007年(平成9年1月の国立社会保障・人口問題研究所の中位推計による)以降、実際的には人口減少の効果が顕著となる西暦2020年頃以降に開始することが望ましい。

3.復原の原則

 本計画の目標は、とりあえず明治元年当時の街並みを京都に取り戻すことである。目標年代を現代に近づけるほど時代考証が容易になり、復原後の人口をより大きく設定することが可能になるが、その一方で、明治風の煉瓦建築に代表される醜悪な建物を受け入れざるを得なくなる。これらの近代建築は、日本家屋とそれが醸し出す街路の風情と到底調和するものではない。そこで明治初年という時代が有力な候補の一つに挙げられる。
 復原の区域は現在の京都市域全域とする。
 復原後の京都の経済活動と居住環境を最大限に保証するため、明治初年当時ほとんど利用されていなかった地下空間を利用する。地下空間には、ライフライン(電気・ガス・上下中水道、光ケーブル、冷暖房熱源)を敷設するほか、浅深度には軽便地下鉄(現代のブダペストあるいはブリュッセル風のもの)を敷設する。
 復原後の陸上道路は明治初年当時の幅員に戻すと同時に、歩行者、荷車、牛馬の通行だけが許される。自動車および自転車の市内乗り入れが禁止されるに伴い、復原区域周辺部地下に、居住者及び訪問者用の数万台規模の駐車場を確保する。また京都を通過する鉄道・道路については中深度地下を利用する。

4.計画の段取り

4-1 第一期(3年程度) − 建築物個別審査

 9名の委員からなる時代建築物等判定委員会を設置する。
 明治初年に存在していた建築物は、そのまま保存することとする。明治初年以降に補修・改築を行った建築物については、復元工事の要否を委員会が判定する。
 明治初年以降の建築物であって近代的建築様式によるものは無条件に取り壊し、明治元年当時の状況(田畑または当時の建築物)に復原する。
 明治初年以降の建築物であって伝統的建築様式によるものは、存続を許すか否かを委員会において判定する。
 明治元年当時の現地の状況が不明である地区については、復元後の取り扱いを委員会において決定する。

4-2 第二期(3年程度) − 用地収用・権利関係清算

復原区域内の土地私有は廃止する。土地の所有者は国とし、必要に応じ、借地権を設定する。
通過交通のための中深度地下構造物の建設を開始する。

4-3 第三期(5年程度) − 保存建築物一時移築・地域計画策定

 建築物の取り壊し・撤去および地下施設の建設を容易に行うため、保存する建築物および樹木等は復原区域外に一時持ち出し、保存する。建築物・道路等の位置を絶対座標を用いて高精度で記録し、復元工事の段階で参考にする。
 9名の委員からなる経済社会委員会を設置し、復原後の居住と経済活動にかかる地域計画を策定する。必要に応じ、テーマパーク経営に実績のある民間会社よりノウハウを導入する。伝統的建築物の外観を維持しつつも耐火・断熱性能に優れた民家・町屋のプロトタイプ設計を行う。

4-4 第四期(1年程度) − 建物取り壊し

 広島型原爆を適価にて購入する。爆発中心は京都地方裁判所上空500メートルとする。放射能が安全レベルに減衰するまで復原区域内への立ち入りを禁止する(放射線影響研究目的の立ち入りを除く)。

4-5 第五期(15年程度) − 建築物等復原

 地下構造物の建築を進め、工事が終了したところから順次地上工作物の復原建築を行う。大規模宿泊施設、病院・図書館・体育館・事務所、大規模購買施設はすべて地下に建設する。

4-6 第六期(3年程度) − 居住・経済活動再興

 復原完了を待って国連教育科学文化機関に京都復原区域を世界遺産と認定するよう申請を行う。

5.事業評価

 京都復原計画30年間の経験を記録し、問題点を含め全面的に公開する。他都市において同様の復原が可能かどうか検討を行う。

(平成11年5月1日)