日本の選挙制度について(1)



 筆者は自他共に認める直接民主制信奉者である。特に、ここまでインターネットが普及してくれば、政策に関する議論とその選択は有権者自身が行えばよく、次善の策としての間接民主制の存在意義はなくなったと考えている。であれば、我が国の選挙制度について意見を述べる労をとる必要はないと思われるわけだが、さすがに昨今の状況を見かねて筆をとることにした。

 このごろ耳目を集めた話題は、2003年4月23日に投票が行われた札幌市長選挙において、候補者同士の得票数が伯仲した結果、法定得票数(地方公共団体の長の選挙においては有効投票総数の4分の1)に達する者がなく、近く再選挙が行われるというものであった。選挙結果は次のとおりである。

候補 得票数 (得票割合)
A    172,512 (21.66%)
B    168,474 (21.15%)
C    159,787 (20.06%)
D     97,327 (12.22%)
E     76,405  (9.59%)
F     67,785  (8.51%)
G     54,126  (6.80%)


 当選人が決まらなかっただけではない。公職選挙法第93条に従えば、これら7人の候補者は各々240万円の供託金を積んだはずであるが、得票数が有効投票総数の10分の1に届かなかった下位3名の候補者の供託金は没収されて市の財産となる。常識的に考えて、再選挙になるときには没収を免れるのが相当ではないかと思うが、第93条には例外規定がないようなので、これらの候補者にはお気の毒なことである。私が見落としているのであればよいが、もしそうでなければ、立法者が見落としたのであろう。E、F、Gの各候補者におかれては、気落ちせず、是非とも再選挙に出馬して欲しいものである。

 さて、問題点は大きく二つに整理される。

 第一に、現行の公職選挙法は、多くの候補者が票を分け合う自体になることを想定していない。もし、何らかの考慮をしているとすれば、国際比較の中でも異様に高額な供託金と異様に厳しい没収ラインを定めることにより、金銭面から、立候補の意思のある者に圧力をかけ、立候補を思いとどまらせようとする意図が制度に組み込まれていることくらいである。とはいえ、政治の自由を侵害し憲法違反の疑いのあるこの制度も、多くの良質な候補者が一旦出馬してしまったら、全く無力である。首長選挙のように単一の当選者を選ぶための選挙に関しては法定得票数の定めをなくするとか、あるいは、得票順位や得票割合が一定以上の候補者だけが再選挙に進めるとか、幼児ですら思いつくような仕組みがあればまだよかったが、それすら無い。おかげで札幌市は、何度選挙を繰り返しても(報道によれば再選挙に6億円の費用がかかるそうである)、永久に市長を選ぶことができないかも知れない。

 第二に、日本が自治体首長選挙や衆議院議員小選挙区などに採用している選挙制度は、first-past-the-post と呼ばれ、単純に最多得票をした候補者が当選する仕組みである。これは、仮に首位得票者が法定得票数(衆議院議員小選挙区選挙においては有効投票総数の6分の1、首長選挙においては上記)を満たしていたとしても、互いに政策傾向が似た有力候補者同士が票を奪い合った場合、第三の候補者が漁夫の利を得る仕組みであり、論理的でもなければ民意を正当に反映する仕組みでもない。背景に二大政党制の実態があり、その両政党が予備選挙などにより候補者を予め一本化するような慣習があれば、first-past-the-post の制度的欠陥は目立たずに済む。しかし、現代日本の政治状況を見れば、全く実態にそぐわない制度であることは明らかである。

 現行制度の欠点をお手軽に解消するには、第一回目の選挙において一定以上の得票成績をあげた候補者だけが第二回選挙に進む方式を採用するか、あるいは、豪州などが採用している優先順位付き連記投票制(preferential voting system;有効投票総数の過半数を占める候補者が得られるまで、優先順位が二位以下の得票者の票を順次移転積み上げ加算する方式)を導入し、もっとも多くの有権者の支持を得ている候補者を数理的に決定する方式を採用することが早道であろう。せっかくならば同時に、供託金の没収ラインの設定を、有効投票総数の一定割合とするのを止め、有効投票総数を候補者数で割った数に対する得票数の割合を基準にすべきであろう。さもないと、十数人の候補者が立った場合、全員、供託金を没収されることにもなりかねない。立候補者の総数が多いこと自体は、民主主義が活発なことの証拠でこそあっても、候補者個々人の罪ではないはずである。

 そもそも、地方自治体の首長にいわゆる大統領制を採用し、執行機関の長と議会の多数派が対立しうるような仕組みを取っていること自体が、必ずしも賢明な選択とはいえない。現行制度のもとでは、選挙制度の不備とも相俟って、議会による首長の不信任(または住民リコール)−同じ首長の再選−議会による首長の不信任(または住民リコール)というループ、あるいは、首長による議会の解散−同じ陣容の議員の再選−首長による議会の解散というループが、無限に続くことが現実にありうる。このような地方政府の機能不全状態を排除できない制度は、不完全な制度である。

 国と地方の政府の構造に関する議論は別の機会に譲り、選挙制度に絞って考えよう。日本の現状を見る限り、この選挙制度ともいえない選挙制度は、民主主義の概念の未熟な未開国においてか、あるいは、戦争に負けて、投票に使う紙もなく、金もなく、算術のできる人も少ないような、特別な状況においては許されるであろうが、現代日本においては容認されるべきではない。現行の公職選挙法のような間抜けな法律が存在している国は、民主主義国であるかどうかを問う以前に、到底、文明国と呼ぶことはできない。

 では、なぜ、公職選挙法の当選人決定に関する規定は何十年も放置されたままなのだろうか。不備な法律だ、論理に合わない法律だ、と誰も糾弾しないのだろうか。その最大の理由は、総務省や法制局の官僚に能力がないためではなく、立法者全員が、この非合理的な法律のもとで、あるいは、この非合理的な法律のおかげで当選してきている人たちであるからに他ならないからではないか。自らの地位を否定するようなことはできない、ということだろう。この国は、やはり、法の治めている国ではなく、人が治めている国なのだろうか。

(2003年4月16日)