連載:西洋料理店の楽しみ


第2回 パンの話

 さて、西洋料理では、最初から最後まで、パンのお世話になる。正確に言えば、前菜が供されるときから菓子が供されるまでの間、全ての料理の脇にはパンが寄り添う。そこで今回はパンについて思いつくままに記してみたい。

ロールパン

 かつて日本で、西洋料理といえば、例の、小さくて丸っこいロールパンがお馴染みであった。今でも、東京上野の精養軒神田一ツ橋の学士会館などの老舗では、この懐かしいパンが相変わらず客に供されているのだろうか。思い返せば子供の頃、両親に連れられて洋食屋に出かける楽しみの少なからぬ部分は、あのロールパンのかすかな甘みとその丸い上部のよく焼けた部分のかすかな苦みの調和の魅力に負っていたことは否定できない。また、真鍮製であろうか、テーブルの中央におかれた重たい銀色のバター容器のなかに、削り取られて小さな形に丸まったバターが行儀よく並んでいるのを見るのも、いかにも洋食屋にきたのだという感覚を与えたものであった。やがて、市中のパン屋でも、角形の、いわゆるイギリスパンに加えて、バターロールなる商品が人気を博すようになり、西洋料理といえば必ずロールパンが連想されるほどまでになった。

 ロールパンは、しかしながら、西洋の料理店では滅多にお目にかかることができない。それを反映してか、日本の西洋料理店からも急速にロールパンが姿を消しつつある。フランスにおいては朝食として単独で、あるいはハムを挟んで軽食用のサンドイッチにする以外の方法では供されることのない三日月パン(クロワッサン)が、かつて過誤的に日本の西洋料理店で供されたことがあったが、それも急速に姿を消した。その結果、いわゆるフランスパン、実際には太めのバゲットの輪切りが多くの西洋料理店で供されるようになったというのが現状ではなかろうか。

 パンにはいろいろな種類がある。国や地域によっても著しく違うし、また、供する料理によって組み合わせるパンを変えてくる場合もある。最初に、フランス料理を例に取ろう。

まずはバゲット、そして例外としての黒パン

 一般には、バゲットの輪切りが食事の最初から最後まで出てくることが多い。ただし、高級な料亭では、前菜に対しては香草あるいは穀類を生地に合わせたパンを合わせてくるところがある。それとて、主菜が出てくる頃までには普通のパンに代わることが多い。炊き込みご飯で刺身を食べるのは気が進まないのと同じ理屈であろう。前菜のうちで、バゲット型のパンを供さないことになっているのは、生牡蠣とフォアグラ羹である。では、何を出すのかといえば、生牡蠣には黒パンの薄切りと相場が決まっている。この黒パンはや湿り気があって密度の高いもので、かすかな酸味がある。また、この黒パンには、バターがお供として付いてくる。余談になるが、フランス料理の食卓にバターが並ぶのは、この生牡蠣の黒パンに付いてくる場合と、主菜の後でチーズを食べるときに限られる。それ以外の料理では、既にソースの中に大量のバターが使われているので、特別にバターを用意しなくても、客が食事を喉に詰まらせる危険はないという判断であろう。しかしこれは、パン自体に程良い塩味がついており、ほどよい水分と内部の柔らかさが保たれている条件が満たされればこそである。

トースト

 もう一つの例外的前菜は、フォアグラ羹(フォアグラのテリーヌ)である。これには、やはり、トーストと決まっている。勿論、角形の白パンを焼いて出す場合もあれば、円筒型もしくはラグビーボール型の田舎パンの薄切りを焼いて出す場合もある。一般には、トーストは保温のために白い布に包まれ赤ん坊よろしくテーブルに登場するであろう。これを、フォアグラ羹を頬張る合い間に千切って口に運んでもよし、トーストの断片の上に適当な大きさに切り分けたフォアグラ羹の固まりを塗りつけるようにして口に運んでもよい。ちなみにトーストは、タルタルステーキにもよく合う。生牡蠣にしても、フォアグラ羹にしても、普通の白パンには合わないことは確かであるが、かといって、これらのパンと一緒に食べなけれならないというものでもない。パンなしで、そのまま味わうのもなかなかよい。

やはりバゲット

 では、主菜とともに味わうパンはといえば、先に述べたように、バゲット型のパンの輪切りである。バゲットとは実際には比較的直径の小さいパンであり、それよりも太いパンには別の名前が付いているので、ここではバゲット型のパンと総称する。バゲット型のパンの長所は、まず、持ち運びが便利なことである。フランスの街角では、バゲットを小脇に抱えて早足で歩く人や、買い物途中の古い自動車の後部座席に、無造作にも、バゲットが無包装のまま放り投げおかれているのを目にすることが間々ある。もう一つの長所は、表面が堅い皮で覆われており、内部の柔らかい部分に含まれている水分が蒸発することを妨げてくれることである。西洋料理店でもバゲットを自家で焼いているところは少なく、たいてい出入りのパン屋から購入しているから、半日から一日保存できることは助かる。日本のパン屋でバゲットを購入すると、ご丁寧にも何重にもビニール袋に入れてくれる場合があるが、内部の湿気がパン全体に均等に回ってしまい、バゲットの命であるパリっとした外皮がグニャグニャになる危険がある。オーブンで軽く焼きを入れれば元に戻るが、むしろ、その日のうちに食べるのであれば、最初からビニール袋で包装しない方が賢明であろう。

 繰り返すように、バゲットの命はパリっとした外皮にある。塩と微かな油分の醸し出す香りと風味は主としてこの外皮によってもたらされる。従って、新鮮なバゲットであれば、両端部分こそ、皮の体積比率が多い、つまり最もおいしい部分なのである。従って、フランスで食事に招かれ、パンのこの両端部分をあてがわれたらそれは感謝すべきことなのであって、「どうしてこんな端っこを私に...」などと決して逆恨みしてはならない。しかしながら、パンに一度乾燥が及び始めると最も早く硬化するのがこの両端部分なのであって、そうなれば、客人には中央部分を供した方が親切というものだろう。

 バゲット型のパンを供する方法であるが、一番嬉しいのは、微かに暖めて、食べるに従って一個また一個と補充してくれるやりかたである。わずかに加熱することによってパンの香りが開くのを楽しむことができ、また、外皮も適度な堅さを取り戻す。日本の西洋料理店では、パンに値段を付け、一個幾らで料金を徴する場合があるが、これは日本料理店で緑茶のお代わりをするのに金を取るようなものであって、全くの興醒めである。イタリアでは、コペルト(coperto)という名目で金を取るが、これは一人当たりの席料のようなもので、パンをたくさん食べたからといって、たくさん金を取られるということはない。日本で多く見かけるのは、バゲット型のパンの切り身を各人のパン皿の上に置くというサービスである。これは、日本人の神経症的あるいは宗教的清潔感覚に呼応する風習であるとも見なせる一方、客が回転するたびにテーブルクロスを交換しないで済ませようとする店側の怠慢の現れであるとも解釈できる。西洋料理店では、新しい客ごとに、布製であれ、紙製であれ、テーブルクロスを取り替えるのが原則であり、真新しいテーブルクロスは常に清潔である。また、パンには汁気がないから布に染みを残すことはあり得ない。であれば、パン殿を恭しく皿の上に奉る必要はないのであって、テーブルクロスの上に直接置く、これが普通であり当たり前の習慣である。もちろん、フランスやイタリアでは主菜と同時にバターを食べることはしないから、パン皿を使う必要性は、全くないのである。察するに、我が国では、一旦パン皿を使い始めてしまうとそれに文句を付ける客も少なく、だんだんとパン皿を使う店が市中に蔓延るようになったのであろう。食卓の上に一度に一人当たり一枚限りの皿が置かれているほうが、風景として美しいものである。また、菓子の供される前に、給仕が工夫の凝らされた器具でパンくずを清掃する儀式は西洋料理の楽しみの欠かせない一場面である。いずれ、パン皿の排斥活動を展開せねばなるまい。協賛していただける方は是非、運動にご参加ください

古典的命題に立ち返る

 西洋料理に関して花嫁修業学校などで話題になる(と想像される)のが、果たして、パンをソースに浸して食べてもよいかという命題であろう。古くフランスでは、パンは球形に近いものが多く用いられていたという。球のことをboule と言うから、そこからパン屋 boulanger という言葉ができたことは皆様先刻ご承知の通りである。なぜ球形かと言えば、表面積最小にして体積最大、すなわち乾燥からパンを守るという保存上の要請があったのであろう。それでも、やはりパンは堅くなる。翌日になればカチカチになる。そのパンをどうやって食べるかと言えば、往時のフランスの家庭では、今でも田舎の農家ではそうであろうが、熱いスープに浸してふやかして食べるのである。同じような料理で、堅くなったパンの上にブイヨンと卵をぶち込んでふうふう言いながら食べる料理がイタリアにもある。そういうわけで、家庭でのパンの食べ方としては、スープに浸そうと、ソースを掬おうと自由である。むしろ、作ったものを無駄なくいただこうという倹約精神の発露と見るべきであろう。

 議論が分かれるのが、「では、料理店でどうするか」であろう。結論から言えば、私は客の自由でよいと考える。高級料亭でソースをパンにしみこませて食べるのははしたない、という向きもあろうが、真の高級料亭では主菜本体(固体)の分量とソース(液体)の分量の相互関係は最適化されているから、普通に両者を絡めて食べる限り、皿の上に大してソースが余ることはない。もし、大量のソースが残ったとするなら、逆に、その店が高級料亭の範疇には入らないということである。とすれば、料理人の努力の結晶であるソースを皿に上に残すのではなく、最後まで味わって何が悪いであろうか。また、バゲットの柔らかい中央部の蜂巣構造はソースを吸わせるのに適当である。

そしてチーズ

 いよいよ主菜が済んだところで、チーズである。気の利いた料理店では、ここで白パンに差し替えて胡桃パンなど出してくれるはずである。ここでパンの存在感が高まるのは、フランス料理におけるチーズが、日本料理のお茶漬けあるいは白いご飯と香の物に相当するからに他ならない。主菜が終わった段階で、まだ充足しない客は、ここで腹具合を調整できるわけである。臭いの少ないまったりとしたチーズにあっては胡桃パンの香りが引き立ち、臭いのあるチーズあるいは酸味の強いチーズには胡桃パンのまろやかな風味がよく合う。山羊乳チーズでは、香草入りのパンも悪くない。チーズを各人が選んだ直後にいろいろなパンをバスケットでサービスしてくれるのは嬉しいものである。

イタリア料理に彩りを添えるパン達

 ここで、フランス料理から目を周囲に移そう。パンは栄養学的には澱粉主体の副食であると見なすことができる。となれば、イタリア料理で前菜とともに、あるいは前菜が出てくるよりも前に供されるグリシーニと呼ばれる細長い乾パンやクラッカーも、広い意味で、食卓を盛り立てるパンの仲間であろう。ピザ屋では、味と言えば塩味だけの薄焼き煎餅のようなものを前菜の前につまみ代わりに供するが、これもパンの変形である。また、トウモロコシ粉で作ったポレンタも、小麦が十分のとれない地方では主要な副食である。

地域で違うパンの地位

 小麦が収穫できないといえば、そば粉でつくったクレープなどを食する地域があるがこれもパンの代用であろうし、米を食するイベリア半島地域、ジャガイモを主要な副食とする中央ヨーロッパもある。ドイツあるいはポーランドなどで、主菜に馬鈴薯が副食として添えられる場合、その主菜が登場する直前にパンが食卓から下げられてしまうという経験をおもちの方がおられるであろう。これはとりもなおさず、馬鈴薯がパンの地位を占めている証拠である。

終わりに

 パンの世界は思いのほか広いが、それにしても、よいパンに巡り会うことは決して多くない。料理を生かすも殺すもパン次第であるから、これは残念なことである。逆に、うまいパンに出会ったときの喜びはひとしおである。パンがおいしいと、ついつい食べ過ぎる危険もあるが。日本の西洋料理店でもパンの重要性に最近ようやく気づき始めてきたようであるから、今後の改善に向けて大いに期待が膨らむのである。

(1998年12月18日)