お大尽旅行記 

(優雅なエジプト旅行も良いかも)

バルさんによる


「お大尽旅行記」ですって、わかりました、ぽつぽつ書かせていただきます。
 

エジプト到着マイナス一日目、3月27日(土)

から行きましょう。

13:30、JL417便にて出発。同日18:05にミラノ空港に着、20:30発AZ898便に乗り換えてカイロに。
 

第一日目、3月28日(日)

01:15、カイロに着。アフリカ大陸に初上陸。なぜか海の香り、ナイル川の匂いかもしれません。

 通路を進んで頼んでおいたBHトラベルの係りの人となぜか入国前に合流。滞在中のガイド料とビザ代を支払い、パスポートにビザ(印紙状態)を貼ってもらい、入国審査。目つきの鋭い係官のチェックを受け、無事に入国。

 入国審査前の係りの人とはここでお別れ(どんなコネがあって保税地域に入れるのか謎です)、ガイドさん(モハメッドさん、この国にこの名前の人は大勢いるのでしょう)と合流後、ミニバンにてホテル・セミラミス・インターコンチネンタルにチェック・イン。(まあ、リッチ!!:大家)

02:40、入室。エキストラ・ベッドを一つを追加してもらい、入浴など。

05:30 荷物をほどいたりして就寝(仮眠?)。

09:30 起床、晴れ。遠くにモヤが見えるので「ロマンティックだな」と思っていたら光化学スモッグとのこと、恐るべし、カイロ。ルーム・サービスを頼むと「25分以内に届けます」との事。

10:35 朝食到着。エジプトの時計は日本のそれより1/3の速度で進むようです。恐るべし、カイロ。(それぐらいで驚いていては、、、:大家)

12:00 ガイドさんとフロントで待ち合わせ、専用ミニバンで観光へ。いきなりクフ王のピラミッドに入場。「現在は08:30から限定150人、13:00から限定150人の一日合計300人が入場可能になりました(ガイドさん談)」。ちょっと早く着いたので駐車場(ピラミッドのまん前の砂利の広場)で待機。すると旅行代理店のアシスタントさんが切符を持ってきてくれました。恐るべし手配力。

13:00入場、高さ90cmの高さ(低さ?)の通路を15m進んで一休み、次いで同高さの通路を45m進んでまた一休み、かがんで登るので腿がパンパン、ひざが笑っています。玄室に入り、感動(こんなもんか、と)。登ってきている人とぶつかりながら同じ通路を戻り、見学終了。入って出るまで30分、短いながらも夢がかなった幸せな時間でした。

14:00 記念撮影を済ませ、ミニバンに乗り、スフィンクスと神殿に到着。ガイドさんの説明を聞き、何度もうなずきながらスフィンクスの横へ。写真をじゃかすか撮っていると物売りの少年登場。ピラミッド3つとスフィンクスが入った4点セットを二つ、3ドルで購入。高いのでしょうが、私の周りが少年だらけになったので値切り交渉をあきらめ、支払いを済ませ、撤退。「スフィンクスはフライドチキンを見ている」は本当でした(ピザ・ハットも見ていました)。

14:40 見学終了、カイロに戻ります。市内に近くなると大渋滞。
 
15:30 親類のいるゲジラ島(それはお金持ち!!:大家)に到着、ここでガイドさんとお別れ。休憩後、皆で夕食に。連れて行ってもらったのはエジプト料理店。高級店でした。支払いはしてもらったので不明。

21:50 ホテルに帰り、就寝。
 

第二日、3月29日(月) 

本日はいよいよアレキサンドリア往復の日。結構体力を使いそうです、

05:00 起床。まだ真っ暗。

06:00ルーム・サービス届きます。今度は指定どおりです。頼んだ朝食は3人前、4人で3人前ならちょうど良いでしょう。一人70Eポンド。ヨーロッパのそれとくらべるとずいぶんと安く感じます。(しとり70Eポンド、、、、うひゃー驚異的に高いですー。大卒の初任給が500Eポンドくらいですから。:大家)

07:45 駅に着き、乗車。08:00発の特急(?)列車。2時間で到着する予定。ガイドさんいわく「エジプトの列車は予定時刻よりも早く発車する事がある」。恐るべし。車両は一等車。30年くらい前の日本の列車のようです。ガイドさん同行なので楽でしたが、自分で駅に行って、自分で切符を買って、自分で発車ホームを見つけ、自分で座席を見つける、このどれ一つとして自分では出来ないと感じました。

 と言うのは文字が全く読めないからです。エジプトの習慣もわかりません。まあ、そのためにガイドさんを頼んだのですが、「〇球の歩き方」のような本を持って一人で自力で旅行をするのは相当な覚悟が必要だと思いました。

 車内では、、、。しばらく高速道路(おそらく)と平行して走りますが、道路には10人くらいの人がワンボックス・カーに乗っていて、どうやら車の限界に近い速度で疾走しています。ガードレールがあるわけでなく、路肩はアスファルトとつながっています。「もしも犬でも道路に出てきたら、、、」と思うと、列車にして良かったと感じました。

 列車のお手洗い:昔の日本の列車のように線路が見えます。便座に座ると大変そうなので、中腰で済ます脚力が必要だと思いました。なぜか係りの人がお手洗いを出ると待っていました(ちゃんと渡しました)。

 終点の一つ手前の駅から左を見ると高層ビルがわんさかと建っています。大都会だと感じました。

10:10 アレキサンドリアに到着。ドライバー氏と合流(カイロからあらかじめ走ってきてもらいました)。第一箇所目の観光地、ローマ遺跡に1分で到着。

 ローマの古代遺跡に到着。ガイドさんから「簡単なアレキサンドリアの歴史」を聞き、見学開始。帰国後にふっと気づいたのですが、アレキサンドリアの歴史はエジプトの中ではものすごく新しいものだ、と。だって紀元前332年?ですから。とは言ってもそれ以前から人は住んでいたのでしょうけれど。

 円形競技場は今まで見た中で最も小さく、他の古代ローマ軍が占領した町よりも少人数のローマ兵で占領がなされていた事がわかります。ローマ人が多いほど円形競技場は大きくなる傾向がある(これは私見です)ので、きっとローマ軍に早くから屈服していたのでしょう。カエサル、アントニウス、オクタビアヌスらのローマ人の巨匠の力を知っていた証だと思います。

 遺跡には小さなスフィンクスが数体ありました。ルクソールですとかそこいらから装飾品として持ってきたのでしょう。風化しているのがちょっとかわいそうでした。

10:50 見学終了。次はグレコ・ローマン博物館へ。オレンジ色と黒、黄色と黒のタクシーは皆30年以上前のフィアット社の自動車。(あり? プジョーやラーダじゃなかったかしら?:大家)カイロでも古いタクシーばかりでしたが、エジプト人は物を大事に使うのでびっくり(プジョー504,505より後の自動車は、電子機器で制御されていて自分達では修理できないので使われないようです。:大家)。「皆、個人タクシー」とはガイドさんの談(共用のものは大切に扱わないので、タクシー会社が存在できないのでしょうね、、、:大家)。そういえば道路にマンホールがありました。時には雨が降るのですね。

11:00 博物館に着。ローマ円形劇場でも同様でしたが、入り口には何人ものエジプト人がいて、ガイドさんが切符を買って、ノートになにやら書き込んでいます。「来場者名簿」とのこと。書かせてどうするのでしょうか?

 ロゼッタ・ストーンのコピー、セラビス神、ミイラ・・・グレコ・ローマン時代の「顔の部分が仮面でなくて肖像画」でした。手抜きなのでしょうか?ワニのミイラもありました。

12:05 終了。「ポンペイウスの柱」へ向かいます。路面電車の線路の上にまで「移動式商店」が出ているのにびっくり。

 ミニバスもあまりの道路の混乱・・・お店だらけ、人だらけ、おまけに大型バスも通る・・・に徐行。「ガイドさんやドライバーさん抜きでは絶対に目的地にたどり着けない、それどころか歩けない」と痛感。「○の歩き方」を片手にうろうろしていたらとんでもない事になっているでしょう。

12:25 無事に到着。小さな丘を上って見学開始、しかし写真を撮ってすぐに終了。柱の近くでガイドさんから説明を受けていると、退屈な次男が柱にちょっとのぼって遊び始めました。すかさずどこからか係員さん登場、怒られました(だって遺跡ですものね)。

 時間が余ったので地下の図書館跡を見学。海への脱出用トンネルを掘った跡が残っていました。

 移動してカイト・ベイの要塞へ向かいます。

12:55 カイト・ベイに向けて出発です。出発してすぐに路面電車とハチあわせ、お互い譲らず大喧嘩、とはならなくてお互いゆっくりと走って通過。左は路面電車、右はお店の商品、ドライバーはミリ単位のドライビングテクニックを持っています。

13:15 カイト・ベイに到着。途中の路面は舗装されていました。ここでの目的は「かつてあった灯台の郷愁に浸る」でしたがもちろん跡形もありません。立派な砦でした。城内には中学生らしき人(エジプト人)が大勢来ていました。すれ違うたびに「ハロー、ハウ・アー・ユー」と話しかけてくるのでその中の一人に「ファイン、サンキュー、アンド・ユー?」と切り替えしたら「ファイン、ホワッッ・ユア・ネーム?」と再び質問。どうやら学校で習った英語が本当に通じるのかを試しているようでした。(「ヤバーニ、ヤバーニ」とはやされなかった?:大家)

13:35 見学終了。遅い食事にします。裁判所の前を通ってガイドさんの言う「ウインドソル」ホテルのレストランへ。メニューは魚のスープ、揚げ物(イカと白身の魚)、お米のご飯、オレンジとバナナ。観光客用セットメニューでしょう。ホテルの名前はどうやら「ウインザー」、エジプト英語だと発音が変わってしまうのでしょう。

15:00 昼食終了、残るは2箇所、図書館と砂浜。図書館はすぐ近くにあり、写真撮影(中には入りませんでした)。そして広い海岸通りを走って、工事中のビーチを通過して砂浜に到着。子供たち大喜び、砂遊びを始めます。ガイドさんに「海水がどれくらいしょっぱいかなめてみる」と言ったら「おなかをこわすからやめなさい、だって何でも海に流すから何が混じっているかわかりません」とのこと。素直に従いました。

 ビーチにはビーチパラソル、椅子に腰掛けて飲み物を飲んで優雅に海を眺める、やりました。コーラを飲みました。でも通る人たちがジロジロ見るので落ち着かず、すぐに撤退。

16:05 本日の見学すべて終了、駅に向かいます。海岸道路は幅が広くて快適、しかし飛ばすのでちょっと怖い、その前を人が横断するので時々妻は引きつっていました。

16:20 駅に到着。ドライバー氏にお礼を言ってお別れ。彼はこれからカイロに戻ります。大変な仕事です。

17:00 列車出発。車内販売の人が来てガイドさんが新聞を買いました。私にも「新聞いりますか?」と聞いてくれたのですが読めないのでパスでした。

 発車後、妻と子供たちは爆睡。私はパスポートなどを盗まれると困るので必死に起きていました。ガイドさんも途中寝ていました。

19:45 無事にカイロに到着。お迎えのミニ・バスに乗って出発。いきなり自動車の洪水。そこいらじゅうに響いているクラクションの事を次男は「音楽みたい」と表現。数日で慣れてしまったようです。(将来有望ですねー。そうそう、エジプシャンは日本車を「良い車だけど、すぐクラクションが壊れる」と評するそうな、、、:大家)

20:10 ホテルに到着。夕食はマジック・ライス。食後、すぐに就寝。
 

第4日、3月30日、エジプト最後の日。

03:00 起床。時差にやられています。

08:05 朝食後、出発。本日の観光は

1、マタレイヤの木の見学 
2、ナイロ・メーターの見学 
3、ファラオ村で遊ぶ 
4、船上レストランで食事 
5、カイロ博物館で勉強 
6、ホテルで夕食後、フランスへ 
と盛りだくさんです。

08:40 そこらじゅうに穴が開いている道路を通り、犬や猫がごみをあさっているディープな街を抜けてマタレイヤ地区の「聖なる木」に到着。この場所だけがきれいに整備されているのはキリスト教関係者が訪れるからだと思います。

 キリスト一家が天使に教えられてやってきたエジプトで休んだ(といっても数日滞在していたようです)聖なる木は現在3代目、初代の木も朽ちてはいますが残っています(本当なのでしょうか?)。3代目の木にはフランス語の落書きが書かれています。「けしからん」と思っているとガイドさんが「この落書きは1798年のナポレオンのご一行が書いた物」と説明をしてくれました。そうなると落書きも値打ちがあるように思えてくるので不思議です。
 
 
 

09:00 見学終了。次のナイロ・メーターに向かいます。

09:45 私が知っているナイロ・メーターは小学校か中学校の社会科の教科書に載っていた「川岸にある竹定規の大きいやつ」でしたが、ここの(ローダ島近く)メーターは立派な建物(8世紀にイスラム教徒が造ったそうです)。想像していたのと違うのでがっくりしていたのですが、見学を終えてナイル川を見ていたらありました、目的の「竹定規の大きいやつ」が。アスワン・ハイダムができて水位で氾濫を予測する事はなくなったそうですが、教科書で見たのと同じだったのでなぜだか嬉しくなりました。
 
 
 

10:10 見学終了。次はファラオ村。20分で到着。ガキばかり、、、いや、身だしなみのきちんとした良いところのお坊ちゃんやお嬢ちゃんばかり。すぐに小船に乗って見学開始。古代エジプトの仕事の様子が良くわかる「実演劇場」、船が移動するにつれて場面が変わってゆきます。農業、牧畜、道具作り、など日本だったらコンピュータ制御の人形が演じるのでしょうがここはエジプト、人が演じています。人海戦術です。

 面白かったのは船が通り過ぎた後の演技者たち。見えなくなる寸前に振り返ってみるとすでにみんな休憩状態、手を振ると「しまった、見られた」と言うような顔をしながら手を振り返してくれるのでした。

 船を下りて、村を見学。たくさんのパビリオンがあり、すべてはとても回りきれないのでいくつかを見学。面白かったのは「キリスト教」のパビリオン(というよりも小屋?)。ベツレヘムからエジプトに来たルートとともにベツレヘムへ帰って行くルートも説明されていました。私がいろいろとネットで調べたのですが、帰りのルートがどうしても調べられなかったのでした。その謎だった「帰りのルート」は、、、来た道を引き返していたのでした。「ひょっとしてシナイ半島を通って帰ったのかも」と言う私の推測は見事に外れたのでした。

12:55 ファラオ村、終了。次に昼食場、ナイル川に浮かんでいるレストラン「ブルー・ナイル」に向かいます。

13:20 到着。食事は、、、良いといえば良かったし、まあまあ、と言えばまあまあでした。

14:55 今度は考古学博物館に向けて出発。

15:05 着。ここは見ごたえがありました。

 見学開始。日本やヨーロッパでは見かけなくなった「木枠とガラスの展示ケース」にちょっと感激、ガイドさんの「ヌビア人や戦争で負けた人が奴隷として働かされていた」「ツタンカーメン王は亡くなった時には身長164cm、棺に置かれていた花束は3月の終わりに摘まれたので亡くなったのは1月だろう」などの説明に感心。

 人でいっぱいの展示室をいくつか見学をした後にいよいよ「黄金のマスク」!身長180cmくらい、年齢40歳くらいの目つきの鋭い係員の監視の中、じっくりと見学。ガイドブックやテレビで見るよりも照明のせいか金が放つ光は鈍く、かえって迫力を増しています。

 フラッシュをたかないように写真を撮りましたがあいにくピンボケ、フラッシュを光らせた人たちは先ほどの係員に怒られて部屋から強制退場(でもフィルムを抜かれると言う事はありませんでした)をさせられていたので我慢するしかありません。

 階をおりてスフィンクス(触れる)、クフ王の肖像(高さ7.5cm)、追加料金を支払ってミイラ室も見学(入るときと出るときになぜか日本式に合掌)。

16:40 これでエジプトでの見学を全て終了。ホテルに戻ります。

17:50 ホテルに着。この後の予定は01:05発のAF521便に乗る準備。夕食と夕寝と荷造りをしてエジプトとお別れです。

 ホテルを出発するのが22:15に決定、すぐにルーム・サービスを頼んで姉一家と夕食。サラダ、ラザニア、チキン・サンドイッチ、スパゲッティー・ナポリタン、ハンバーガー、フレンチ・フライを8人で分けます。広い部屋はこんな時に役に立ちます。

20:30 食事終了、姉一家ともお別れ、子供たち(ついでに妻も)夕寝。私は一人で荷物整理。私は寝過ごすとまずいのでのんびりとバッグに荷物を詰めます。

22:00 チェック・アウトの済ませ(支払い金額は内緒)、部屋に戻って荷物を引きずってフロントへ。ガイドさんと合流し、暗くなった街を抜け空港へ向かいます。のんびりと走って、、、と言う事は全くなく、前を走る車にパッシングの嵐を浴びせてとにかく前に出て行きます。日本だったら喧嘩になっている程の強引さです。

22:45 空港第二ターミナルに着。ガイドさんにお別れをしてここから入国した時の「特別の許可を持った係りの人」と合流。パスポートと切符を渡してチェック・イン・カウンターへ。のんびりと仕事をするAFの係員にいらいらしながら待っていると「特別の許可を持った係りの人」がカウンターを一つ開けさせることに成功、そしてすぐに搭乗手続き終了。「コネ社会」の威力をまたも見せ付けられたのでした。

23:25 出国。ここで先ほどの係りの人とお別れ、半分工事中の搭乗ゲート4番で待機。ちょっと薄暗いのが気になりますが、円形のしゃれたゲートです。

00:00 場内アナウンスではなく、生の声の「エア・フランス、エア・フランス」との係員の声で搭乗、しかしその前にもう一度X線検査、厳重です。

 AFの機内に入るといきなりフランスの雰囲気、言葉もフランス語が最初に話されます。乗務員の「乗り換えて東京へ行くのですか?」とのフランス語での質問に妻はにっこりと「ウイ」と答えています。一人だけ帰国するつもりのようです。

01:20 離陸。これで楽しかったエジプトと本当にお別れです。「じーん」と涙ぐんでしまいます。隣の長男も、、、と思ったら機内のゲームに熱中、彼に「感傷」と言う言葉は無いようです。

 この後パリのドゴール空港に到着、AFバスでオルリー空港に移動してまた飛行機に乗り無事にニースに到着しました。ーーーーおしまいーーーー 

 ああ、ようやく書き終えました。思えば忙しすぎたエジプト旅行でした。団体ツアーで行く半分も行っていない訪問地でしたがそれなりによく行ったと思います。幸いトラブル無く、良い思い出だけが残りました。インターネットでエジプトを検索して見つけたこのHPのおかげでエジプトの様子を知る事が出来てものすごく助かりました。ここで改めて御礼を言わせていただくと共に私の日記が次に行く方のお役に立てれば嬉しいと思っています。


 喜田くんのメインに戻るこちら