"Ommagio a Balthus"

20 Dicembre 1996
Accademia Valentino, Roma


 クリスマス前のコンドッティ通りは世界中からの観光客でごった返していて、君は雑踏から逃れながらスペイン階段の手前まで辿り着く。君はスペイン階段を上る手前で、小さな美術展が行われている古い建造物に入る。会場へと上がる階段のかたわらに荷物を預ける場所があり、そこの美しいちょっとやせぎすの女性が君に声をかける。君の大きな荷物は持ったままでは会場へは入れないそうだ。君は背負っていたサックを彼女に渡す。サックを手にした彼女はその重さに少し大げさに驚いてみせる。

 確かに重いのだろう。今まで町をさまよい、ウンベルト橋の近くの美術古書店に始まりいくつもの古書店を渡り歩きながら、クラナッハ、カラヴァジオ等の古い画集を買い求めていたのだから。戦利品の詰まった凱旋袋なのだから。

 会場に入ると正面の大きな部屋には、画家の最近のやや大き目の作品群(猫と鏡の連作等)が展示されている。そのいくつかは君も既に、その画家の指示で京都で行なわれた展示会の際に見たはずだ。君は彼が若い頃に描いた作品が多く展示してある左手の部屋に進む。奥に長いその部屋は正面突き当たりの手前に奥に向かって上がる階段があって、小さな舞台装置のようだ。一日中歩き回って疲れている君はその階段に腰掛け、その正面を見つめる。その向かい、つまり部屋への入り口の側の壁にかかっている一枚の絵を見つめる。淡い色調の風景画、君にはそれを見た記憶がない。遠方に海の広がる小さな町、クレーを思わせる柔らかい直線を多用したその画は、君にあのあまりに有名な「デルフトの遠景」を思い起こさせる。画面の半分以上を占める青い空のせいかもしれない。中央にはギロチン台のようにも見える教会。

 君は立ち上がってその絵に近づく。

 君はいともたやすく恋に落ちる。 Larchant と題されたその絵。君の頭の中には Larchant という単語は見つからない。するとこれは、この土地の名前なのだろうか。

 真ん中にあたかもうち捨てられたかのように、柔らかい色彩で描かれた四角い家々がその教会を中心に広がっている。階段に腰掛けて見ていた時に海のように見えたのはどうやら地平線のようだ。左手には切り崩したかのように土をむき出した丘、右手は暗い遠景へと吸い込まれていく。そして前方にはあつらえたかの様に水平に切り取られた草原。君はその草原に立ってみる。草の匂いをかぎ、耳をきる風の音を聞く。

 10分以上もそうしている間に君は奇妙なことに気が付く。

 この絵は右手の方から見る時と、逆に左手の方から見る時とではどうやら町の様子(表情)がずいぶんと違うのだ。単純な遠近法で描かれたかに見えるその絵には実は巧妙な仕掛けが隠されているのか。それともこれは、君の疲れた目が見せる錯覚なのだろうか。

 君は絵の前で少し右側からじっと眺めたり、今度は左側に行きじっと見詰めてみたりしている。

 やはり、景色が変化する。

 まるで、人の顔のように。

 彼女は、その表情を見る場所によって微妙に、しかし確かに変化させるのだ。君の顔が険しくなる。今までは恋に落ちたものがそうである様に、無防備に愚かな表情であったのだが、彼女にどう見られているかが、ふと不安になったのだ。君は彼女の右側からの表情が好きだったので(それは美しいというのとは少し違っている微妙な不安定さの危うさの魅力というべきか)、ちょっと右側に立ち彼女を見つめる。


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