任国外旅行(下)

ギリシャ編 

 やってきました。憧れの国ギリシャ。

 ちょっとギリシャから話がずれるのですが、聞いてください。 僕は、中学、高校とTM Network熱狂的なファンだったのです。3人の身長、体重、誕生日を全部覚えていたくらいですもん。それで、そのTM Networkの歌の中に、「電気じかけの予言者」という曲があるのですが、下のような歌詞です。

 僕は、この歌があったからこそ、とてもギリシャに行きたかったのです。だって世界中で一番の夜ですよ。夢いっぱいで、ギリシャに着たのでした。

 28日 初日はアテネをぶらつきました。なんとそこで、偶然、先に任国外旅行に着ていた先輩隊員に会ったのです。初日から災難?いや、いや、そんなことはありませんが、世界は狭いなあと感じました。早速、一緒に、日頃は食べられない日本食を食べに行きました。アサヒビールで、ギリシャに乾杯!
 
 29日 ミコノス島に行く予定で、ピレウス港からフェリーに乗りました。着くまで、5時間の予定。4時間後、船が着き、「予定より早く着いたんだなあ」とか思いながら、島に上陸。「なんか地球の歩き方の地図と大分、違うんだなあ」とか思いながらも、ホテルをとりました。なんとここは、地球の歩き方にも載っていないような島。その名もシロス翌日まで気づかず
 
 30日 ようやく、ここがシロス島だと気づきました。気づいたのはいいものの、昨夜、すでにホテルを2泊分予約していたから(2泊するということで、ディスカウントしてもらっていた)、明日までこの島にいなくちゃいけない。だって、はじめはここが、ミコノス島だと思っていたから。 仕方なく、ひとりで、この島を探検。ギリシャ聖教の教会や、一日中寝ていられそうな堤防を発見。

 1日 午後、はじめの目的地だったミコノス島に再出発。ミコノスについたら、すぐにビーチに直行しました。パラダイスビーチに行って、ひとりで天国直行。うわさ通りの綺麗な海と女性たちに、うかれていました。

 2日 午後、サントリーニ島に出発しました。こんどは降りる島を間違えないように。でもなんか、昨日、はしゃぎ過ぎたせいか、少し気分が悪くなってくる。

 3,4日 サントリーニには3日ほどいました。僕はここのイアという街は忘れないでしょう。たくさんの白い家に囲まれた店で、自分の作品をだしている芸術家。断崖からエーゲ海を見下ろすcafe。路地裏を歩くネコたち。 これで体調がよければ、言うことないのですが、こっちはいよいよ本格的になってきます。食欲はなかったのですが、なにか食べられそうなものを口にしなきゃダメだ、と思って、選んだのがサントリーニ島唯一の中華料理店「中華大飯店」。なんで、ギリシャで「中華大飯店」行かなくちゃならないんだ? 栄養はとったのですが、それでも気分は悪くなるばかり。サントリーニを出発する4日の日、本当はもっと寝て、休んでおきたかったのですが、憧れの島クレタに行く船のチケットをすでに買っていたので、「はあはあ」と言いながら、夕方、港に到着。寒い風吹きすさぶ中、早く、船来ないかなあ、と待っていると、海が荒れているために、中継点であるサントリーニ島にも、到着が遅れているらしい。 また、ようやく乗ったものはいいものの、船のゆれはひどく、休むどころじゃない。 鳥肌がたって、冷や汗がでて、これはたまらんと、添乗員に「ベッドみたいなところで、寝させてくれ」と頼む。すると添乗員が「リラックス、リラックス」って。アホ!!リラックスできるんなら、リラックスしとるわ!!これはダメだ、アピールが足りないと、思ってその場に崩れ込む。すると、枕を持ってきてくれた。半分、気を失って、きっと目もうつろになっていたと思うんだけど、それでも、気分が悪くて、何度も吐いてしまいました。それを見て、僕の次に、隣に倒れてきた外国人女性もゲロゲロ。2人仲良く、ゲロゲロ合戦。ギリシャで、遠い意味で半分タイタニック状態。念願叶ったり…?

 5,6,7日 憧れの島、クレタに着いたときは、ちょうど、夜の12時すぎ。そう、まさに、あのTMの歌にぴったりの時間でした。 ぼくは、世界で一番の夜を迎えたはずなのです。でも、気分は最悪…。目がうつろになりながらも、頭の中は「何が世界で一番の夜だ、人生で最悪な夜じゃん」と思っていました。あんなに楽しみにしていたところだったのに…。 3日間、ほとんど寝ていました。とりあえず、最終日に、迷宮ラビュリントスで有名なクノッソス宮殿と、考古学博物館は行ったけど。 でも、うれしいことが1つだけ、この病気中にあったのです。サントリーニで知り合った人が、いろいろと面倒をみてくださったおかげで、大分助かりました。薬や水をわけてくださったり、船から下りるときに手を貸してくださったり、大変お世話になりました。とてもうれしかったです。

 8日 アテネに戻ってからは、パルテノン神殿と、国立考古学博物館に行きました。そして、午後、待ち合わせをしていたヨルダンからの協力隊員と最後の日本食を食べ、カイロに発ったのです。

 カイロ空港に着いてから、なにかほっとしました。ここなら大丈夫だ。いつもなら、うざったく思うエジプト人にも、このときばかりは、にこやかに挨拶を返しました。 僕は、やはりこの国で多くの人に守られているのですね。病気になっても、日本人やエジプト人、ここなら誰かが来てくれる。言葉もなんとか通じるし。こんなにこの国を嫌っていても、どこかで、すこしずつこの国を自分の第2のふるさととしているのかもしれない。そんなことを感じさせられた、任国外旅行でした。それと、ヨルダンの協力隊員たちや、サントリーニで出会った親切な人に、とてもお世話になって、改めて、僕は独りじゃないんだな、と感じました。うれしかったです。 日頃、エジプト人の親切を、余計だ!!と思うこともあるけど、冷たいよりは、いいことかもしれないと…。思うけど…。思うんだけど…。やっぱり…ね。
<おわり>

 余談 本当の災難は、やっと、我が家に着いてからだったのです。なんと、大事にとっておいた、日清のカップヌードルなどの日本食をアリが食べているじゃ、あーりませんか。食べ物の恨みは怖いんだぞう。あのときの自分は怖かった。がんばってとっておいたのに…。ホント災難だらけ。 


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