twelve leaves
leaf#9

★自らのパーマネント・バンドを「JUPITER'S POP BAND」と命名していることからも分かるように、宇田川寅蔵はつねにある種のポップさを志向してきたミュージシャン だ。グルーヴィーで踊れるインストを提供するという姿勢(おそらく「信念」と言い 換えてもいいだろう)は、一連の寅蔵プロジェクト作品にも共通している。激しいジャ ム・セッションを聴かせた『leaf#4』でも、あるいはミニマルな電子音をフィーチャー した『leaf#2』『leaf#6』などにしても、基本は同じ。さまざまな手法をコラージュ のように採り入れながら、でも底流には彼独自の「ポップな解釈力」が確実に脈打っていて、それが最大の魅力にもなっているわけだ。 そんな寅蔵が、難解なイメージがつきまとうフリージャズをどう料理するのか。 「フリージャズ2004」と銘打たれた『leaf#9』の聴きどころは、だからこそこの一点 に尽きる気がする。 もともとフリージャズは、バップ/ビバップやモードなどという既成のフォームを否定する音楽として1960年前後に登場してきた。和音という制約から解放されることで、例えばオーネット・コールマンやアルバート・アイラーなどの巨人たちは、凄まじいエネルギーがグルグル渦を巻く“磁場そのもの”のようなアルバムを創り出した。 だが一方で、リスナーをまったく無視した“前衛のための前衛”的な作品が膨大に垂れ流されてきたのもまた事実。プレイヤーの自己満足しか感じられない演奏は、どんなに先鋭的なテクニックやコンセプトにあふれていたとしても、聴き手にとってはやっぱり苦痛でしかない。 フリージャズがもたらした解放感を再現しつつ、しかも決してリスナーを突き放さないこと。むしろエモーショナルなグルーヴに引きずり込んでしまうこと。寅蔵たちが『leaf#9』で模索したのは、おそらくそういう種類の演奏ではないだろうか。 例えば、咆哮のような鋭いブロウで幕を開ける「はぐれ雲」を聴いてみればいい。 寅蔵のサックスがはてしないコード転換を繰り返しながら奔放なうねりを紡ぎだし、アタックの強いイワタワタルのエレクトリックピアノと、タイトな齋藤直樹のドラム スと鋭く交差する導入部は、たしかにフリーフォーム・ジャズの条件をしっかり備えている。ただし寅蔵たちは、それだけでは終わらない。そのぶつかり合いが混沌に帰するギリギリの手前で踏みとどまり、やがておなじみのリフレインがゆっくりと浮上させていく。この二枚腰がいかにも寅蔵ユニットらしいのだ。 耳になじんだオリジナル曲のフレーズを一度バラバラに解体し、それを即興的に再構築してみせるという構造は、さまざまな迂回路をとってはいるものの、他の2曲でも基本的には変わらない。「THE DRUNKERD AND MINA」の冒頭などは、真っ暗な夜の 闇からしだいに寂しげな人影が滲んでくるような趣を感じさせるし、逆に「AN OBSCURE MOVIE THEME SONG」のラストでは激しい即興演奏からオーソドックスな4ビー ト演奏に回帰して、いわば前半に対する回答をきっちり提示してくれている。目の前で繰り広げられるこの力業によって、オーディエンスはいわばインプロヴィゼーションの渦とキャッチーなリフとを交互に体験する。そのコントラストが何とも言えずス リリングなのだ。  水と油が奇跡的に混ざり合ったような“ポップなフリージャズ”。あなたが今手にしているのは、そんな音楽だ。
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