twelve leaves
leaf#6

■現代音楽に「ミニマル・ミュージック」というジャンルがある。きわめて短い(Minimal=極小)音楽的素材を果てしなくループさせることで、ある種の音楽空間を作りあげる作曲スタイルのことだ。作曲家としてはスティーヴ・ライヒやフィリップ・グラスなどが有名で、その影響はたとえば90年代以降の「音響系」や「アンヴィエント・ミュージック」などにもはっきりと受け継がれている。 それでいくと今回の宇田川寅蔵プロジェクト『leaf#6/NEW ELECTORALOPITHECUS』は、いわば「電子音によるミニマル・ミュージックと生演奏を共存させる実験」と言えるかもしれない。寅蔵はすでに、「ELECTORALOPITHECUS」名義で発表した『leaf#2』でも、サンプラーやシンセサイザーを用いたSE/ノイズとの共演を試みている。ただ面白いことに、同じコンセプトに基づいていながら、実際のセッションから伝わってくるイメージはむしろ対極的。『leaf#2』の人工サウンドがどこか不穏な暴力の予感を含んでいたのに対し、今回の「NEW ELECTORALOPITHECUS」はもっと平板かつ日常的。まさに「ミニマル」な感覚でつらぬかれている。たとえば電話のベルだったり、初期テレビゲームを思わせる安っぽい電子音だったり。寅蔵が今回素材に選んだのは、どれもペラペラでまったく「深み」を感じさせない音ばかりだ。おそらく寅蔵を含めて80年代に成長した人にとっては、かつてワクワクするような新しさを感じさせてくれたはずのサウンドなのに、いま聴くとひたすら安っぽい音ばかりが意識的に引用されている。そして、うんざりするような既視感に溢れた単調なループをあえて慈しむように、寅蔵のサックスがやわらかいメロディーをそっと重ねていく。そこには『leaf#2』のテーマだった暴力的ノイズとの対峙は感じられない。むしろ組曲全体を通して伝わってくるのは、色褪せた80年代を少し離れたところから眺め、懐かしむようなやさしい視線だ。ライブ演奏と電子音はお互いパラレルに進んでいき、ほとんど交わることがない。そして、まさにその一定の距離感によって、まったく奥行きを欠いた「スーパーフラット」な電子音たちがやがてある種の「オカシミ」や「カナシミ」を漂わせはじめるのだ。アーティフィシャルな電子音からオーガニックな表情を引き出すという「ELECTORALOPITHECUS」のコンセプト。寅蔵はそれを、『leaf#2』とはまったく別の方向性で示して見せたという気がする。★01『THE REQUIEM FOR MODERNISM -PART ONE-』「近代のためのレクイエム」と名付けられた、組曲イントロダクション。どこまでも反復される単調な電子音と併走するように、寅蔵のテナーサックスがやさしいメロディーをゆっくりと歌い上げる。どこか切ない音色は、まさに寅蔵にとっての近代(=80年代初頭)への鎮魂歌に相応しいノスタルジアに満ちているようだ。今回の「NEW ELECTORALOPITHECUS」組曲では、ライブ演奏のベースとなるパートを岩川峰人のバリトンギターが担当。テナーのメロディーをしっかり下支えし、楽曲の方向性をシェアにまとめる緩急自在なプレイも聴きどころだ。★02『THE YEAST』 単調なリズムとのっぺりした音色のリフレイン(古いアニメ作品で悪役が登場する時の効果音を思わせる!)が印象的な、短めのインタールード。ときおり挿入される不協和音が、不吉な予感をかき立てる。ベースラインを刻むバリトンギターの独特の音色が心地よい。★03『正月は那覇で』ジュピターズ・ポップ・バンドでも頻繁に演奏される人気曲「正月はキューバで」からのモチーフを、琉球風にアレンジ。バリトンギターが演奏する沖縄音階風のベースラインに、ハイトーンなフルートの音色が絡むという構成は、たしかに三線と唄者(ウタシャ)によるシンプルな島唄のような趣がある。テクノ的なSEが、だんだんと小鳥のさえずりや波の音に聞こえてくるから不思議だ。★04『はぐれ雲』寅蔵プロジェクトでは毎回演奏されている定番曲。バリトンギターがおなじみのイントロリフレインを演奏するなか、寅蔵のテナーサックスがゆったりカットインしてくる瞬間はいつ聴いてもスリリングだ。最初はシンプルに、次第に饒舌に展開されるソロパートが、スーパーフラットな電子音ループとのコントラストをことさらに強調。そのギャップが修復不可能なまでに大きくなったころ、聴きとれない会話の断片が挿入され、突然次のパートがスタートする。★05『OUR THOUGHT』戦闘的なイントロから始まる短いインタールード。最近では「スーパーフラット」という概念はジャパニメーションを論じる時にもよく使われるが、この「NEW ELECTORALOPITHECUS」全体にも、古いアニメーションなどの断片的な記憶が紛れ込んでいる気がするのは、筆者だけだろうか…。ランダムな電子音と競い合うように、高い音域でアヴァンギャルドな演奏を聴かせる寅蔵のプレイが記憶に残る。★06『THE REQUIEM FOR MODERNISM -PART TWO-』組曲のラストを飾るのは、再び「近代のためのレクイエム」。パート2の演奏は、いかにも去りゆく何かを慈しむような、ノスタルジックな翳りを感じさせる。チューバを思わせる低音部のメロディーは、どこか、葬送の列を先導するニューオーリンズ・ブラスを連想させたりも。ひそやかな電子音とともに寅蔵のテナーがゆっくりと切ないメロディーを演奏し、組曲は終わりを告げる。


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