新舞踊と「おーい お茶」  

 わたしの母は、新舞踊 「松山流竹倖会」の名取だった。
最初の長期入院と名取になったのとがほぼ同時期で、その上を目指す気はさらさら無かったらしい。
お師匠さんや他のお弟子さんたちとの仲もよく、皆でハワイにまで行って、日系人相手に日本の踊りを披露してきたこともあった。
そのときすでに、母の腹の中には良からぬ細胞が生まれていた。
まだ還暦前だった。

 ところで、新舞踊は創作舞踊ともよばれ、各地にいろいろな流派がある。
家元が、演歌・歌謡曲に独自の振り付けをほどこすので、同じ曲でも 派によって形が違う。
そこが古典舞踊との大きな違いだ。
多摩界隈でも、ホールを借りての発表会、おさらい会が あちこちで催されている。

 おしなべて、新舞踊のおさらい会は、入場無料だ。
ホール使用料は、各出演者が数万円づつ負担するのである。
このほか、着物代、パンフ代、写真代、家元へのお礼など、すべて弟子が自腹を切ることになる。
さらに 自分の晴れ舞台は 人に見てもらいたいというのが人情で、出演者は 家族以外にも声をかける。
結果、会場はほぼ埋め尽くされることになるわけだが、いくらタダとはいえ、休みをこさえてわざわざ足を運んでくれた客を、何の接待もなしに帰すわけにはいかない。
お客さんによっては、花束 ご祝儀などを持参してくる場合もある。

 そこで、挨拶代わりにお弁当を出す。
出演者にかわって、お客さんに弁当を渡すのは我々家族の役目だ。
誰が来るかは事前にわかっていても、どこに座っているか判らなければ話にならないので、会場入りしたら まずはお客さんの居場所をさがす。見つからなければ、座席を変えてまた探す。
この手の会に特徴的なことだけれど、客席は出入りが実にはげしく、自分の関係者の出番が終ると席を立つ人が多いため 客席をまわってキョロキョロしていても 迷惑がられることはなかったように思う。
そして、お客さんが見つかったら、まず母に代わって来場の礼を述べ、時間を見計らって、弁当を渡しにいく。
中味はたいがい決まっていて、助六弁当か、おむすび弁当、それにお茶のペットボトルが一本。
竹倖会の場合、きまって伊藤園の「おーい お茶」だった。
昔は缶入りしかなかったため、暗いところでこぼす心配があったが、
やがてペットボトルになってその心配がなくなった。

 ひととおり弁当がいきわたったことを確認したあと、ホールの外などに空いている椅子を探して、もれ聞こえてくる演歌を聞きながら われわれもご相伴にあずかった。
夏場だと、お茶はすっかり生ぬるくなっていたが、それが不思議と米に合った。

 私がこんな思い出話をしたのは、何年ぶりかで「おーい お茶」を買ったからである。
なぜ今日に限って伊藤園のお茶を手に取ったのか 自分でもわからないままコンビニを出た。
そして合点がいった。
遠くで民謡が流れている。
きのう 今日と、この町は盆踊りなのである。
浴衣を着た小さな女の子たちが、うちわを握りしめて、私のまえを元気に駆けていった。