ネコモシャクシモ


日常、あたりまえに使っていることばが言葉が、語源を知ったら、まるで違った色合いをおびたなんてことはないだろうか?これから紹介するのは、俺が驚いたそんな言葉たちである。
「ネコモシャクシモ」
というが、あなたこれ、どんな意味で使ってますか?
広辞苑第五版をひくと、
 「どんな人も。誰も彼も。どいつもこいつも」
とある。そして、例文として
 「昨今は―海外旅行に行く」と載っている。
しかし、猫(動物)と杓子(しゃもじ)に、いったいどんな関係があるというのだろうか。
猫はともかく、しゃもじが海外旅行するなんて。行ったとて、米食文化圏以外では 活躍の場など望むべくもない。広辞苑の編者、ちょっといじわる・・。
 実は、この言葉、似たような韻の文句が、長い間に変形しちまったものらしいのである。

店の有線放送でなにげなく聞いていた落語、先代三遊亭金馬演ずるところの「やかん」の中で、ご隠居さんが 店子の八つぁんに 間違った言葉遣いとしてあげたのが、これなのである。
 「ネコモシャクシモじゃあないよ 八つぁん。メコモジャクシモというのが正しい。メコというから女の子、ジャクシというのは若い子。すなわち、老若男女だ。」
嗚呼、なるほど。これなら意味が通っているじゃないか。
さらにご隠居、「ツキトスッポン」のまちがいをあざやかに解いてみせるのだ。
 「それをいうならヒボンニツキだ。ひぼんというのは緋色(赤く鮮や かなとび色)の盆、同じまるいものでも、月の輝きとは比べものにならないことのたとえだよ。スッポンというやつがあるか!」

 落語世界には、知ったかぶりして物笑いになる人物が多いが、このご隠居さんの博識には脱帽。アアナルホドと思うでしょ。
そのほかにも、「ウンテンバンテンの違い」「カッパノヘ」などの間違いを指摘してみせ、八つぁんをうならせるのである。ご隠居の解釈を知りたい方は、ぜひ「やかん」を聞いてみてください。あなたの人生観も変わるから。

 ところが、事実というのはいつもひとつとはかぎらないのが
面白いところだ。
ネコモシャクシモーの意味をこう解き明かす人もいたのである。
宗教から来たという。即ち
 「ネコが禰子(神道の信者)でシャクシがじつは釈子(仏教徒)であ ることも、ほとんどの国民は知らなくなっちゃいましたよ。」
              (玄侑宗久著 釈迦に説法 P146)
嗚呼 ナルホド。簡単に納得してしまう。
そんなわたしは、素直なのかアホなのか。

どっちが真実か、一緒に考えてみませんか?