いらだちいっぱいの掛け蕎麦


 JRAの裏に、掛けそば一杯150円の立ち食い蕎麦屋がある。
味はまあまあ、昼時は行列ができる。
近所なので俺もよく食いに行くのだが、
前から、一部の客の注文の仕方が気になってしょうがない。

店のおばちゃんと学生客の、カウンター越しのやりとり。
「おにいちゃん、注文は?」
学生は、お品書きを見上げて、
「えーと、僕は かけそば。
 それに 竹輪天と煮卵のせてください」
「そっちのおにいちゃんは何にする?」
「おれも、かけそばに鶏肉」

昨日 思い余って、俺はおばちゃん達に言った。
「ねえ おばちゃん、
 暇な時だけでもいいからさあ、あいつらに教えてやってよ。
 ”かけそば”っていうのは 何にも乗せない蕎麦の事だって。
 だから その注文の仕方はおかしいんだって。
 俺も協力するからさあ。」
自ら協力をかってでた俺。
おばちゃん達は顔を見合わせてキョトンとしていたが、
「そうだよねえ」
とうなづいてくれた。

おかしな日本語が蔓延する原因は、やはり大人にあるのだと
つくづく思う。
上の二人の学生は 掛け蕎麦の意味を正しく理解していなかった。
それは いたしかたの無いことだ。
その時に面倒くさがって、大人がそのことを指摘してやらないと、
やがて間違い言葉が正しい日本語を駆逐することになる。
伝染するほど、強力になるウイルスのように。
現に、いいサラリーマンまでが「かけそばにかき揚げ天麩羅」
などとほざいている現場に立ち会ったこともある。
あれは 無知なのか、それとも感染なのか!

自由主義社会においてこそ、言葉の意味は正しく共有されなければならない。
意思の疎通がうまくいかなくなり、お互いが疑心暗鬼に陥るとき、
疲弊した日本人は、食慾すらなくしてしまうであろう。
「お昼 何食べる?」
「俺は 安いそばでいいや」
「そうだな、俺はうどんにするか」
「じゃあ いつもの立ち食い蕎麦に行こうや」

かくして あの立ち食い蕎麦屋は ますます繁盛することになるのだ。
まさか、あのおばちゃん達、そこまで考えて・・・
                             2009・4・26