誕生日の墓参り  

  

 明治37年2月10日、わが国はロシアに対して宣戦布告しました。
一年4ヶ月にわたる、日露戦争のはじまりです。
それから半世紀以上が過ぎた 同じ日に、不肖私、
この世に生を受けたのであります。

 さて、近所に、私が怪我をしたときに いつも骨を折ってくださる、
接骨院の先生がいます。
数年前、とある不注意で指を捻挫した私は、例によって、この先生に
かかりました。
多趣味で、歴史や文学にも造詣の深い好々爺。
マッサージをうけながら、よもやまの話を伺うのが、いわば患者さんたちの楽しみでもありました。

 そんなある日のことです。先生がふと思い出したように、
 「君の誕生日、もうすぐだったよねえ」
といいながら、机の上の 私の保険証に目をおとしました。
 「いえ、先週でした」
 「ああ ほんとだ。
 で、おかあさんの墓参りには行ったかい?」
 「え? 行ってませんけど。なんでですか?」
 「いかん、それはいかん」
寅さん映画の御前さまのように、彼は眉をひそめたのであります。

 先生の話はこうでした。
誕生日というのは、母が大変な苦しみの中でおまえを産み落としてくれた日である。その母親に感謝するのは何より大切なことだ。
「おかげさまでまたひとつ齢を重ねることができました」
と報告に行かねばならぬ。
自分を祝う日ではない・・・・・・!

 目からうろこが落ちる思いとは、まさにこのことでしょうか。
実際、おふくろは 難産だったらしい。
(シキュウでてくるよーに)という 助産婦さんに、
いつまでも抵抗していたのだそうです。
それが証拠に、私の頭頂部には、 
いまでも、その時の印が残っています!
                     
※吸盤でひっぱりだされた
                                 ときの痕(あと)

               
        行きつけの美容院の先生に
                               指摘されるまで
                                気づかなかった!



 
なんとかひっぱりだしたあとも、
この赤ん坊ときたら、強情に 泣き出さなかったらしい。
結局 一ヶ月間に及ぶ保育器生活を強いられたのであります。
親はどれほど情けない想いをしたことでしょうか。
どれだけ 不安の涙をながしたことでしょうか・・・。

 今年は、10日が平日にあたっていたので、
今日の休みを墓参りと決めました。
きのうまでの どんよりとした冬空とうってかわって、
風のない、おだやかな午後。
 普段ははなかなかつかない線香に
きょうはたやすく、火がうつりました。
 
 「おれもいよいよ厄年だよ」
そんなことをつぶやきながらながら線香をたむけた私の鼻先を
 やさしい香りが ためらいがちに通り過ぎます。
今年も、梅がほころびはじめました。