ギャンブルと営業


「大将、ギャンブルやらないの?」
と、よく聞かれる。
たしかに、我が家は、射幸心をあおる店で囲まれているといっても過言ではない。半径100mの間に
場外馬券売り場、パチンコ屋4軒、ゲーセン3軒、宝くじ売り場等々、ゲーミングビジネスの花盛り。その間には、台湾、中国、韓国のエステ、その他風俗店がひしめいていて、遊び好きな人にはたまらない環境。
アジアを手軽に体験したい人にも、もってこいの街なのだ。(アジアン娘の前では、誰でも社っ長さんになれるし)
で、俺の場合。
きれいごとをいうわけではないが、ギャンブルはやらない。
十代の頃は、パチンコくらいはやった。また、競馬も
年に何度かの重賞レースは、話の種に買ってみる。
そんなもんだ。
なぜか?
そもそも俺にとっては、毎日の営業そのものが、ギャンブルに他ならないからなのである。
仕事が賭け事などというと、けしからんと言う向きもあるかもしれないけれど、事実、商売には、そんな側面があるように思う。
パチンコにたとえるなら、始めに買うぱちんこ玉、これが仕入れ食材に相当する。
半日かけて仕込みをして、5時の開店を待つ。いよいよ打ちはじめ。
忙しくなるか、ならないか、これは腕前とは別の次元の問題だ。パチンコでいうなら台選びか?
注文される料理が、一つに集中することもある。
そんなとき、早々に完売してしまっては、そのあとにみえるお客様にたいして申し訳がない。
逆に、これはおすすめと思って、大量に仕込んだ料理が、
おもいのほか注文いただけないこともある。
そんなかわいそうな食材は、深夜我々の胃袋に納まるか、スタッフの土産になるか、その性格によっては、煮物に変身して、あらたに指名を待つか、そのどれかだ。
ギャンブルといったのは、ここである。鮮度にこだわる以上、損してしまうこともあるのだ。お客様の信用を失うくらいなら、今夜の食材を失ってでも、明日の仕入れに気合をいれなおしたい。

二十三時前、店内に「蛍の光」が流れるかわりに、スタッフがお客さんの席をまわる。
「包丁じまい(ラストオーダーのこと)になりますが
なにかご注文はございますか」