パソコンの思い出
パソコンと呼ばれる前は「マイコン」と呼ばれていた。このマイコンの開発者の一人が日本人で、しかも昔はハムだったと聞いたのはパソコンを買ってから数年後のことだった。当時はインテルでマイコン(8080?)を開発し、その
後ザイログ社に移ってZ−80を開発した筈である。
たしか現在はIntel Japanの総支配人か何かやっていたと記憶しているが、「島 正利」という人である。(昔のコールサインはJA2BDZ)

TK−85
今にして思えば随分と昔であるが最初のマイコンはNECの1ボードマイコンのTK−85だった。弟が買ったが、CPUはインテルの8085。最初の頃のはTK−80だが、これだけで8万くらいしていたと思う。もっと前だとCPUだけで
、この値段だったとか...
TKシリーズはマシン語しか使えない物なのでBASICがやりたくなり、TK−80BSというTK−80に接続してBASICが出来る物を買おうかと思ったが、PC−8001を買った。メモリは16KB(今からする
と1桁少ない)で少し大きなソフトだとメモリ不足になるため、仕方なくメモリを追加して32KBにした。このメモリも初期の純正品は2万5千円もして、その後1万を切る値段になったが、秋葉原に行ったら富士通の同等品がこれより
も2千円程度安く売られていたので、これを買って入れたものである。(MB8116Hとかいう富士通製の8Kビット=2KBの石が8個)

PC−8001はマニュアルも薄くて内容も初心者泣かせの物だったが、他にはシャープのMZ−80K/Cとか日立のベーシックマスターレベル2(CPUは6800)くらいしか無かった気がする。当時はインベーダーゲームが全盛で
社会問題にまでなったものである。
ツクモオリジナルの平安京エイリアンなんて物が流行ったりした時代でもあった。
市販ソフトも少なく、パソコン雑誌に載っているゲームソフト等を一生懸命に打ち込んで遊んだが、テープレコー ダーとの相性が問題で、当時使用していたステレオのカセットレコーダーでは読み込みエラーが多発して泣かされ
たものである。
一般には馴染みの無いメーカーのテレコが良いとか言われた時代であり、モニターも専用が少なく、カラーテレビにRFのアダプターを接続し、解像度の悪いテレビに泣かされながらもゲームをやったものである。
その後,解像度の悪さに目を悪くしそうなので9インチではあったがグリーンモニターを買った。これでプログラムの入力が格段に楽になったものである。

FM−8
会社で仕事に使った。CPUはモトローラの6809,当時はフロッピーディスクは高嶺の花であったが、さすがに会社は株式である。カラーモニターにフロッピードライブと豪勢な組み合わせであった。発売当時の値段は23万程度。
PC−8001の値段が16万8千円程度であったから、高いのが理解できると思う。
画像は解像度も高く、PC−8001の解像度と比べると4倍程度までアップした。(640*200ドット)初めてのデュアルCPU機であった。当時,画期的な「バブルメモリ」なる物を搭載出来るようになっており何かと話題になった。
BASICは通常の1.0とDOSモードの2.0が有り、FM-11とバイナリでは互換が無いためASCIIセーブしたりした。

FM−7
会社にFM−8が入り画面がPCに比べ格段に綺麗になったが、値段的に手の出る代物では無かった。
しばらくして後継機というかコストダウンしたFM−7が発売され買ってしまった。当時のキャラクターはタモリであっ た。
コピーは『青少年は興奮する』だったかな?(参考までにFM−8は伊藤麻衣子)

FM−7を買ってしばらくはテープを使用していたが仕事の絡みも有り、初めてデイスクを買って感動したものである。
(会社のFM−8で使うプログラムを家で修正するハメになり、デバッグするのに必要だった。
PC−8001のカセットは読み込みエラーが頻繁に出て泣かされたので、サンヨーで出していた専用のテレコを買ったりしたもので
ある)デイスクといえばツクモの「なんたらかんたら」というユーテリテイー等も重宝した。
FM−7は何といっても音が出るのとグラフィックが綺麗で速いのが感動ものだった。 CPUは6809の倍速版。
BASICで住所録を自分なりにアレンジして無線のログ管理のソフト等を作ったりして遊んだ。BASICは3.0。

漢字ROMとRS−232Cカード(これはオプションでサードパーテイ品を買った),FDカード等を買って「F漢」などというワープロソフトを買ったりした。プリンターもエプソンのRP−80か何かを買って使った。フロッピーは3.5インチ の2Dだが純正は高価でツインは買えずシングルドライブだけで使った。
(当時は互換品としてEPSONのTF−20等が売られていた)

当時カラーモニターが無くて不便な思いをしていたので思い切ってSONYのプロフィールというモニターを15万近く出して買ったものである。(13インチなのにパソコン対応で解像度が高く、これと同じ値段で20インチのプロフィー
ルが買えたのであるが、チューナーを内蔵していないモニターなので、いかに贅沢な物だったか判ると思う)
そうそう、今でこそ高級モニターはトリニトロン管であるが私が買った当時のトリニトロン管は高解像度をうたっていても中解像程度であった。当時はシャドーマスクを使用した他社の方に一日の長が有った。

それから弟がPC−8801MK2を買ったりしたが私自身は随分とパソコンからも遠ざかっていたのだが、どういう運命の悪戯かパソコンでソフトを作るという部署に配置転換になり、またBASICやらOS−9上のC言語だとかやら
された...
 

FM-7(プリンターの隣に有るのはテープ専用のカセットテープレコーダー、右端は5インチ2Dのフロッピーディスクドライブで、左隣のドライブが増設できた) 

FM−11
会社で仕事をするのに使った。デュアルCPUで8bit機としては最高速の部類だったと思う。画面も640*400とFM−7やFM−8の倍になっていたし、リストを表示させるとメチャクチャ速かった。OS−9上でC言語等を使って
プログラムを組んだりしたこともある。8088ボードを積んでCP/M−86が走った物も有った。Z80カードを入れた機種も有ったような無いような...当時としては初めて2HDタイプのフロッピーを採用したと記憶している。
BASICは文法チェックが厳しく、FM-7や8の様にいい加減な書き方をするとSYNTAXエラーでハネられた。 

FM−16π (パイ)
これも仕事で使った。RS−232Cを使ったシステムの端末として使ったのだが、8086の5MHzが載った物でA4 サイズ,今のノートパソコンのハシリとも言うべき物だった。OSはCP/M−86であった。
BASICでプログラムを組んだりしたが、CP/Mは初めてだったのでコマンドが判らず苦労した。
また製造中止になってから故障し、南多摩工場の設計に電話して内蔵バッテリーの事を問い合わせたら『まだ使っているの?』とビック
リされた事も有った。
画面は80字*25行だったか?CP/M−86のユーテリテイが無く、フロッピーをCOPYするのにFM−77にドライブを接続してF−BASICでCOPYしたりしたのも懐かしい。
 


FM-16π

FM−16β (ベータ)
これも仕事で少しだけ使った。FMRが空いていない時に仕方なく使ったが、FEPが古いVJEで使い勝手が悪かっ た。
CPUは8086〜80286まで有ったと思う。FM系としては初めての本格16bit機だったが時期が悪くPC−9801に遅れを取って負けてしまった。解像度は640*400で、これは後のFMR−50に引き継がれた。

F9450II (2)   
パソコンというよりはオフコンの子供みたいな位置付けの機械だった。
OSもCPUもパソコンとは全く違い、アプリも全く互換性が無かった。
画面の解像度は良いもののプログラムリストを表示させると処理が遅くて参った。
仕事で使ったがフロッピーがFMシリーズでフォーマットされた物は使えず不便だった。
(これは後日IBMフォーマッ トで初期化すれば直り、そのためにFMRのフリーソフトでIBMフォーマット可能なのを入手して使った)また、違法
コピー対策か? 機械1台につき1つのソフトということで、1度インストールしたソフトは他の機械で使えない仕掛けになっていた。EPOACEという表計算ソフトやBASICを使ってプログラムを作った。同時に2タスクが実行出来
る面白い機械だった。  

F9450Σ (シグマ)
F9450の改良版で解像度がメチャ良くて漢字を表示させるとピカイチであり、感動ものだった。
これも仕事で使ったがキーボードがJISしか無く漢字変換する時はローマ字変換で使った。

FMR−70Σ
「鬼に金棒」というキャッチフレーズで登場した9450系とFMR系の両方が使える面白い機械。
片方で9450系のアプリが走り,片方でFMRのソフトが走る便利な物だったがDOSモードで一部使えないコマンド が有る(片側で9450が動いている場合にディスクに関する命令が実行出来ない)等、使い勝手の悪い部分も有っ
た。
和洋折衷のような機械。仕事で製品の機歴管理のLANシステム?に使った。CPUは2個載っておりFM系はFMR−70と同様のスペック。インテリジエントのRS−232Cはマシンと相性が悪いのか何だかハングしやすかっ
た記憶が有る。  

FMR−50Λ (ラムダ)
FMR−70Σの弟分。その分,解像度は落ちてしまうし、あまり好きな機械では無かった。
仕事で少しだけ使った。FMRとしては中解像度の50と同じスペック。

FMR−50LT
CPUが80286の8MHzで画面がプラズマディスプレイのラップトップ。仕事でFM−16πの後継端末として使っ た。
8階調のプラズマであったが、使っていたのはフロッピーモデルで処理も遅いしイマイチだった。
ラップトップといってもバッテリーは積んでおらずACのみだった。これもLANシステム?の端末として使用した。
RS−232Cは純正ではなくRATOC(ラトック)というサードパーテイ品を使った。  

PC−9801LV21
弟がPC−8801を手放して16BbitのPC−9801LV21というラップトップを買った。
これはCPUがV30という8086の上位互換の物であり、当時の我が家では最新鋭の機械だった。
これでパケット通信等をやり始めCCT−98という市販の通信ソフトまで買ってしまった。
他にはTurbo−CというC言語も買って遊んだり、アシストカードという カード式のデータベースソフトで無線の交信記録のデータベースを作って使った。

FMR−30BX
無線の方でパケット通信などというパソコン通信モドキが流行るようになり、関係会社で貸してくれた。
タダで貸してくれた物だけに液晶画面にバックライトが無いタイプで、階調表示も不可。
オマケに当時は使ったことの無い親指シフトのキーボードであり、慣れるまでに苦労した。
CPUは当時としては、時 代遅れとも言える8086の8MHz(これと同じCPUは後から発売された東芝のDyna Bookだけ)だったし、フロッ
ピーディスクだけ、メモリも512KBしか無いという代物だった。
後からメモリは1MBに拡張したが、このメモリが定価だとムチャクチャ高かった。
カード式のデータベースなんかやると遅くて嫌になった。

 
FMR−30BX(CPUはi8086の8MHz,メモリーは512KB)
本体とキーボードの間に有るのはFM−7用のFD(2Dのドライブ)

FMR−50NBX
パケット通信をやっているうちに自分のパソコンが欲しくなったのと、30BXが遅いしハードディスクも無いのに不便を感じノートパソコンを買った。出始めのノートは80286の8MHzというFMR−50NBであったが、しばらく待って
80386SXのFMR−50NBXが発表されてから買った。ハードディスクが20MBしか無かったが、それでもフロッピーから比べれば天と地の差。もう少し待って3万くらい余計に出せばハードディスクが40MBの物が買えたのだ
が待てずに飛びついてしまった。親指シフトキーボードを買ったのだが、キーボードのタッチが今一つ良くなく残念だった。
これは持って歩くには重宝したが、たまにしか使う機会が無かった。
途中、MS−DOSの5.0が出て入れたが画面が小さいため見づらく、元の3.0に戻した。
NB MENUが結構便利だったが、結局,会社の知り合いにソフト一式を付けてタダで譲った。
 

FM−TOWNS2 UR80 
その後、30BXに取って代わる機械を物色していたが、TOWNSのURというモニターと一体になった物が画面が 小さいものの、場所を取らないことに目をつけ購入した。本当は中古でも良いと思ったのだが、思ったよりも安くな
いのとハードディスクの内蔵されていない物ばかりのため新品にした。最初からDOSモードでの使用を考えていたためCDを使わなかったらダメになってしまい、保証期間内に修理したが再び壊れてしまい、そのままにしている。
これはCPUが80486SXの20MHzという当時としてはハイスペックのマシンであった。
(ハードディスクは80MB)

パケット通信とパソコン通信をやるのに232Cの口が1個しか無いため切り換え器を使用していたが使い勝手が良くないので232Cのプリント板を増設した。メモリもWINDOWSをやることも考えて10MBにしたが、結局Winは導
入せず、単にRAMディスクとなってしまっている。
これだけでも当時としては、かなりの投資だった。

 
FM-TOWNS UR

しばらくソフト屋の真似事が続いたが、会社のリストラで職場が山形に移動することになり、家庭の事情で山形に行きっぱなしは出来ないのでソフト屋から足を洗って今の職場に移り、現在の職場では業務の日誌をたまにワープロ
で作成するのと、設備の故障の記録をEXCELで管理する以外は自宅で趣味でやる程度である。

FMR−50TX
仕事の関係で山形に長期出張になりFMR−50NBXを持って行ってパソコン通信やパケット通信をやっていたが、ノートパソコンのキーボードのタッチの悪さに嫌気がさし、秋葉原に行ったところFMR−50TXの中古が4万程度で
出ており、しかも親指シフトキーボード付ときては買うしかないと思って買った。
ハードディスクは40MBだがノートは 半分だから必要にして充分というわけで早速買って帰った。
これは山形から戻るまで使用したが、熊谷に戻って置き場所が無いので、会社の知り合いで明石の人に譲ってしまった。  

FMR−60HD
仕事で長い付き合いが有った。CPUは80286の8MHz。
98シリーズの主流が中解像度で有ったのに対し高解像度が主流で中解像度用のボードも有った。
ハードデイスクは20MB。漢字フォントは24*24ドットで綺麗だった。  

FMR−70
NECの98と並んで、当時初めて80386を搭載した最高速の32bitマシンだった。発表はNECよりも速かった気がするが市場に出回ったのは少し遅れた気がする。当時の値段は100万近かった記憶がある。

FMR−80
これも会社に有った。当時としては初めて80486を使ったマシン。処理はやはり格段に速かった。
ハードディスク等も簡単に交換出来る等メンテしやすい機械だった。解像度等はFMR−60,70と同じ。

ウインドウズは3.1の時代は手を付けなかったが、95やインターネットの時代になって、インターネットを知らないと時代に取り残されてしまうという危機感も有ってパソコンを新調した。

FMV−5120NU5(BIBLO)
これはノートパソコンだが部屋が狭くディスクトップが置けないため(TOWNSを捨てれば可能だが)苦肉の策として買った。
秋葉原に行き、予算は25万以下でペンティアムの100MHz以上という条件の中で選んだものである。
1GBのハードデイスクが内蔵されているが、今のソフトは大きな物が多いので残りを気にするようである。
インターネットが簡単に出来ると言うので買ったのだが、プロバイダに接続するソフトは入っていないし正直言ってシロートにとっては『だまされた』という感じだった。(^^;;) プロバイダーの接続の設定も無いし...
でもWORDとかEXCELは最新版の97が入っていた。

インターネットが使えるようになるまで苦労した。プロバイダーとの接続が判らないためニフテイマネージ ャーを使ってやってみたら、後から契約したasahi−netに接続出来ず散々悩んでしまった。
(後で雑誌を見たら古いバージョンにバグが有ったらしい)

ブラウザはネットスケープの3.0が標準で入っていたがインターネットエクスプローラーは入っておらず,勝手に入れておくれというタイプで、まったく の初心者には使えなかった。
 
それと会社のFMRやFMV,家のTOWNSは親指シフトキーボードなので、このパソコンのJISキーボードは使い辛いこと...(カナの位置が違うので探すのは面倒だからとローマ字変換にしており、効率が悪い)

現在使用しているパソコンはパソコン通信,パケット通信(アマチュア無線版のパソコン通信)とターボハムログの管理にFM−TOWNS UR80と、インターネット,ゲーム,ワープロ,表計算等に使っていたのがFMV−BIBLOの
FMV−5120NU/5であった。
(平成12年の2月末に売却したか、最終的にこれはハードディスクを2GBに換装しメモリーも48MBに拡張、外付けの2GBハードディスクを追加)

最近はパソコン通信(ニフテイ)と、たまにハムログ(無線の交信記録)を入力する程度である。
 
今はパソコン通信はNIFTY、インターネットはasahi−netと使い分けている。

使用しているブラウザはネットスケープの4.7jaで、エクスプローラーよりも速いらしいのと処理状況が表示される等で4.01が出た時点で購入し、その後無料になってからも雑誌の付録等で更新して使っている。ホームページの
アップロードはWS−FTPを使用していたが、表示が全て英語なのでシエアウエアのNEXT−FTPをFTPでダウンロードしてきて購入し今はこれを愛用している。

ホームページに写真を入れるために安いスキャナまで買ってしまった。写真が読み込めれば良いのでハガキ大のサイズにしたが、当分は投資が必要かもしれない。やらなければ済んでしまうことなのだが、趣味は金が掛かるも
のだとつくづく思っている。(^^;)

インターネットを始めるようになってから電話代が増えてしまい、セーブしなくてはと思うこの頃である。


写真はFMV-BIBLO・5120NU5/Y
 
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