無線(移動運用)
 
  
 
以前所属していた、会社の無線クラブの仲間と比企郡都幾川村(現在は、ときがわ町)堂平山に移動した時のもの、左端が私
(430MHz 18エレ×2と144MHz 9エレ×2のアンテナ)
 
メニューに移動運用と書いてしまったので、何か書かない訳にもいかず、申し訳程度です。(^^;)
そのうち手直ししますので期待しないで待っていて下さい。
 
一番最初の移動は開局した年に近所の無線仲間とFOXハンテイングに行った帰りに大田市の金山に連れて行ってもらった。
松下のRJX−601と内蔵のホイップだったが自宅と違ってガンガン聞こえるのに驚いた。
CQを出すと東京辺りからも呼ばれ初めて移動運用の楽しさを味わった。
  
2回目は比企郡の堂平山に連れて行ってもらった。3月ということも有って144MHzのSSB,3Wでも結構呼ばれて楽しかった。アンテナはムデン(無電)の5エレだったと思う。1日のんびりとやっても70局くらい出来て楽しかった。

よく移動というとバカみたいにレポート交換のみで局数だけやって喜んでいるのがいるが、コンテストじゃ無いので記憶に残らない交信も詰まらないと思い、ノンビリとやっている。最近は仕事に追われているのとインターネットにハマって無線どころじゃないけど...(^^;)
 
開局当時は移動するにも車の免許が無かったので、もっぱら歩くか自転車なので、移動場所も家の近くの荒川の土手だった。
したがって大きな設備を持ち歩くことは不可能でハンデイ機と内蔵ホイップ程度だった。
それでも144MHzのSSBは長野や静岡が聞こえて喜んだものである。さすがに3Wでは呼んでも、相手にしてもらうのは厳しかったが...
 
やがて車の免許を取ってから太田市や東松山市といった近所の山に移動に行くようになった。スプリンターの5ドアは後ろの座席が倒せたので移動運用 には最適だった。本庄市に移動した時はEスポが出ており、CQを出したら最初にHL(韓国)に呼ばれてしまい、海外との交信の経験が無いため頭の中が真っ 白になったこともある。
何とか単語を並べ日本語と英語の混じった怪しげな会話で終わらせたが...今のところ海外から呼ばれたのはあれが最初で最後。
 
50MHzはコメットの4エレHB9CVを改造してブームを3分割にし、(オリジナルは2分割)持って行きやすくし、更に給電部もショートバーの 代わりに目玉クリップにした。この頃はアンテンやアラキの4.5m物のポールを使用したが4エレ程度だと曲がってしまい、回すにも思うように回ってくれず 具合が悪かった。このポールに一度だけ会社のクラブで買った430の18エレのスタックを上げたが、重くて2段くらいが精一杯だった。
現在の50MHzは自作のスクエアローかホイップまたはミズホのダイポール。(伸縮型の移動用)
一時はミニマルチの2エレHB9CVも使っていたが組み立てるのが億劫になって、そのまま使えるアンテナになってしまった。 

本格的に移動運用を始めたのはインテグラに乗っていた頃だと思う。50MHzのJCCが300に近づいていたこともあって色々と移動してJCC稼ぎをした。これのトランクは比較的奥行きが有り、改造したHB9CVの給電部が分解しないで格納出来た。
その後フジインダストリの移動用ポールを秋葉原のカクタまで買いに行ったが、このポールは大きく分けて2種類有り、ネジを貫通させるタイプとリング+ピンが出て止めるタイプである。

前者は短い物でも7mあるのと、仕舞い寸法が若干長めで車のトランクに入るかどうか微妙なところである。
私の買ったのは後者で長さが5mの物である。これは仕舞い寸法が1.2mと、楽にトランクに入る長さである。
伸ばした長さの割りには重量が嵩んでしまうのと縮める時に下手をするとピンを押し込む際に指を挟んでしまうのが難点であるが、リング締めで高さが調整出来るのが便利である。また高さが低い分だけ自立しても不安が少ないので助かっている。

コメットのCAHB−4を使って移動運用をしていた頃
(埼玉県東松山市・物見山にて)

数年前までの移動スタイル(1998年11月の千葉コンテスト時に埼玉県羽生市の利根川土手に移動したもの)430MHzの3段ホイップ、7MHzのホイップ、サガ電子の7MHz用 の1/2波長ツェップアンテナ
(現在は手放して無し)

太田市の金山は30分程で行けるのと、比較的多くの局と出来たので頻繁に行った。

その後、埼玉コンテストでは東松山市の物見山や秩父の美の山とか移動したが、ここ数年は人の少ない大里村から2年ほど続けて出た。
群馬コンテストは太田の金山が多かったが、最近は仕事の帰りに利根川の土手から出たりしている。
(昔の大里郡大里村は大里町になった後、平成17年に平成の大合併で熊谷市になっている)
 
山形県東根市にいた時には関東が聞こえるというので蔵王のお釜(刈田岳)にも何度となく足を運んだものである。
実際には関東とはあまり繋がる機会は無かったが...
 
比企郡堂平山は50やHFをやるのには良いのだが430や144のFMだと混みすぎていて最悪である。
1W程度でも『混信』になると怒られてしまうので、FMは殆どやっていない。
 
東松山市の物見山は標高が100m程度なので、あまり飛ばない。県内だからという理由で移動していたが...

現在はHFはダイヤモンドのベースローディングのホイップMD-200に3.5〜14までのコイルと同社のHV-4というホイップに 7〜28MHzのコイル(24MHzを除く)が有り、他には自分で作った逆V(7/14/21をギボシで切替可能)を気が向いた時に持って行き運用してい る。
電源は144/430MHzは車載なので持たず、それ以外は別 のバッテリーを持って行っている。

移動用のポールは現在はコメットの6m物を使っている。これはフジインダストリーに比べると細くて軽いが、その分だけ強度的には弱く一番上は曲がってしまう。(ワイヤーで引っ張っても傾いてしまう)高さと重量等の使いやすさを秤にかけて、妥協しながら使っている。

持ち運びはトランクには入りきらないが車のキャリアにボートのパドル等を付けるアタッチメントを付けて、それに上手く嵌まるので、そこに付けて運んでいる。タイヤベースはコメットの「ふみたて君」(旧型)が、そのまま使える。


特別局の運用
移動運用と言えるかどうか判らないのが、JARLの特別局の運用である。
今まで4回程度しか経験が無い。 (8J0XPO/8J7IWB/JA1YRL/8J1WAK) 

8J0XPO
新潟博覧会の特別局である。新潟に行った際に会場内から運用した。周波数は50MHz帯,リグはTS−660だったがコンディションが今ひとつで4エリアの局を含め、30分で15局程度しか呼ばれなかった。  

8J7IWB
95年の秋に山形県で行われた「国際車椅子バスケットボール大会」の特別局である。会期前は山形市で運用しており、JARL NEWSに載ってい たのを見て運用しに行った。終了時間間際に行って1時間もやってしまい、QSL書きを幹事のFS山形クラブの人達に手伝ってもらってしまった。周波数は 7MHz帯でリグはTS−5??だった。
SSBで100局程度やったが、中に電信のリクエストが1局だけ有り、丁重にお断りした。
(当時,電信級=現在の3アマを持っていたにも係わらず電信は苦手だったので...)  

JA1YRL
JARL埼玉県支部大会の時の記念局ということで430MHzのFMに出た。家で使っているのと同じリグなのに見物客が居ると緊張してしまい、思うように出来なかった。アンテナの高さ等の条件が今ひとつだったとみえて、あまり局数は出来なかった。  

アマチュア無線についての詳細は日本アマチュア無線連盟(JARL) のホームページを参照。

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