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尾崎城山は、牧野地区の菅井と伏馬田にわたる、標高五三九Mの山です。
戦国時代甲斐武田氏と後北条氏の勢力が接する地という事で、山城か砦のような烽火台のあった山です。
城の詳細は不明ですが、往時の城主は北条氏の家臣で日連村に居を構える、尾崎掃部介でした。そして後裔にあたるのが「憲政の神様」と云われる尾崎行雄(萼堂)です。
尾崎行雄は東京市長を務めていた明治45年、日米友好の証として、荒川川岸の桜の苗三千本を米国に送りました。
昭和56年に区制五十周年の記念に足立区では、米国から三千本の苗を里帰りさせ、そのうち三十二本の苗が津久井町に寄贈されました。そのうちの一部が「尾崎行雄を全国に発信する会」によって、尾崎城に植えられ、「里帰りした萼堂桜」と云われています。
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