neutral position BY きゅろんさん
「じゃあ、俺着替えてくるから」
扉が音を立てずに閉まると、僕は克哉の部屋に一人ぼっち。
もう、何度目だろう。克哉の匂いのするこの部屋に来るのは。
初めて来たとき、すごく嬉しかった。今だって嬉しい。もしかしたら、ってすごくどきどきした。今でも少しどきどきする。
でも、克哉はそうじゃないんだ、きっと。
―好きなんだ。僕と付き合ってください。
半年前のあの日。学園祭に出演する急造バンドのボーカルだった克哉に、告白したあの日。
今でも鮮明に覚えている。初夏なのに、長袖のカッターシャツを着てても肌寒い日だった。
断られるのが怖かった。冗談言うなって突き放されると思っていた。僕のわがままのせいで
バンドも解散してしまうかも、とさえ思ってた。
でも、克哉は笑わなかった。怒らなかった。真剣な眼差しで僕の目を見つめた後、よく通る声で言ってくれたんだ。
―うん。ありがとう。
あいまいな返事。どうとでも取れるような。あいつの作る歌詞とはまるで正反対の。
それでも嬉しかった。拒絶されなかったから。想いを理解してくれたから。
でも、僕を受け入れてくれたわけじゃないんだ。だって、克哉は、僕に言葉をくれない。
僕が欲しい言葉を。僕のことを好きだって、口に出してくれない。
―うん。ありがとう。
あの時のあいまいな返事と同じ。遠くもないけど近くもない。
―ニュートラル・ポジション―
あの学園祭で克哉が歌った曲と同じ。あいまいな位置。
満足しなきゃいけない。自分に言い聞かせてる。嫌われなかっただけでもよしとしなきゃって。
でも、人間は慣れるもの。恋が進めば、手をつなぐだけでは満足できなくなってくる。
もっとドキドキしたくなってくる。もっと相手のことを知りたくなってしまう。
僕から言い出すことは出来ない。『ニュートラル・ポジション』を壊してしまうから。
言えば、二人の距離が近くなるかもしれない。言ってしまえば、もう二度と
二人の視線は交わらないかもしれない。
そんなのはイヤだ。だから、僕は言い聞かせる。今の僕は幸せなんだって。
部屋の扉が静かに開く。全校生徒を魅了したあの声が、今は僕だけの耳に届く
。
「おう、待たせたな。ん、どうしたんだ?」
いけない、克哉の顔を見たとたん、ほっとした気持ちが溢れ出してきて。我慢
しないと。
でも、我慢できない。僕のそばに座った克哉に身を預け、肩に顔を押し付けて涙を堪える。
「僕のこと、どう思ってるの?」
涙を堪えた分、言葉を堪えることができなかった。
言ってしまった。そのショックで冷静になれた。涙は流れなかった。それがいい。
どうせ後で散々泣かなきゃいけないんだ。
克哉は黙ったまま、僕をじっと見つめる。ちょうど、あの告白の時のように。
「ごめんな、不安にさせて」
克哉は身を少し窮屈そうにねじり、僕の額に手を当てて顔を上げさせる。そして、そのまま左の目許に軽くキスをしてくれた。
克哉が僕にくれた、初めてのキス。
「よかった、泣かせてなくて」
僕は力が抜けたように克哉の胸元に顔をうずめ、さっきまで堰きとめていたものを解放する。なにもかも、すべて洗い流してしまうために。
「お、おい、泣くなよ」
僕の両肩を抱きしめて困ったように慰める克哉の声を聞きながら、今はこのまま眠れたら満足だろうな、なんてぼんやりと思った。
「Phrase」の作者・きゅろん様からの頂戴物です。
やっと移動出来ました。
以前のサイト10000ヒット記念でした。
「Phrase」の続編になりますので、そちらを先に読んで下さいね♪