石垣島ダイビング―竹富島、西表島

石垣島
2003年度のGWは、休みの並びが悪いこと、イラク戦争とSARS騒ぎもあり、人出が少ないようであった。 私のにとっては逆に、ここぞねらい目ということで、昨年に引き続き、沖縄を目指すことにした。 国内にしたのは、やはりSARSも影響している。
行き先は、本島にまた行ってもよかったが、ちょっと行き先を変えて、石垣島に行くこととした。
羽田―那覇往復、那覇―石垣島はWeb割り引き込みで計92000円。高いね。 通常の時期なら、格安の運賃もあるようだけど、この時期はしょうがないようである。 例によって、ホテルもダイビングショップもぜんぜんOKであった。ホテルは一泊5800円。(写真右) まあ、そこそこである。





竹富島


那覇に11時半、石垣には13時半に到着。

空港からホテルに行く。チェックインは3時からということで、荷物をフロントに置き、まず近くで昼食。(八重山そば) そして、時間が余ったので、チェックインする前に早速観光に行った。

近くの島に行こうとして、石垣港に歩いていくと、2時30分発の竹富島行きフェリーがあったので、 躊躇なく、乗船。10分ほどで竹富島に到着した。

竹富島の埠頭にはレンタサイクル屋が待ち構えていた。
宿泊は石垣なので、こちらも時間が無いので、ここでも躊躇無くレンタサイクルを頼んだ。
そのまま、マイクロバスで店まで連れて行かれて、1時間300円でレンタサイクルを借りる。



竹富島は、周回道路があり、コースが決まっている。 まず、南にいって、星砂のカイジ浜、海水浴場のコンドイ岬(写真左上)西岸の西桟橋を回った。


竹富の砂浜はさほどきれいというわけではない。特に季節のためか、潮のためか、海岸は遠浅の地面が露出していたが、 、お世辞にもきれいではなかった。 ただし、海は透明度が良く、きれいな青である。
まだ、5月ではあったが、気温は高く、皆Tシャツ、短パンである。日差しも強い。
シーズンとは言えないので、GWといっても人は少ない。その分、ゆったり出来るともいえる。

そこから、街中に入り、水牛車(左下)、なごみの塔(右下)を見た。 水牛とは沖縄ならでは。ちょっとびっくり。なごみの塔からは伝統的な沖縄の家並みが見えた。
観光は、ここまでで、およそ1時間半程度である。

その後、近くの店でゴーヤアイスを食べて、時間となり、4時45分のフェリーで石垣島に帰った。
その夜は、石垣牛のステーキを食べさせる店に行き、サーロインを食べる。付け合せがゴーヤであるのも 沖縄ならではであった。


石垣島ダイビング




翌日は、今回の主目的のダイビングに出かけた。
朝9時15分にホテルの迎えが来て、そのまま港に行った。 早速船に乗り込み、細かなことはすべて船の上ということになる。

2ボートダイブで12000円。フルレンタル5000円の計17000円が高いか安いかは良く分からない。

ボートで30分ほど、御神崎に到着。そこで1ダイブ目となる。
透明度は、20m程度。去年の慶良間を比較すると、魚が少なく、今ひとつではあった。
これは日によっても違うので、それだけではなんとも言えないのだろう。
ガイドは、どうも小物に詳しい人で、小さなウミウシやエビの子供や、クマノミなど、やたら細かい。
それなりにきれいではあったが、ちょっと興味の対象が私とは違うようであった。
しかし、中には、写真右のように魚がたくさん潜んでいる岩のトンネル(右上)とか、 イセエビ(左下)なども見れた。

昼休みを経て、2ダイブ目。今度は竹富まで行った。今度も、サンゴの広場で細かい観察を続けた。 クマノミ5種類を一度に観察をしたり、タツノオトシゴの仲間でトビイシヨウジという小さな魚をみた。

私は価値が良く分からないのだが、同行した人の中には以上に興奮していた人もいたので、 きっと非常に珍しいのだろう。
もう少し、勉強しなくてはいけないなと思いつつ、 素人の私はきれいな魚が沢山いる方がいいなと思ったりする。


石垣島観光

ダイビングを終えて、ホテル帰着が2時45分。このまま一日を終えるのでは、勿体無い。
そこで、レンタカーを借りて、島内観光に行くことにした。
ホテルが提携しているレンタカー屋を頼むと、ホテルまで迎えに来てくれた。
色々手続きをしてる間に、3時半となる。この時間から観光が始まった。

石垣島は、島内周回道路がある。きれいに整備された道なので、快適である。 これを右回りで回るか、左回りで回るかのどちらかしか行き方はない。
ホテルの人が、名蔵の夕日がきれいだというので、夕方に名蔵に着くように左周りに周り、 ちょうど夕方に名蔵につくようにしてみた。
周り始めると、初めは市街地を通っていくので、面白くないが、そのうち周囲ジャングルの景色となる。 そして、東海岸を北上し、初めの観光地、玉取展望台についた(写真左上)。
あいにく、曇りの天気であったので、今ひとつだったが、景色は確かに良い。 晴れていればもっときれいだっただろうと残念である。
ここから、さらに島は北に伸びているが、時間の関係からここで西に行き、島を周回するコースに入った。
次についたのは、吹通川のヒルギ群落である。周回道路を横切るように吹通川が流れており、 そこには、吹通橋が架かっている。その橋の下に八重山ヒルギの群落があった(写真右上)。 八重山ヒルギは日本でみれる数少ないマングローブであり、写真のようにタコ足なのが特徴である。

吹通橋からさらに79号線を回っていくと、次には米原のヤエヤマヤシ群落に至った。(写真左中)
ヤエヤマヤシは、八重山諸島の固有属で、石垣、西表島だけに自生する一属一種の、 樹高25mに達する大型ヤシである。 国の天然記念物に指定されているが、近年の枯死が目立ち、個体数は減少しているという。
学術的価値はあるようだが、良く分からない者にとっては、ただのヤシではある。
その周囲には、遊歩道があり、石垣のジャングルを堪能できる。 まさに、南国ならではであるので、まあ行く価値はあったかなというところ。

米原から西に行くと、石垣島のある意味メインの観光地である川平湾に到着した。 川平湾を川平公園から望むと、美しいエメラルドグリーンの海が、周囲の景観とともに、幻想的に飛び込んできた。 ここは、確かに美しい場所であり、お勧めである。(写真右中)
遊覧船もあるが、のんびりするだけでも十分である。もちろん泳ぐことも可能である。 しかし、かえすがえすも、この日は、天気が今ひとつであったのが残念だった。 ここで、少しのんびりしてみた。


その後、川平湾から、さらに西に行き、石垣島西端の御神崎にいった。 ここには灯台があり、周囲の景観は切り立った崖と岩場で、それなりに見ごたえがあった。(写真左) 灯台と岩場の間に、昭和27年に35人の遭難者をだした、八重山丸の遭難者の脾があった。

御神崎を下ると、すぐに名蔵湾に至る。 夕日にはまだ日が高く、先に南下して、観音崎灯台の近くにある唐人墓に行った。(写真右) 唐人墓の歴史は、下記の通り。

1852年(嘉永5年)中国・アモイからアメリカ・カルフォルニアに向かっていたアメリカ商船ロバートブラウン号の船内で 虐待に対し、中国人奴隷達が抗議・蜂起し、船長などを撲殺。船を乗っ取った。 そして、台湾へ向かう途中に石垣島沖で座礁 すきを見つけた380名余は脱走し、石垣島へ上陸した。 心優しい石垣島の人達は彼らを匿ったが、これに対し、アメリカ・イギリス軍艦が三回にわたり艦船を送り込み、 砲撃・襲撃を行い、琉球政府を威圧して島へ上陸した。そして、病死も含み128名が死亡、 琉球政府の交渉で生存者172名が1853年中国・福州に送還されたという。
石垣の人は、処刑された中国人奴隷を哀れんで、祭った墓碑をたくさん作っていたが、風雨で崩れてきたため、 1971年(昭和46年)9月に点在していた唐人墓を一ヶ所にして、新たな墓が再建されたそうである。 しかしこの当時の沖縄は、まだアメリカの統治下にあったため、詳細な事実関係などを碑文には記載することがなかった。
深い話である。

最後に、夕日の名蔵湾を再度眺めて観光を終えた。
この日の夕食は、島料理の店でゴーヤ定食。沖縄名産オリオンビールのおまけ付きである。(写真右)




西表島


ダイビングを終え、竹富島はすでに行って、石垣島内観光も終えた今、最終日はどうしようと思っていたが、 せっかくなのでもう一つ離島に行こうと画策。前日の予定では、西表島に早朝から行くはずだった。
西表島までは石垣島から片道40分。 一番早いフェリーは朝6時40分というのがあるが、さすがに早すぎるので、8時か8時10分の船で西表島に行き、 飛行機の出る13時40分に間に合うように石垣島に帰ってくることで、十分ある程度の観光は可能だと踏んでいた。
しかし、3日目ともなると疲れが出たのか、残念ながら朝寝坊して、チェックアウトその他で時間をとり、 結局ホテルをでたのが9時半過ぎ。一旦は行くのを断念した。
しかし、石垣の市内に行くと、どこも店が開いていない。ここにいてもやることが全く無いということわかり、 急遽予定変更。10時の八重山フェリーで西表島、大原港に向かった。

到着が10時35分。 飛行機の出発に間に合うように戻るとなると、安永観光の12時のフェリーとなる。 現地一時間半しかない。仲間川の遊覧船とかは、難しい時間である。

これで、なにが見れるか分からなかったが、とりあえず、港に来ている観光業者に聞いてみると、 レンタサイクル、レンタバイクがあるという。店に行き、一時間程度でどこに行けばよいかと聞くと、 その時間だと、南風見田の浜にある忘勿石くらいしかないといわれた。
もっと時間があれば、由布島もいけるのだが、交通事故が多く、万が一怪我すると、この島には医者がいないので、 大変なことになる。よって、急いで観光することはすすめないという。
しかたないので、忘勿石に行くこととして、自転車だと片道30分というので、スクーターにすることして、一時間1000円で借りた。

大原は港があるといっても、たいした街ではなく、家の数も少ない。さらにそこから南にいって豊原という集落を越え、 南風見田の浜に行った。(写真左上)
西表は人跡未踏の秘境で手付かずの自然の残る島ということだが、確かにそうであった。
この南風見田の浜はきれいな海岸線だが、そこにいるのは私一人。非常に贅沢な時間である。 周囲に生えている植物もちょっと本州には無いような、南国の植物である。
目的の忘勿石は、岩場を回った奥にあった。 ここは、第二次大戦のとき、疎開をした島の人々がマラリアにかかり大勢死亡した場所であり、 その脾も建っている。(写真右上)
ジャングルのなかに忽然とある浜という感じで、なかなかいいところである。のんびりする時間が無かったのが残念であった。

南風見田の浜から戻ってきて、まだ時間があったので、そのまま行き過ぎて仲間橋に行った。(写真右) 本来、大原の観光のメインはこの仲間川のクルーズだそうであるが、今回は残念ながらいけなかった。 天気も悪く、小雨も降ってきたので、あとは次回のお楽しみということにした。 いずれ西表はもう一度来る必要がありそうだ。
ということで、駆け足だった西表観光を終え、石垣港から空港に直行。 そのまま飛行機で那覇に行き、那覇空港で最後の島料理、ソーキソバを食べて、すべてが終わった。
今回、ダイビングと離島周り、食については満足であった。 SARS騒ぎの今、国内旅行は見直さなくてはならない。残念ながら金がかかるのが難点ではある。