八丈島



三宅島、新島方面が連日地震で騒いでいるこの時期に、あえて八丈島に行こうと思ったのは、まさにその地震を逆手にとって、すいていると見越したからに他ならない。目的はスキューバダイビングである。 案の定、一週間前に行動を開始したのにもかかわらず、飛行機、宿、ダイビングショップ、船とまったく問題なくアレンジが出来た。

初日

金曜日の10:30羽田発の便で11:55分八丈島に着いた。所要35分。 東海汽船が10時間かかることを考えると、飛行機のメリットは計り知れない。
ダイビングショップはP's clubというところで、八丈島の国際観光ホテル内に事務所があり、宿泊もそこにした。ホテルは西の海岸線に面していて、部屋から八丈小島が見える。
短期旅行で時間がないので、早速潜りに行く。初日は時間の関係で、ビーチ2ダイブとした。ポイントは底土ビーチ。ここは八丈島唯一の砂のビーチである。実は八丈島には砂浜がなく、底土の砂もわざわざ千葉から運んできたものだそうだ。何でそんなことをするかといえば、やはり砂浜でないと観光客が満足しないとのこと。なんだかちょっとという感じだ。
気温は28度、水温は25度で、透明度は20m。前の週までは透明度が悪かったそうだが、梅雨明けしてきれいになったそうだ。しかし、本来はもっときれいだとのことである。
見た魚はキンギョハナダイ、アオヤガラ、ハナミノカサゴ、ハタタテハゼ、ミギマキ、レンテンヤッコ、テングハギ、ヌノサラシ、アカハタ、ムロアジ、ニザダイの大群、ヒレナガカンパチ、オトヒナエビ、シンデレラウミウシ、キスジカンテンウミウシ、コンペイトウウミウシ。 夜は、梁山泊という飲み屋で、八丈島の島料理(島寿司、ウミガメの鍋)や明日葉茶割りの焼酎を飲んだ。

二日目

二日目はボート3ダイブ。天候の関係で、ナズマドのある西側の海は潜れず、東側のポイントに神湊港から行った。
午前中のポイントは局長浜。八丈で有名なユウゼン、レア物のハナヒゲウツボを見た。他にはヤマブキベラ、モンガラカワハギ、アジアコショウダイにでかいカンパチ。
昼は港で休憩して、午後二本目に垂土、三本目にインサイドで潜った。垂土ではウミガメが見れるというふれ込みだったが、そのとおり上がってくる途中ウミガメが出た。他には、ツバメウオ、鏡チョウチョウウオなど。インサイドでは、再びウミガメ、同時にアカエイにも遭遇した。他には、クマノミ、ハリセンボン、ナメモンガラ、テングダイ、トサヤッコ、ウミスズメなど。
この日は一緒にダイビングをした人たちと一緒にマーちゃんという飲み屋に行く。ここは梁山泊ほど高くなく庶民的な店だが、やはり海産物はうまい。オヤジも良い味を出していた。場所は車でないと行きにくいので、現地の人に教えてもらわないとたぶん行けないと思われる。

三日目

本来、ダイビングをしたあと、12時間は飛行機にのっては行けないという決まりがある。というのは気圧の関係で、窒素酔いが増悪するからである。しかし、八丈島からの飛行機は35分、高度もさほどでない。現地のダイビングショップの人の話では、午前中に潜って、最終便で帰った場合で、いままで問題になった人はいないとのこと。あくまで個人の責任で、潜ることが可能だというので、もう一本潜ることにした。
ポイントはイデサリ。実は前日も行くはずだったのだが、波が高くて断念したのであった。しかし、二日越しで待ったかいがあった。
昨日までのポイントと魚の数が違う。天気もよく、水中も明るくまさに幻想的な空間となっていた。
見えた魚は昨日みたものとほとんど同じだが、圧倒的な数の違いで迫力が違った。まさに大満足。東海岸でのポイントでは随一と思われた。
最後のダイビングを終えて、まだお昼前であったため、レンタカーを借りて最終便まで島内観光をすることにした。
まず、南部にある露天風呂「みはらしの湯」に行く。一人500円。小高い丘の上、八丈島燈台の近くにある。眺めは絶景。しかし、夏の昼間は日差しが強く、温泉に使っていても日焼けする。しかも塩水であり、露天風呂でのんびりというわけにはいかなかった。
次に、名古の展望台にいく。洞輪沢漁港が眼下に広がる。しかし、入るのに200円とられるし、みはらしの湯の隣りにあるため、眺望自体は変わらない。あえていく必要はなかったかもしれない。
徐々に北上しながら移動。次には裏見ヶ滝に行く。ここは「恨み」の滝というような恐ろしいものではなく、文字通り「裏」から見える滝、つまり滝の後ろに遊歩道があり、滝の裏にいけるということである。
次に、黄八丈めゆ工房、服部屋敷跡に行き、大坂トンネルからの眺望を楽しんで、八丈歴史民族博物館に行った。
八丈島は、ご存知の通り流人の島である。しかし、島内に流刑地といしての名残はあまり残っておらず、そういった歴史を知るにはここの博物館は役に立った。もともと、関が原の合戦でやぶれた、宇喜田秀家が初めて八丈島に流されて以来、始まった八丈の流刑地としての歴史だが、佐渡に比べ天国とされていたようで、流人たちは島内では現地妻を持つなど良い暮らしをしていたようである。
実際、島民の子供は都会にあこがれ、東京などに行ってしまう反面、都会く暮らしに疲れた人が、八丈に渡ってくるというケースもあるそうである。台風などを除けば、気候もよく、のんびり暮らすには最適である。しかし、産業がないので、職をさがすのが大変であるが、、。 という感じで、例によって駆け足で八丈観光をして、最終便で羽田に戻った。
八丈島は意外に近くて、楽しめる島である。 あくまで、新島、三宅島とは地理的に離れており、地震の影響もない。
地震騒ぎで観光客の激減した、今がお勧めともいえる。