西日本城めぐりの旅
和歌山
和歌山城
和歌山市の中心にある城で、1585年に秀吉によって築かれ、その後紀州徳川の居城となった。
和歌山市は県庁所在地であるが、市の中心には和歌山城くらいしか見所は無いらしい。
(これは地元の人が言っていたこと)今回は学会で行ったのだが、飲み屋のおねえさんに聞いても、和歌山で一日過ごすなら、
大阪に行った方が良いというので、学会終了とともにさっさと大阪に行った。
因みに南紀に行けば見所は沢山あるので、あくまで和歌山市近辺ということである。
大阪
大阪城
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今回は神戸出身の同僚、外浦君のナビで大阪を回ることにしたが、このナビは完璧だった。
まず、難波に行き、大阪風お好み焼きを食べ腹ごしらえをした。
次に大阪なら大阪城ははずせないとのことで、大阪城に行った。
天守閣は鉄筋コンクリートの現代風だが、大阪城のすごさはやはり堀である。
冬の陣、夏の陣を経なければ落城しなかったのも、この堀の規模をみたらうなずける。
展望台からは通天閣、大阪ドームなど、今回は見送った名所も見え充実だった。
その後、道頓堀に行き、食い倒れ人形やかに道楽などお約束のものを見て、づぼらやという店でふぐ料理を食べた。
やはり大阪の食はうまい。
昼に和歌山を出て、7時半には関空に行かなければならないという忙しいスケジュールだったが、優秀なナビのおかげで、
一応大阪観光&食い倒れツアーを出来たのは充実であった。
沖縄
首里城
関空から那覇まではおよそ2時間。近いようで遠い、外国のようで日本という不思議な距離感である。
土日だけの沖縄ツアーだったが、初めての沖縄だったので、精力的に動きまくった。
初日は北部の恩納海岸のビーチに行った。
今回は準備不足のため潜るのは断念したが、ここには真栄田岬というダイビングのメッカがあり、
一応これでもダイバーのはしくれなので、どんなものか見学に行った。
切り立った崖を降りて行きエントリーする海はまさにコバルトブルーで、透明度が非常に高いことは外から見てもわかる。
シュノーケリングでも十分楽しめるポイントである。
その後、万座毛という象の鼻のような形をした岩で有名な断崖に行く。
対岸には万座ビーチホテルがあり、絵に書いたようなリゾートである。
ここまできたら、とにかく海を見たくなったので、いんぶビーチに行き、グラスボートという船底がガラス張りで、
海底が見えるようになっている観光用の船に乗り海底世界を堪能した。
とにかく海の色が他の国内の海とは違い、海の青さと熱帯の魚の対比が素晴らしい。
これは是非次回ダイビングをしようと硬く誓って生みを後にした。
帰りに琉球村という沖縄文化のテーマパークに寄った。メインはハブとマングースのショ-なのだが、動物愛護の観点から、
今は戦いを見せることが出来なくなったとのことであった。
夜は那覇の国際通りで、沖縄民謡を聞きながら、泡盛を飲むという定番を楽しんだ。
店の名前は「島唄」というそのものズバリで、もちろん島唄も演奏してくれた。
翌日は、南部の名所めぐりに行った。この日のテーマは、「果たして観光バスルートを路線バスで同じ時間内に回れるか否か」
というものである。単に観光バスの予約をし忘れただけなのだが、旅には常にあたらしい発見がなくてはならない。
ということで、その日は観光バスとの戦いをすることにした。
初めに首里城に行った。守礼門、首里城正殿ともに、1992年に再建されたものなので、妙に新しく建物自体は趣はないが、
日本の他の城にはない中国の強い影響があり、琉球王朝と日本の本土が明らかに別の国であったことを感じる。
やはり450年にわたる琉球王国の歴史には重みがあった。
観光バスとの戦いに関しては、9時丁度に正殿に入ったので、ここまでは全く互角である。
ここから、いったん那覇のバスターミナルまで戻って、10:05に玉泉洞行きバスに乗った。
ここで結構なタイムロスとなった。
玉泉洞王国村には10時55分到着。
ここは南部観光バスの定番で、800mにわたるサンゴ礁からできた鍾乳洞が公開されている。
その回りが、ガラス細工や陶芸、ハブ酒工場などの伝統文化のテーマパークになっている。
これらは琉球村と遜色ない。しかし、鍾乳洞は見ごたえがあった。
次に、平和記念公園にいった。12時に到着。ここには、平和記念堂、戦没者慰霊碑、平和記念資料館がある。
記念碑や慰霊碑自体は新しいものだが、平和記念資料館は見る必要がある。
沖縄を語るのに、やはり戦争は無視できないだろう。実際の戦争経験者が書き綴った体験談にはしばしば悲惨な過去が記してある。
北部に行く途中にみた広大な米軍基地ともあわせて、しばし、沖縄の過去に思いをはせて欲しい。
昼食をとり、あらかじめ確認していた1時半のバスに乗ろうとしたら、ここで大失態。平和記念公園を通る路線バスは本数が少なく、
1時間に一本しかないが、平日と休日のバス時間を間違えたため、次のバスが実は2時10分と判明、
3時那覇発の飛行機には間に合わなくなってしまった。
初めの予定では、この後ひめゆりの塔、もしくは海軍司令部に行って空港を目指すはずだったので、結局、
ここで路線バス利用をあきらめゲームオーバーとなる。
平和記念堂から空港までのタクシー代は2900円。路線バス代は全部あわせると1000円以上になった。
観光バスが入場料が割引になったり、食事代もあわせて、4‐5000円であることを考えると、
観光バスは結構良心的な値段設定であるといえよう。
結局、「沖縄南部観光は、観光バスを使った方が早く、値段も決してべらぼうに高い訳ではない」というのが今回の結論である。
しかし、こういう結論は私のような実験をして初めて、現実感をもっていえるのであるから、今日の試みは無駄ではないのである。
また一つ新たな発見をした一日であった。
この後伊丹空港に飛んで、空港からバスで京都に向かった。空港は写真のごとく、7月の沖縄サミット一色であった。
京都
二条城
京都滞在の目的も基本的には宝ヶ池にある京都国際会館で行われた学会に参加するためである。
しかし、一日中発表があるわけでもなく、見所は近くに沢山あるので、時間の空いたときに街に出かけてみた。
ここまで、和歌山城、大阪城、首里城と回った段階で、今回の旅のテーマがひらめいた。
まさに、城廻の旅になっていたからである。
となると、京都といえども城に行かねばならないと思い立ち、とりあえず初日の午後に二条城に行った。
二条城は言うまでもないが、徳川家康が1603年に上洛の際に築いた城で、二の丸の鴬張りの廊下で有名である。
天守閣は無くなっているので、城としてのイメージは薄いが、堀もあり、立派な城である。
この日は時間の関係で二条城のみの観光。夜は賀茂川べりの割烹料理屋「さつき」でハモ料理に舌鼓をうった。
余談だが、この料理屋のアルバイトの女の子がバックパッカーで、女将が50カ国くらいを旅したツワモノで、
ひょんなところで外国話で盛り上がってしまった。
ちなみに、この料理屋、看板が極めて小さく、入る際に店の前を通りすぎてしまった。
いわゆる一見さんお断り系の店らしいのだが、ここでも優秀な同僚中島君のナビで入ることが出来た。
二日目は、城めぐりとは離れて、一応京都の京都らしいビジュアル系の基本をおさえるために、金閣寺と清水寺に行った。
これらの寺については改めて説明の必要もないだろう。京都はバス路線が充実しているので、寺から寺に移動するのは容易い。
しかし、修学旅行の生徒達がどこに行っても沢山いるのが少々うっとうしかった。

二日目の夜は祇園で宴会。いかにも高そうな会員制の割烹料理屋(政治家が密談をやるような)を尻目に、
通常の海鮮料理屋「魚園」で盛り上がった。ということで、京都も京都らしい形で十分楽しむことが出来た。
因みに、写真は賀茂川での飲み会時で、ナビゲーターのなかじは左から二番目の白い服の男である。
とにかく遊びに関しては天才的知識を誇っている。
三日目の朝、最終目的地である名古屋に向かって出発した。
名古屋
犬山城
名古屋行きは急遽決定した。本来は京都で終わりのはずだったのだが、京都からリアルタイムで旅行仲間に画像を発信したところ、
名古屋在住メンバーより、城廻をしていて、京都から東京に帰るのに、名古屋を素通りするとは何事かというクレームがつき、
なるほど名古屋城をはずすのはまずいだろうということになった次第である。
しかも行くなら一日名古屋で観光することになり、まず、犬山城に向かった。
犬山城は1537年織田信康が築城した。天守閣は昔の状態で保存されており重要文化財であるにもかかわらず、
1617年成瀬正成が城主となって以来、成瀬家の個人所有の城であるという点がユニークである。
小さい城であるが、天守閣は日本最古とのことで、その上からの木曽川の眺めは美しい。
犬山といえば、モンキーパーク、リトルワールド、明治村と観光スポットが目白押しである。
ここまで来てただ帰るのでは旅行者魂がすたるので、あいにくの雨だったが明治村に向かった。
明治村は犬山駅からバスで30分。12時に到着。中には60−70もの建物があり、重要文化財も沢山ある。
時間的に2時間半くらいで、なおかつ雨が降っていたので、すべては回れなかったが、重文は大体押さえるようにした。
第八高等学校正門、大井牛肉店、西郷従道邸、森鴎外・夏目漱石宅、三重県庁舎、東松家住宅、札幌電話交換局、
第四高等学校武術道場、歩兵第六連隊兵舎、宇治山田郵便局、呉服座、聖ザビエル天主堂、帝国ホテル中央玄関などが重文であり、
仕事がらの個人的興味で北里研究所本館・医学館、日本赤十字社中央病院病棟には回った。
それ以外のところも含め、8-9割方の建物は見れたと思う。
最後は帝国ホテル前の「東京駅」から、蒸気機関車に乗って「名古屋駅」まで戻り、2時半に明治村を後にした。
名古屋城
名城線で名古屋に戻って、最後に名古屋城へ行った。名古屋城は1617年徳川家康により築城された。
現在の城は1959年に復元されたものだが、名古屋にとって名古屋城はシンボル的存在であるし、
やはり何より規模がでかい。周囲の庭園も見事である。以前にも来たことがあり、いくつかの城を回った目をもってしても、
名古屋城の趣と規模はトップクラスであるといえる。
あいにく内部は大阪城と同じく鉄筋コンクリートであるのが残念であるが、金のシャチホコは健在である。
名古屋城の後は名古屋名物みそカツを「矢場とん」という有名な店に食べに行き、
最近オープンしたての51階立ての駅ビル”タワーズ”の展望台に行った。
いつものように朝から晩まで堪能して終わった。
食のナビゲーターは、先にクレームをつけたモンゴル旅行者グループの朋子ちゃんでありここでも旅行友達に助けられた。
(千葉)
おまけ 千葉城

城という範疇から言うと全くのいかさまなのだが、千葉にも千葉城というのがあるので、載せてみた。
見かけは立派な城に見えるが、実はこの城、郷土館という博物館で、城としての歴史は全くない。
時の知事が「千葉にも城があると良いな」と言うノリでつくったものらしい。本来の城は佐倉などに城跡がある。
因みに、千葉城周辺は桜の名所であり、花見の季節は大賑わいである。
最後にこの旅行をナビゲートしてくれた、外浦と朋子ちゃんの写真をのせて終わりにする。
