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ラレス (LARES)

【こんなところ】 ラレスはプエルトリコの中西部の山間に位置する町。農業(コーヒー、バナナ、プラタノ、ニャメ芋、ヤウティア芋、アボカドなど)が産業の中心です。人口は約33,000人 (2000年)。

プエルトリコには各町にお祭りがあります。ラレスでは3月のフィエスタ・パトロナレス (Fiestas Patronales de San Jose)が一番大きなお祭りですが、6月のFestival del Guineo(バナナ祭り)なんてのもあります。この町が農業で成り立っていることがわかりますね。

"ラレス"と聞くとまず山間の静かな町であること、プエルトリコの歴史で忘れてはならない"ラレスの叫び/Grito de Lares"、そして最近ではミス・ユニバースに出場して惜しくもトップを逃したデニス・キニョーネス(Denise Quinones)の故郷であることでしょうか。


町の中心の教会

【歴史】 ラレスは1827年4月26日、スペインの統治下、当時の知事だったラ・トーレがサン・セバスティアンの村から分離する形で作られた村。ラレスの名前はVascuante de Lares 又はLarizと言う名の16世紀の入植者に由来するとの事。

1868年9月23日、スペインからのプエルトリコ独立運動のターニング・ポイントとなった事件 "ラレスの叫び" (Grito de Lares)が起こります。 1868年のスペイン革命で本国ではイサベラ女王が退位、亡命を余儀なくされます。そんな動きに力づけられキューバとプエルトリコでは独立の機運が高まります。ベタンセス(Ramon Emeterio Betances)などがその運動に大きな影響を与えます。

そんな中、ラレスの人たちははスペインの統治下から独立を目指して立ち上がったのでした。600人とも1000人とも言われる農民たちがラレスの町に行進し独立政府の樹立を宣言します。しかし、近隣の町から駆けつけたスペインの軍隊との衝突となり10時間にわたる戦闘の後農民側は8人の死者と多くの犠牲を出し鎮圧され独立は失敗したのでした。

しかし、この事件は無駄に終わった訳ではありません。まもなくスペインはプエルトリコの自治に向けて動き、プエルトリコ生まれの者(Criollos)にもスペインの市民権を与え、一部の参政権、政党結成の自由なども付与されていきます。また奴隷制度廃止も1869年から徐々に始まり1873年には全面廃止、約32,000人の奴隷は解放されました。

このように"ラレスの叫び"はプエルトリコのナショナリズム運動の最初のエポック・メイキングな事件で1969年に9月23日が正式な祝日となりました。


Ramon E. Betances

【デニス・キニョーネス】 この町から出たいろいろな偉人もいますが、最近の一番の有名人はミス・ユニバースに選ばれたデニス・キニョーネスでしょう。実にきれいですね。

プエルトリコはミス・ユニバースを過去何人も輩出している国ですが、デニスは2001年のコンテストで見事歴代四人目として選ばれたのでした。

 



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