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キューバ美女 (04.5.1)

中南米には美女を輩出する国として”3C”などという言い方があります。
コロンビア、チリ、コスタリカ。しかしキューバを加えて4Cとすべきでないか?!という声も高い。ほんの一例を。

 



ラウラ・デ・ラ・ウス

4月に行われた「キューバ映画への旅/Voyage To Cuban Cinema」で上映された"Hello Hemingway"の日を見た方は記憶にありますね。女学生のラリータです。

'70年、ハバナ生まれ。国立演劇学校( la Escuela Nacional de Instructores de Teatro)在学中の'90年に"Hello Hemingway"に抜擢されています。

主な出演作は "Hello Hemigway" ('90) 、"Ellos tambie'n comieron chocolate suizo"('91) "Una pistola de verdad" ('92)"Historia de un amor adolescente" ('92)"Madagascar" ('93) "Amores" ('94) "La muerte" ('94) "Historias de La Habana" ('96) などなど

 



ハイラ・モンピエ

彼女の歌声を初めて聴いたのは95年頃のBamboleoのCD。そして、99年ハバナでのアスーカル・ネグラでのステージが動く彼女を見た初めての経験。 キュートでパワフルで弾けるような彼女のパフォーマンスは強力でした。

その後日本には何度も来ているのでその素晴らしいステージは多くの人が経験していることでしょう。昨年のハウステンボスでのチャランガ・アバネラとの パフォーマンスは音楽誌でもネット上でも色々な人が絶賛。



"Live"

1974年キューバ東部のラス・トゥナス生まれ。歌や踊りが大好きだった彼女はジャケリン・カスティジャノスに見出されそのスタートを切ります。そして幾つかのグループを経験した後、'94年にバンボレオ/Bamboleoノメンバーに。

そして'98年にはアスーカル・ネグラヘ。そして'01年にイサック・デルガドのプロデュースの下、ソロデビューを果たす。その後は欧州・中南米、そして米国と飛びまわる人気。2000年から去年2004年まで毎年日本にも来てますね。


"Haila/Tribute to Celia Cruz"

クリスティーナ・ミリアン


"It's About Time"

2枚目の新譜「イッツ・アバウト・タイム」でもうすぐUSデビューのクリスティーナ・ミリアン。アルバム・タイトルの通り今が旬のニュー・スターです。 とは言え、13才からのキャリアは豊富。全米シングル第一位となる歌手としての魅力、JLOと共作もあるコンポーザーの才能、そして女優としての活動と頑張ってます。

2002年のブリトニー来日ステージでオープニング・アクトを務めたのを覚えている人もいるでしょう。

1981年、キューバ人の両親のもと、ニュージャージーで生まれ、メリーランドで育った彼女、 ブリトニー クリスティーナ・アギレラと同じくディズニー・チャネル (『ムーヴィー・サーファーズ』)出身と言っていいかも。

13才でロスに引越し、TVドラマへの出演や声優(『バグズ・ライフ』 )などのキャリアを積む中、Def Jamのラッパー、ジャ・ルールの「ビトゥイーン・ミー・アンド・ユー」 での共演で一躍注目を浴び、 2001年「クリスティーナ・ミリアン」でアルバム・デビュー。同時に女優としてもニック・キャノンとの『Love Don't Cost A Thing』、ジョン・トラボルタとの『Be Cool』で主演と映画でも活躍。そして、今年の「イッツ・アバウト・タイム」のリリースとなった。


日本盤はキュート

デビュー当時は黒髪で、キューバ系アメリカンのキュートな感じだったけど、今はブロンドに染めてかなりセクシーに迫ってます。

Def Soulレーベルからリリースの1枚目のアルバムは海外盤と日本盤ではジャケが違う。日本はキュート、海外はクールな感じ。 でも音は ポップな感じ。しかし今度の2枚目は、セクシーでクールでなかなかです。

 

オフィシャル・サイト


外盤はクール

グロリア・エステファン

ラテンのポップ・ミュージックといったらこの人無しでは済まない。

1957年にキューバで生まれ。'59年にマイアミに移住してきたグロリアは当時まだ1歳。マイアミで苦学して大学に通う中、将来の伴侶でありまたラテン・ポップスの大プロデューサーとなるエミリオと出会い、バンドに参加。

大学卒業後彼と結婚、平行して活動を続けたそのバンド「マイアミ・サウンド・マシーン」はアルバム・リリースなど着実な活動を重ね、'84年”ドクター・ビート(EYES OF INNOCENCE)”が先ずヨーロッパでブレイク、次いで"プリミティヴ・ラヴ"を全米のヒット・チャートに送りこんだ。"Congaや "Bad Boy," and "Words Get in the Way." などの大ヒットでスターの道へ。'86年には初来日。"コンガ"は流行りましたね。


"Mi Tierra"

'87年の次作"レット・イット・ルース"の内「エニシング・フォー・ユー」が初の全米トップに。'89年の初のソロ・アルバム"Cuts Both Ways"からは「ドント・ウォナ・ルーズ・ユー」などがまたまたヒット。その後交通事故による重傷から見事カムバックし "イントゥ・ザ・ライト"からの「カミング・アウト・オブ・ザ・ダーク」"GREATEST HITS"の「Always Tomorrow」などのヒットが続く。


"Abriendo Puertas"

"Alma Caribena"

そんな彼女のターニングポイントが'93年の"ミ・ティエラ〜遙かなる情熱"。スペイン語でキューバへの想いを歌ったこの作品はこの年のグラミー賞ラテン部門の最優秀アルバム賞を獲得。また'95年の"アブリエンド・プエルタス〜扉を開けて"も同年グラミー賞の同じくラテン部門最優秀アルバム賞を受賞した。 、00年の"アルマ・カリベーニャ〜カリビアン・ソウル"も自分とキューバ、ラテンの世界への想いが詰まった作品となっている。

'59年のキューバ革命の時にキューバから逃げてきたグロリア親子。父親のホセは反カストロ派であり、'61年の有名な米国の後押しを受けた反革命軍によるプラヤ・ヒロン - ピッグス湾作戦に関わったかどで彼は二年間とらわれの身になっている。その後解放され、マイアミ/テキサスで親子全員で暮らし始める訳だが、それまで母親とグロリアはマイアミでは苦労した。そして、米軍に入りベトナム戦争に従事した後、病で床に伏した父の看病もあり、経済的には苦しかったグロリア。マイアミ大学も働きつつ奨学金で卒業している。

こんな背景を持っているグロリアは反カストロかつ親キューバという立場を貫いている。しかしそのメッセージをダイレクトに音楽に乗せるというタイプのアーティストではない。自分が1才からアメリカで育ったという現実とキューバ人/ヒスパニックとして親に育てられたというもう一つの現実から自分の音楽を掘り下げ新しいものを作っていくということを通じメッセージを発している。

彼女は自分を"キューバン・アメリカン"と呼び"“キューバの心にアメリカの精神”と自らを語る。それは二つの文化の中でアイデンティティーを模索した本音だろう。そして、アメリカという強力な文化に対して一面したたかに、同時に正直に自分のポジションを探す事が、アメリカのラテン/ヒスパニックの現実であるから音楽に力があるのだと思う。

オフィシャル・サイト


"Greatest Hits Vol.2"



Rosario Dawson

ロサリオ・ドーソン

アフロ系とキューバ系+アイルランド系の混じる女優さん。1979年ニューヨーク生まれの現在25才。

'79年アメリカのニューヨーク市生まれ。ニックネームは“ロージー”。

NYの街角でスカウトされ、'95年に「KIDS/キッズ」で衝撃的映画デビュー。僕が初めてスクリーンで見たのは'02年の「メン・イン・ブラック2」のピザ店の店員の役。なかなか可愛かった、

出演作は、"KIDS/キッズ"('95)、"ラストゲーム"('98)、"チェルシー・ホテル"('01)、 "プッシーキャッツ"('01)、"サイドウォーク・オブ・ニューヨーク"('01)、"メン・イン・ブラック2"('01)、 "アッシュ・ウェンズデー"('01)、"プルート・ナッシュ"('02)、"25時"('02)、"ディス・ガールズ・ライフ"('03)、 "ランダウン"('03)、"シャッタード・グラス"('03)、"アレキサンダー"('04)などなど。


キャメロン・ディアス

父親がキューバ系、母親がドイツ系の女優さん。

超有名だから皆さんご存知だと思います。16才の頃からスーパー・モデルとして活躍し映画は「マスク」でデビュー。一躍スターに。98年の「ベスト・フレンズ・ウェディング」でのキュートな魅力にノック・アウトされた人も多いでしょう。ジュリア・ロバーツ主演の映画ですが、キャメロンも見所たっぷりのラブコメでした。この年、アメリカのピープル誌で「世界のトップ美女50人」に選ばれています。納得。

主な作品 "マスク/ The Mask" ('94) 、"彼女は最高/She's the One" ('96)、 "フィーリング・ミネソタ/Feeling Minnesota" ('96)、"ベスト・フレンズ・ウェディング/My Best Friend's Wedding"('97)、"普通じゃない/A Life Less Ordinary"('97)、"メリーに首ったけ/There's Something About Mary" ('98)、"エニイ・ギブン・サンデー/Any Given Sunday" ('99)、 "マルコヴィッチの穴/Being John Malkovich"('99)、 ”チャーリーズ・エンジェル・Charlie's Angels" ('00)、"バニラ・スカイ Vanilla Sky" ('01)、"マイノリティ・リポート/Minority Report"('02)、"ギャング・オブ・ニューヨーク/The Gangs of New York"('02)、 "チャーリーズ・エンジェル:フルスロットル/Charlie's Angels: Full Throttle"('03)



Cameron Diaz


Majandra Delfino

マハンドラ・デルフィノ

81年ベネズエラ生まれ。ベネズエラ人の父親、キューバ系アメリカ人母親との間に生まれたマハンドラは3才の時にマイアミに移住。バレエや歌のレッスンを受ける中、女優になりたい!という夢がふくらみ15歳の時、「ゼウス&ロクサーヌ:イルカにのった犬」(1996年)で役を勝ち取った。翌年の夏には「トニー・ダンザ・ショー」(1997年)でトニー・ダンザの娘役として、初のテレビ出演を果 たす。そのほか、映画では、「シークレット・ライフ・オブ・ガールズ」(1999年)でリンダ・ハミルトンと共演している。 キュートです。

何といってもTVシリーズ"Roswell/星の恋人たち" ('99)のマリア・デルカ役が彼女をスターに押し上げました。

ベニシオ・デル・トロ主演の"トラフィック/Traffic"('00)にも出演しています(Vanessa役)

 


ジェンリ・フィゲレド

キューバ新体操界のマドンナといえばこのジェンリ嬢。若干17才で中米・カリブ選手権を制した逸材。アテネで彼女を見られるか?

 

 


Yenli Figueredo


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