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(2003.10.12付El Nuevo Dia紙/記事より抄訳) 日本人によるボンバとプレーナ 2003.10.12
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by ハイメ・トレス・トレス End.jtorres1@elnuevodia.com この"魅惑の島 - la Isla del Encanto "に着いてからずっと椰子の木に、人々に、音楽に、料理にずっと魅せられていたという。サン・ファンに住んでいた時期にはクリスマスも体験。だからパランダ(クリスマス時期に仲間内で集まって繰り出される小バンド)や豚の丸焼き、ピトーロ(さとうきびから家庭で作られるアルコール)まで知っている。
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日本のフルート奏者、赤木りえにわきあがったヒバロ音楽、ボンバやプレーナのリズムへの興味によって、日本の観衆たちは今プエルトリコ音楽に出会っている。 彼女のプエルトリコへの愛着の証拠は(プエルトリコ録音の)3枚目のアルバム"Perla del Caribe"に取り上げられたラファエル・エルナンデスの作品"プレシオサ"や同アルバム中の"カリビアン・モーニング"や"ベルデ・ルス"、"カリビアン・エンジェル"といったラテン・ジャズのナンバーに読み取れる。 しかし、プエルトリコの音楽が彼女にどんな情熱や感情を引き起こすのか、といった質問に対しては、彼女は微笑んで小さな声で「フルートの演奏を通してしか自分の心をうまく説明しにくいのです」とだけ答えてくれた。 「最初にプエルトリコの音楽を聴いたのは4年前にここを訪ねた時で、ウイリアム・セペーダがボンバとプレーナのCDを贈ってくれたのです。そして、それをとても気に入りました、踊ることも含めて。それはそのリズムがとても特別なエネルギーを持っていたからです。」 りえは日本で"Perla del Caribe"をリリースするが、そのホームグラウンドでのライブのレパートリーはアフロ・キューバンのリズムでのラテン・ジャズに限定されてしまう。 「日本ではボンバとプレーナはあまり知られていないリズムなので演奏するチャンスがないのです。ですからここで演奏できるのをとても楽しんでいます。」と答えた。彼女はウイリアム・セペーダから当地の民俗音楽についての情報やサンプルのテープを贈られている。 彼女はマヌ・ディバンゴのヒット"ソウル・マコッサ"をボンバのリズムで録音しているが、クラシック音楽を自分のものとした後、自分の音楽とカリブの音楽を結び付けているのだ。 彼女によれば3歳の時に音楽の楽しさを知ったという。 「最初にバイオリンとピアノを学び、そしてクラシックのフルートを学びました。そしてティト・プエンテやジョバニ・イダルゴ、ウイリー・コロンやその他の音楽家を通してプエルトリコに出会ったのです」と語る彼女は東京芸術大学を卒業している。 バンドのビター・スィート・グルーブとのプエルトリコでの最終公演は今日午後4時からカサ・ブランカ/プエルトリコ文化協会で行われる。 |
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