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カリブ漫遊記03.5-プエルト・リコ/捕獲CD

いくつか捕獲したものをご紹介。レゲトンものはまた別の機会にまとめて。


5ta Avenida
"Los Confinados"

ビエラ親父のお奨め。"5ta Avenida(キンタ・アベニ-ダ)" Valentine Valdesのプロデュース。音楽監督はファン・リベラ。ラテン・ジャズとプエルトリコの香りのサルサの融合体。チェオ・フェリシアーノの"Si por mi llueve"やセサル・ポルティージョ・デ・ラ・ルスの"Delirio"を取り上げていて、ビブラフォンが活躍、といえば感じが分かってもらえるでしょうか。

実際、バイブのRaul Sayans(Zayaz)はチェオ共、いっしょに やっていたことがあるという。山口さんのSAMURAI LATINO(最近ページがリニューアルされて、とてもかっこいい)でも音が紹介されていました。ああ、ルイ・ラミレス・・・


これも親父のお奨めでバイブ。Grupo Tierra Firme。店に本人が来てたので話も出来た。ローカルのラテン・ジャズのユニット。

マッコイ・タイナー"Senor Carlos"とはんなてなつかしい選曲。82年の"Looking Out"からで、スタンリー・クラークがびしびし、ドラムはレオン・チャンクラーバディー・ウイリアムスの重量級。「こんなの聴いてたの?」という問いにMuniz氏は「そうそう」と笑う。同じバイブ入りの風味でもこちらはラテン・ジャズ色が強い。でもしっかりプレーナやボンバもいれてるのが当地流。


Eduardo Muniz
y Grupo Tierra Firme


Rumbantela
"Let's go to the Rumba!"

今回捕獲のラテン・ジャズ系の一押しはこの"Rumbantela"ウンベルト・ラミレスのユニット。しかし、あのウンベルト節のアレンジや端正さより勢いが楽しい。

個人的に好きなエドセル・ゴメスがピアノというところも押しの一つ。またそのうち書くかも知れないけど、この人がドン・バイロンのユニットでプレーしたライブが最高によかった。リチャード・ボナのソロでもいいプレイをしている。そのほかにもティト・デ・ガルシアのティンバレス、コンガ、フランキー・ペレスのSax(ブレンダ・K・スター)、オスカー・カルタヤ(ウイリーとセリア)のベースなどなど。


プレネアロの4枚目。今回もバラエティーニ富んでます。キケ・サンタンデールのキャッチーな1曲目でスタートするかと思えば、2曲目"Como tu pretendes"ではラップのBoriとDJ Frankと組み、と思うとカエターノ・ベローソのLa Vida es bonita"を取り上げてブラジル系リズムを取りこんだり。

プレーナの雑食性はいろんなグループで試されていて目が離せない。


Plenealo
"Mas Alla!"

"Lamento Borincano"。これは歴史もの。1916年から1939年のプエルトリコの音源を集めた2枚のCD。マニー・オケンドとリブレも取り上げているダンサの名曲"Sara"の1916年の録音(by キンテート・ボリンケン)を聴くと、そのシンプルな曲想が一貫して受け継がれているのが分かる。


"Lamento Borincano"

1929年のプレーナ(by レジェス・デ・ラ・プレーナ)では、当時の新知事セオドア・ルーズベルト・JRの就任がプエルトリコに何をもたらすのか?というのが歌いこまれていて、「歌う新聞」を通して歴史が学べたりする。

セオドアの父親テディーは米西戦争で"荒馬乗り連隊("Rough Riders")を組織してキューバで戦いスペイン側を打ち負かした軍曹の1人。この戦争でフィリピンも領有したアメリカでは「アメリカはこれから植民地を持つ帝国となるのかどうか?」と言う論争があった。

テディーはこれに対して「我々が偉大な国民であろうとするならば、世界において偉大な役割を果たす努力をしなければいけないのだ。フィリピン人の多くは自治に全く適さず、将来の見通しも無い・・・」など言ったわけ。その結果、どうなったかというと、テディーは見事大統領にアメリカが帝国主義に転じた瞬間だ。

海外には帝国主義を、国内には社会の不公正是正をというアクティブな大統領の息子の知事就任でプエルトリコはいったい?という当時のムードがプレーナに現れているのが面白い。

その子供のセオドアは1929年から1932年までプエルトリコの知事となり、それなりに島の為の経済や文化政策を行ったが、大恐慌の影響ででボロボロになった島に台頭するのはペドロ・アルビス・カンポスがPNPを纏め独立運動を進めて行く・・・・。

 



"La Dominante"

これも親父のお奨め。"La Dominante"。まっとうな音であります。ラ・ドミナンテは73年結成で名門ボリンケン・レコードより、かのエラディオ・ヒメネスを歌い手に作品をリリースしたりしています。

現在の歌い手のウイリー・ロドリゲスはブルックリン生まれなれど、島で修行を続けロイサのコンテストの「ルンバ・歌い手の部」で優勝という経歴を持つ男。本アルバムにはベースに我が師、ポリート・ウエルタス先生アンソニー・カリージョ、コロにはペドロ・ブルルチャーリー・アポンテプリミ・クルースなど島のバックアップ体制が見られます。なんてったって、ビエラ・親父のし切りですから。


5/6月号のラティーナにも山本幸洋さんの文で特集のあったティト・ロドリゲスのCDとDVDのセット。あの特集はとても素晴らしい。プエルトリコでは当たり前にベーシックなティトですが、まとまった日本語の記事はなかったから。

このCD&DVDは2000年に出た"Inolvidable Vol.1"(CD & VHS)の第2弾という事になります。昨年リリース(でも発売レーベルは違う)。第1集より曲数は少ないのですが、70年代のRikovisionが放映していた"El Show de Tito Rodriguez"からの映像。アップ・テンポなのは"Fiesta de Besos"だけで、後は王道のボレロ。最後期の頃のティト。最後のSon~ando con Puerto Rico"はうっとり。監修(Executive Producer)はヒルベルト・サンタ・ロサ。

なお、蛇足ですが、記事では生年月日を1923年1月23日となってましたが、このDVD、マックス・サラサールの近刊"Mambo Kings"やFrank Figueroaの本では 1923年1月4日となってます。


Tito Rodriguez
"Inolvidable Vol.2"


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