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カリブ漫遊記03.5-プエルト・リコ

セント・マーチンから朝イチの便で、実家/プエルトリコへ到着。タクシーでラジオをサルサ局FM 93.7MHzに合わせてもらう。一曲目にかかった曲で、今回の滞在を占うという恒例のサルサ占いである。今回はルベン・ブラデスの声が飛びこんできた。名曲「Yo Puedo Vivir Del Amor」。さて、一体これは何を意味するのであろうか?

チェックインして、メールを読んで、レポートをまとめて・・・とルーティーンを真面目にこなし、朝飯を食いに出かける。 目指すはサントゥルセのメシ屋。

 

PLAZA MERCADOのメシ屋も良いが、今日はどうせまたビエラの親父のとこに行くのでLOS PARADOSにする。サンドウィッチ・クバーノとタマリンドのジュース、あ、スープが美味そう。なにそれ?カルド・デ・ポジョ。いいね、それもください。

ラジオからサルサ、裏の緑の濃い木とゴミ箱を眺めつつ、新聞を読む。隣でも朝飯食いながら爺さんが スポーツ欄を読んでいる。ぢつに平和。時間があれば一生ぼーっとしてるのだが、そうもいかない。腹が落ち着いたところで、セラ通りへ向かう。


Los Parados


カジェ・セラは今日も平和

店に入ると、フルートのインスト・ナンバーが流れている。おや、これは赤木りえさんのIsla del Encantoの中の曲ではないか。

モ「親父、おひさしぶりでございます、セニョーラも相変わらずお奇麗で。ところで、この曲は?」

親父「お前が来そうなんで日本人の曲をかけといた」

モ「またまたぁ。(あんたは予知能力者か?)分かっております、 いつもの親父の気遣いは。で、なんで赤木さんなの?」

親父「このフルート吹き、プエルトリコに来てたの知ってるか?」

赤木さんは1ヶ月ほど前から島に滞在中で、ルイス・ペリーコ・オルティスのプロデュースによるプエルトリコ録音第3作目を録音中だった。メンツは ホセ・ルーゴカチェーテジュニア・イリサリーペドロ・グスマンエドウィン・コロン・サヤスホルヘ・ラボイそしてパラクンベなど などそうそうたるメンバー。(レコーディングの様子は赤木さんのHPに写真があり)


"Isla Del Encanto"


Pellin Rodriguez


親父がビデオを持ってきた。店のTVに映った画像はペジン・ロドリゲスのニューヨークでのライブ。店の客がTVの下に集まる。あれ?またウイリー・ロサリオ師匠

モ「師匠、1ヶ月ぶりのご無沙汰でございます。」

並んでビデオを見る。店の常連が「ほら、ティンバレはKAKOだ」「あのトランペットは・・・」と逐一解説してくれる。

 


 

ペドロ・"ペジン"・ロドリゲスは言うまでもなく、エル・グラン・コンボ・デ・プエルト・リコのオリジナル・メンバー。アンディー・モンタニェスと共に「アンディーは太陽、ペジンは月」と言われるように絶妙のバランスなフロント・ラインで70年代初までのグランコンボの「顔」。ビジャ・パルメラに生まれ、ニュー・ヨークでノロ・モラレスやティト・プエンテと働き、パラディウムのショーを務め、いよいよコルティーホのコンボ、そして、グラン・コンボへと続く。

一方、フランシスコ・"カコ"・バスターはバリオ・オブレロの生まれ。60年代はAlegreレーベルでの数々の作品がとても良くて好き。ペジンが働いたノロ・モラレスとは親しく、トリビュート・アルバムもある。そして息子のリッチー・バスターは、今エル・グラン・コンボの一番若いメンバーと言うわけだ。


"Puerto Rican All Stars
Featuring Kako"


長男はNASAのトップ・エンジニア

 

ペジンには3人息子がいて、上からペドロ、ミッチェル、トミー。ミチェルもトミーもしっかり島で歌っている。トミーはあの"Los Hijos de Celebres"のプチーだ。

では長男のペドロは?というとなんとNASAのエンジニアなのだ。マヤグゥエス工科大学を卒業、アラバマ大学で学位を取りミシシッピー大学で研究を続け2000年よりNASAの専門分野でのトップ・エンジニアとなっている。

しかし、血は争えない。 なにせ親がニューヨークでパラディウムの六週間公演も含めノリに乗っていた時期にブルックリンで生まれた子供だ。お休みには今でもしっかりと歌っているのだそうだ。 「月」だった親父とスペース・シャトルを動かす息子。プエルトリカン、ヒスパニックの社会の奥は深い。

こんな話しが聞けるから、この店はやめられない。ビデオが終わってロサリオ師匠とまたお話を。

 


モ「このあいだ、日本で友人と"De Barrio Obrero a la 15"の話で盛り上がりまして」

ロサ「15って店の前の通りだぞ、知ってるか?」

モ「へえへえ、十分に存じております。昔はWalgreen (ドラッグストアのチェーン)なんか無くて、角にはエスキーナ・ファモサ(デパート)があって・・・」

ロサ「ん?お前いつから住んでるんだ?・・・」

とかなんとか話している最中、師匠自らCD「De Donde Nace El Ritmo」の封を切ってサインしてくれました。ラッキー。

さて、そのほかに捕獲したCDはまた後ほど。


師匠よりの頂きもの


テゴの営業車。フォードの
ワゴンとはさすがTAXIを
よく知ってるだけある。

さて、また3ヶ月後にと親父に挨拶してコンダード方面に向かうと、おや?あの車は・・・テゴ・カルデロンの車。こりゃいいと写真をとってたら、 中からいきなり本人登場。わわ、プエルトリコ。いきなりの登場にあせる。

テゴ・カルデロンはここ2-3年ほどの間にできつつあるスパニッシュ・ラップのプエルトリコでの一つの形「レゲトン」とかくくられる音の歌い手。でもその中でも、プエルトリコのアフロ性とかやや年齢層が上の市井の人達の日常性を織込むような歌詞がとてもいい。音もね。

 

日本のファンです!と言うと驚いていた。アルバムの話をして、イスマエル・リベラの話をして、 アルバムのインタールードのボンバの話をしたら、ウケてステッカーを3枚くれた。打合せがあるとかであまりしゃべれなかったが、なんかフツーの感じのヒトだった。

★先着2名のテゴ・ファンの方にステッカーを差し上げます。欲しい方はご連絡下さい、なんてはたして問い合わせがあるとは思えない。


スティッカー



右からイティエール師匠、ボビー・バレンティン師匠、ロサリオ師匠、パポ・ルカ師匠

その後、バスでRio Piedrasのプエルトリコ大学近辺へ行って本屋を物色すると夕食の時間。友人と新装AJILI MOJILIでプエルトリコ料理を食べ、店を変えて一杯やりプエルトリコで仕事をするのはいかに大変かという話題で盛り上がる。

ホテルへ一旦戻り、El Comandanteでやっているサルサの大コンサート"Perfecta Combinacion"のTV中継を見る。El Comandanteというのはサン・ファン東方の競馬場。そこの施設でやるっているのだ。

エル・グランコンボオルケスタ・ボビー・バレンティンオルケスタ・ウイリー・ロサリオ、ソノーラ・ポンセーニャと老舗勢ぞろいである。歌い手には、アダルベルトカノホスエ・ロサドと言ったところも登場。素晴らしい。

 

そうこうしている内、当地でレコーディング中の赤木りえさんとプロデューサーの原さんから電話が入り飲みに出る。イスラ・ベルデのオープン・バー。

ここは、若い頃のペリーコ・オルティスも通ったところとか。ざわざわした店のスピーカーから古いポンセーニャの曲が流れてくる。バリリートのロックの香り、パラクンベのボンバやボレロの話・・・。ああ、長い1日だった。来週はまた島から移動。


ヘンリー・サンティアゴとホスエ・ロサド


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