2016



 秋も月 10月15日(土)
いつもの立ち飲みワインバルで、月がきれいだという話になる。おとついが十三夜だった。店主は、商売そっちのけで、帰ったらぜひ月見酒をとすすめてくる。そして帰り着くと、カーテンを開けたままの部屋に、窓のカタチに明かりが射しこみ、物語の情景のよう。さっそく、赤ワインを開けてベランダへ。気持ち欠けた月が風情だ。ベランダなのに虫の声も聞こえる。仕事の閉塞感、親の介護への不安など、重たいテーマもなぜか清清しく交わせる。思わず話し込んで、体が冷えていることに気づき、中へ引き上げて、そんなふうに、秋も夜、月のころはさらなり。

 人は流れて 10月14日(金)
朝の通勤電車。きちんと座りながら、けっこう熟睡している30歳くらいの女がいる。ぼくは彼女の隣に座ることになり、いつもの習慣で、窓のブラインドを下げる。今は地下を走っているけど、やがて表に出て、朝陽がまぶしくなるからだ。それは車内の誰にもいいことだと思う。そして20分後、ぼくは電車を降りようと立ち上がる。彼女はしっかり眠っている。乗り過ごしているのではないだろうかと心配なくらい。と、そのとき、ぼくが下げたブラインドをやにわにつかむと、わざわざまた上げている。バタンバタンと大きな音がたつ中、まぶしい陽ざしが車内を照らし、顔面を直撃された乗客は顔をゆがめる。女は、ぼくをチラリとにらむ。は〜? 何が気に入らなかったのだろう。ぼくが下げるときに一瞬目覚めて、邪魔くさくかったのだろうか。頭か髪に触れて気持ち悪かったのだろうか。その女、毎朝いる。ほぼ同じ席に。ぼくは、彼女と同じ並びのときはブランドを下げるのを遠慮する。向かい合わせのときは、これみよがしに下げる。そんな戦いが何ヶ月つづいただろう。ある日からぱったり彼女を見かけなくなった。電車の中の常連さん、またひとり消えた。そして、ぼくもやがて消えゆくのです。人は流れて、どこどこゆくの。

 昭和仕様 10月13日(木)
サムスンがノートパソコンの爆発とその対応の悪さで危機に陥っている。サムスンについては、20年くらい前にiPodのデザインをパクッたとしか思えないガラケーを、でもデザインが気に入って使っていたけど、割とすぐに壊れたので、それ以来、手を出さずにいる。ダマされたという感覚すら残っている。昭和の日本製品の誠実さが懐かしい。

 大停電 10月12日(水)
会社で東京大停電を知る。うちのある中野区も一部エリアが入っているよう。でも、外出中の停電で困ることといえば、冷蔵庫の中と録画予約くらい。管理人に問い合わせるまでもないと放置する。そして帰宅すると、冷蔵庫の製氷室の氷は健在だった。そして、冷蔵庫から冷えた麦茶を出して飲み、窓を開けて空気を入れ替え、今日もなんとか、事もなし。

 テレビ 10月11日(火)
新宿の焼鳥屋で飲んだついでに、ふらり、ゴールデン街へ。平日は初めてかもしれない。表はどえらい数の外国人観光客だったけど、店の狭い急な階段をのぼると、常連さん3人がしっとりと飲みながら、店の隅に置かれたテレビで「8時だよ全員集合!」を見ていた。ぼくらも加わり、ゴールデンハーフのマリアはその後、女優になって、などと盛り上がる。エンディングの「♪ババンババンバンバン」も終わってしまって、次は「夜のヒットスタジオ」へ。まだ、明菜とマッチがいっしょに出ていた。テレビはやっぱり、みんなでいっしょに見てこそだな。

 晴れ雨 10月10日(月)
昼前から雨がやんだので、新宿御苑へ。雨上がりの御苑は空気が冷たく、人影もまばらで、高原に来たよう。1時間もすると、だんだん人が増えてきて、みんな雨上がりを待っていたのだなと共感がある。NHKでもこないだ、「今日は晴れ上がってよかったですね」と言っていた。晴れて困る人だっているはずだけど、大多数の気持ちに合わせておけばいいということだろう。雨を待っている人も、待っている自分をマイノリティーとわかっていて、やっぱり晴れるのがいいよねとは思っていると思う。と、雨ばかりの昨今なので、理屈がぐるぐるめぐるのでした。

 デブ 10月9日(日)
デブには原因がある。電車の中で何か食べてる人の80%がデブだ。特に、忙しさから移動中にしかたなく食べるサンドイッチならともかく、チョコボールやジャンクフードを食べているのは、99%がデブだ。それと、道を歩きながら何かを食べているのも99%がデブだ。あれは、空腹だからではなく、習慣で食べているのだと思う。こないだ神戸出身のKと飲んだとき言ってたけど、小学生の同級生の家を訪ねると、いつも簡素なタコ焼きを食べている一家があったという。簡素というのは、具材がほぼ入っていない、小麦粉を水で溶かしただけのもののこと。その一家は全員がデブだったというのだ。習慣はカタチに出るのです。

 再来年 10月8日(土)
雨つづきに油断してしまった。ベランダの鉢植えに水遣りをおこたったために、エニシダがドライ化してしまった。来年の春の楽しみがひとつ減ってしまった。がっくし。これもまたひとつの学びとあきらめたけど、エニシダとしてはあきらめきれないだろう。それとも植物は強く、再来年の春を思っているのだろうか。再来年、私たちはどうなっているのでしょう。

 5時間 10月7日(金)
おとといの夜、急にKと飲むことになったのです。仕事を終えて、いそいそと新宿の焼き鳥屋へ。焼酎のボトルを入れて、パクチーと豆腐とピータンのサラダなどもたのんで、話大は豊洲市場、小池百合子から、そのうちIQや人種問題、さらには創作論、恋愛論へと話が進んだのでした。もともとは、Kから「相談したことがある」というお誘いだったのに、そんな話は出なかったように思います。そして表に出て時間を確認すると、なんとほぼ0時! 19時集合だったから、5時間もいたことになります。せいぜい3時間だと思っていた。楽しかったのだなと思います。ときどき、(明日は会社を休んでホームページの修理をしなきゃ)などと頭をよぎりつつも、時を忘れるほどのことがあるのは、かなり幸運です。

 気晴らし 10月6日(木)
疲れた〜!
このサイトを作ってるソフト、ホームページビルダーが開かなくなり、更新ができなくなって2週間、やっとなんとか公開できるようにはなりました。
朝からホームページビルダーとアサヒネットのサポーターに電話をかけ、結局は再インストールして、それでもダメでとりあえず手をつくして書き込みだけはできるように回復させました。ホームページビルダー、アサヒネット、いずれのサポーターも、昔とは比べものにならないくらい親切でとことん付き合ってくれて、安易に責任回避もしない。昔のサポーターは主にオジさんで、基本エラそうで、それは実は知識の浅さが理由だったのだと憶測です。とりあえず、そういうことなんで…。

 マナー 9月23日(金)
朝の通勤電車に、違和感のあるだらしなさで、若いカップルが乗ってくる。男は草食系、女は眠ったままのように見え、男に完全に寄りかかっている。かろうじて空いていたふたつ並びの席に座る。朝からベタベタと、不潔な感じ。そのうち男がレジ袋を出し、しきりに女に持たせようとする。そう、ゲロを吐きそうなのだ。見ると女の白いジーンズのすそには、それらしきシミが見てとれる。女の隣に座っている初老サラリーマンも気づき、怪訝そうな表情になるが、席を移ろうとはしない。かかるかもしれないのに、英断だ。男の隣の中年サラリーマンは、気づきもせずに漫画を読みふけっている。ぼくは彼らよりも先に降りたけど、いっしょだった20分間は何事もなかった。そして、周囲の乗客のほとんどが、彼らに気づかなかった。他人とくっつかなければならない電車内では、人を無機質な物として考え、機械的に接しなければ疲れ果てる。無関心モードになり、深く関わらないのがマナー。だけど…。

 気晴らし 9月22日(木)
今年は雨つづきで、日照時間が少なく、作物に被害も出そうだという。台風の被害もいつもよりひどい。ぼくの生活半径では、梅雨どきよりも洗濯ができずにいるという程度におさまっている。晴れ間などと高望みはせず、曇りの日にあわてて洗濯機を回す。この程度の天気の気まぐれなら、それに翻弄されながら生きるのは、本来のストレスがいっとき忘れられ、少し気晴らしになる。けなげに生きてます。

 新オリンピック 9月21日(水)
地下鉄の電光表示板がきれいになっている。漢字、アルファベット、ハングルで表示される。駅構内のアナウンスにも英語が導入された。オリンピックへ向かう空気が漂っている。前回のオリンピックの時には、もっとすごいうねりだったのだろう。石原慎太郎氏は、八方塞な時代だからこそ、あの高揚感を再体験するために、オリンピック招致をしたいと言っていた。でも、かつての馬力で盛り上げるオリンピックへの郷愁は、今回のオリンピックでは邪魔になるのではないだろうか。大規模なレガシー施設よりも、エコでスマート、ささやかでハートフルなのが今の東京っぽいと思う。石原氏とか森氏とか、高度成長期への未練はこの際、きっぱり捨てていただきたい。

 蟻の巣 9月20日(火)
ベランダのフェンスを支えるコンクリートに、蟻が巣をつくっているよう。小さな蟻がしきりに出入りし、エサを運び込んでいる。コンクリートは砂の固まりみたいなもので、意外ともろく、水も通すと聞く。巣がある部分のコンクリートは、フェンスを支えているだけで、建物の躯体には関係ないけど、退治した方がよいのだろうな。蟻の巣で中がすかすかになったら怖い。わざわざこんな場所に作るのは、天敵とか、理由があるのだろうけど、最初の1匹は、4階までよく登ってきたものだ。そのがんばりに拍手をおくりつつ、アリの巣コロリを…。