解説

(1)はじめに

<錬金術入門>は、1986年に初版を発表して以来、仮説実験授業研究会の中で授業実践と検討が続けられてきたものです。

 塩酸に過酸化水素をまぜた溶液を使うと、ほとんどの金属をとかすことができます。金属を酸に溶かす実験を通して、金属を含む化合物の世界(イオン化合物)への足がかりを作りたいと考えていて出来たのがこの授業書です。

 小・中・高校で授業にかけられ、どのクラスでも化学実験の楽しさを味わってもらえること、実験も大きな失敗もなく実施できることが確かめられています。1990年と1998年に一部を改定をしましたが、問題内容と配列は始めのものとほとんど同じです。

 授業書のねらいは

 @ 金属をとかす酸という物質があり、金属が酸に溶けると透明な水溶液になる。

 A 金属をとかすと、その金属に含まれていた金属の種類を調べるられる。

ということを知らせることです。

 金属を酸にとかす反応については、金属がとけると「もとの金属とは別のもの」になることを教えるプランが多いのですが、この授業書では金属が酸にとけることと、とかすと分析できるという内容にとどめています。それは、金属と酸の反応で塩〔えん、イオン化合物)ができるわけですが、塩についてはその組成を化学式をもとに考えられるようになった段階で取り上げるほうが効果的であると考えるからです。

 イオン化合物の化学式を使えるようにするには、酸の分子と酸の分子から水素イオンが移動してできる酸のイオンについての教育が必要だと考えています。イオン化合物は、固体状態では2種類のイオン(+と−)が集まって結晶になっています。分子のイメージを育てるには分子模型が大変有効ですが、イオンとイオン化合物についてのイメージを育てるには結晶模型が役立つと考えています。

 酸の分子とイオンの授業プラン、イオン化合物の結晶模型の写真等を下記のホームページに載せています。

 http://wchem.iwa.hokkyodai.ac.jp/~sakaki/baraken.html

(2)石塚 進(八王子市中山中学校)さんの授業記録から

 中学校3年生「選択理科」の男子37人女子3人のクラスで実施した授業のメモと感想より

 ─危険な薬品、怪しい実験の数々が毎時関楽しかった。「錬金術」には、元々ファンタ ジーっぽい要素が含まれているので、非常に楽しかった。(竹内君)─

 少しの薬品で日常のほとんどの金属が見分けられ、生徒たちも実験操作を十分に楽しむことができる。これなら生徒も大いに喜ぶだろうと思えた。

 ボクの予想通り、中山中の3年生には大変好評だった。表紙の竹内君の感想にあるように、「あれこれ、怪しい薬品をまぜて<錬金術>の歴史にみられた『金』を作りだそうというファンタジー」の楽しさを十分に味わい、しかも、金属溶解液で次々と金属を溶かし、その色で物質を簡単に判定することができる“便利さ”に感心していたように思う。

 簡単な薬品で化学変化を楽しみ、そして、金属を判定してしまう見事さを、他のひとにもぜひ味わってもらいたいなと思った。(1996年7月仮説実験授業山形大会発表資料)

(3)化学教育における金属教材について

1)金属の化学的共通性

 金属とよばれる一群の物質は、いくつかの共通する性質を持っていますが、金属が酸にとけるという反応は、金属の化学的共通性として最も大切なものの1つです。この授業書では、いろいろな金属を酸にとかして、それぞれの金属に固有な色の透明な溶液になることを示します。

 金属が酸にとけた状態を原子のレベルで見ると、金属の原子は数個の電子を失って+の電荷をもっており、個々の原子は酸の水溶液の中にバラバラになって拡がっています。原子が数個の電子を失ったものを、+のイオンといいますが、金属の原子が+のイオンになる変化に、とりあえずは、金属が酸にとけるという現象面で近づこうというものです。

 金属の原子に化学変化が起きると、金属の種類に関係なく全ての原子が+のイオンになります。電荷は、+と−の2種類しかないので、イオンも+と−の2種類しかありません。イオン化合物の水溶液では、「同じ電荷をもつイオンの間で反応が起きたり、影響を及ぼし合うことはない」という大切な法則があります。溶液の中に数種類の金属イオンが入っていても、金属イオン同士はお互いに影響することなくバラバラですから、例えば、鉄イオンと特別に反応する薬品があれば、溶液中に鉄イオンが含まれているかどうかを簡単に調べることができるわけです。

 この授業書では、鉄と銅について分析ができることを示していますが、反応のくわしいしくみはわからなくても、「金属もとかせば分析できるのだな」と考えられるようになればよいと考えています。

 物質とその変化について学ぶはじめのうちは、原子の種類や化合の仕方、そして原子の構造等については知らないわけです。錬金術師といわれた人達も原子のことはわからない中で、物質をいろいろと変化させて物質についての知識を獲得してきました。この授業書は、そのような段階での物質学習をねらいとしているので、<錬金術入門>という題にしました。これは、板倉聖宣氏のアドバイスによるものです。

2)砂糖や塩の溶解と金属の「溶解」

 この授業書を作成する過程で、金属が酸にとける現象を溶解の1領域として砂糖や塩を水やアルコールにとかす問題と合わせて取り上げた授業プランが提案されました。

 砂糖や塩が水に溶けるのと、金属が酸の水溶液にとけるのは、「とける」という言葉は同じですが、同じ現象ではありません。砂糖が水に溶ける場合は、砂糖の分子間の結合が水の分子によって切られて、砂糖分子がバラバラにわけられます。食塩では、ナトリウムイオン(Na+)と塩素イオン(Clー)が、水の分子によってバラバラにされます。しかし、砂糖の分子や食塩のイオンそのものは変化を受けません。従って水を取り除けばもとの状態にもどります。溶解というのはこのような変化をいいます。

 ところが、金属が酸にとける場合は、まずはじめに金属の原子が酸の作用でイオンになるという化学変化が起ります。次に、イオンがバラバラになって水の分子と混じりあいます。化学変化と溶解の2つの現象が起こるわけです。金属を酸にとかした溶液から水を取り除いても、もとの金属の状態にはもどらず、金属と酸の反応でできる化合物が残ります。金属と酸の反応で塩(イオン化合物)ができる反応は化学反応の基本の1つですが、イオンや酸の分子の電離について理解できるような段階で取り上げるのがよいと思います。この授業書では、それ以前の段階での物質学習を取り上げています。

3)金属をとかした溶液の色

 金属を金属溶解液にとかすと、透明な溶液になることとその色を手がかりに、溶液状態の金属についてのイメージをもってほしいと考えました。第2章は「銅やニッケルなどを金属溶解液にとかすと、どんな色になると思いますか」という問題ではじまります。「金属をとかすとどんな色になるか」ということは、何か根拠をもって予想をたてられる問題ではありませんが、色に注目して実験結果を見る問題にしてあります。

 銅とその合金(黄銅、白銅、洋銀等)は、金属としての色は見事に違うのに、酸にとかすとほとんど同じ色の溶液になります。銅が含まれている金属をとかせば同じ色になるのは、溶液中で金属の原子はバラバラになっており、他のイオンの影響を受けないからです。イオンはバラバラというイメージができると、溶液をまぜたときの色やそのほかの性質を正しく予測できるようになります。第3章の「黄血塩」との反応で、このようなイメージの有効性を体験できます。第3章の前半は、銅と銅を含む合金をとかした溶液と「黄血塩」の反応、後半は、金属の鉄といろいろなものに含まれている鉄です。

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