補足・感想 後編
休憩の間に、スタッフの人たちが舞台を片付け中。 日生劇場では劇場内のディスプレイで、残り時間のカウントダウンがされてました。 「ユーリンタウンって何なのよ」 まずは客いじりから。休憩中にトイレに行ってるとどんな気分んだろう、と思いながら一度もトイレに行かずに終わってしまった。 歌が始まると、ロックストックがマイケルジャクソンみたいな踊りをしていたり、指揮者になってみたり、またその動きが後姿でもキレイなんだから、目が離せません。まさしく、ここでの彼は舞台上で遊んでいる、という感じ。おかげで、この歌は本当に何も歌詞を把握してませんでした(^^;。 私の一番お気に入りのリトルサリーの手をつかみ上げるシーン、初日の映像として早くからテレビで流れていたんだけど、大阪公演前に「いつ笑み」で台詞付きで放送してくれたので、すごいラッキーでした。「いつ笑み」は別所さんがゲストで、とりあえず録画してたんだけど、かなりの拾い物だったかもしれない。というわけで、あの部分は多分東京初日(だと思う)の台詞、そのままです。 顔を伏せているところから、リトルサリーの手をつかみ上げて、そして台詞。もう何度見たって、心の中で拍手。無意識のうちに胸の前で両手を握り締めていたことがあるぐらい(我に返って、慌てて手を外しましたが)。すぐにリトルサリーに主導権取られちゃうところも含めて、大好きです。 で、警部。思わず、アメリカの警察組織についてネットで調べてしまったんですが、やっぱりリトルサリーが警部って言う理由が判らない。水商売のお姉さんが年配の男性を「社長」って呼ぶ感じだとすると、ロックストックが巡査にしては年だってことか? ブロードウェイ版のロックストックならそれで納得できるんだけど。ちなみに、警部なら「キャプテン」になるようです。キャプテン・ロックストック。何か違うものになりそう(^^; ロックストックのソロ、CDを聞くと、何故あそこで森進一になるのかがよく判ります。あれが元だったら、日本の芸人としては真似しておかないと駄目でしょう。 「娘をばらせ」 秘密のアジト。殺されることを「ジュースがこぼれる」と例えるのが面白い。直接的な言葉を使わないのが、逆に想像してしまうんですよね。革命する側が暴走していく。ホットブレード・ハリーもリトル・ベッキーもテンションが高いだけで、悪い人だったわけでもないのに、簡単に人を殺すと言う。弱い立場だったはずの人が追い詰められて変わっていく。歌もダンスもダークな感じで迫力あって格好良いんだけど、その力強さが怖い。 「ラン・フリーダム・ラン」 最初に見たとき、耳に一番残ったのはやっぱりこの歌でした。すごいだけじゃなくて、歌っているのが楽しそうで。2度目からはきっかけ待たずに、1人でこっそり手拍子始めてました。「娘をばらせ」で怖かった人たちが、ボビーが一緒にいるだけで明るく楽しい仲間たちになる。。 ホープが口の縄を解いてもらって真っ先に「ハロー、ボビー」というのが、かなりツボでした。ホープの言い方がまた可愛くって。 見ているときはただ楽しいだけなのに、ボビーが死んでしまった後の展開を思うと、切なくもなるシーンです。 場面はUGC社長室へ。結局、ミセス・ミレニアムは何者だったんだろう? 金持ち代表? 最初に見たとき、まさかストロング親父と同じ人とは思いませんでした。どっちもキャラが濃すぎです(^^;。 「なぜ、あの男の言うことを聞いたのか?」 話し合いは決裂し、ボビーはユーリンタウンに送られる。28日の夜、左側の通路際に座っていたとき、ボビーの後ろからロックストックが向かってくるのを呆けるように見つめていたら、至近距離まで南原さんが来た瞬間に我に返ってしまって、合ってしまった(と私には感じられた)視線をどうしたら良いか戸惑い、思わず会釈してしまいました。知り合いでもないのに(^^; 台詞のない間のロックストックが、悪役っぽくすごく格好いいだけに、歌舞伎風のきめポーズにはちょっと肩透かし。新聞に載ってる写真も悪役っぽいっていうよりは、普通に嫌な奴って感じになってるんですよね。檻の端で、片手だけで身体を支えながら歌ってるとこなんか、本当に格好良かったのに。 「シャベルとモップの用意だ、バレルくん。あとはよろしく」のロックストックも好き。なんでもない、普通の言い方だから逆に悪い奴って感じで。例えロックストックの命令でも、遺体の後始末は嫌です・・・。バレルって偉いなぁ。 「愛していたと伝えてくれ」 もう1人のナレーター、リトルサリーの見せ場。感動的でシリアスになってしまうそうなシーンを、絶妙の間で笑いに持っていく。 だけど、その笑いの裏で。ボビーは最後に何を伝えようとしたんだろう。みな罪人。やるべきこと。ユーリンタウンの真実が見えたとき、彼にだけ何かが見えていたんじゃないか。それがなんだったのかが、気になります。 そして、畳み掛けるように急展開。見ていて、単純に気持ちよかったんですよね。怖いことに。ホープが自分の正しさを認めさせ、加害者の娘だったはずが、革命のリーダーへ変貌する。その瞬間、立場は入れ替わり、弱者が強者になる。 「我らは悪くない」 開演前、プログラムを見ていて、バレルからロックストックへ片思いという矢印が延びているのが気になっていました。わざわざ書いてあるんだから、何かあるだろう、と(実際、特に何もないのに書いてあった設定もありましたが)。だけど、まさかあんなに直接的な告白シーンがあるとは。ロックストックは軽くながしちゃうし、直後にバレルは殺されちゃうけど。 この辺りの展開を思い返すと、作家ではない「ロックストック」っていうのもそれはそれで面白かっただろうな、と思う。町を愛していると言いながら、権力者を嫌いながらも従って、逆らう者は部下に始末させて、最後に暴走した民衆に殺される。「お前らは何も判ってない」とか言いながら最後を迎えてくれたら・・・。他の良いところがなくなっちゃいますけどね、これだと。 ばたばたと人が死んでいって、初めて民衆が暴走していることに気づく。「誰も悪いと思ってやっていない」というロックストックの台詞が重い。誰も悪くない。けれど、誰も正しくない。ならば、本当に選ぶべき道はどれだったのか。そんなシリアスな状況なのに、踊りが可愛い。 そして、革命軍はUGC社長室へ乗り込む。娘をあっさりと見捨てたクラッドウェルの主張することもまた一理あって。すっきりしない気持ちを抱いているうちに、革命は成功。 「川が見える」 物語は一応のハッピーエンドへ。ホープのソロから、明るく、前向きな歌が始まる。あれこれ思っていたことを忘れて、「自由」を手に入れた町の人に感情移入してしまっているから、きっちりと最後にどんでん返しにハマる。 歌の流れる中、ロックストックは淡々と町の将来を語る。幸せそうにしている町の人たちがすぐ後ろに見えているから、その落差が切ない。 リトルサリーは「こんな結末、みんな納得しない」って言うけど、きちんとホープたちの暴走が描かれているから、驚きつつも私は納得しました。確かに、彼女の選んだ方法は正しくなかった。 「エンディング」 いつの間にか、町の人は檻の中に戻り、権力者たちも看守に戻って舞台に登場している。 全てが最初の状況に戻り、「ユーリンタウン」が終わる・・・その直前。 銃のように、警棒が客席に向けられた瞬間、舞台上で遊んでいると思っていたロックストックが、自分たちを騙していた「作家」であること、そして自分たちも同じ「現実」に生きていることに気づかされる。間違っているのは、私たちの現実も同じ。 最後の嘲笑が、短くさりげないのが、逆に胸に突き刺さります。 総括(見終わって2ヶ月後の今、思うこと) 特に私が気に入ったのは、人々に恐れられている「ユーリンタウン」が「UGCの屋上から落とされた、自分たちの住んでいる町」だったというオチ。ロックストックによって、ユーリンタウンへ行く=「死」というのは早いうちに明かされていましたが、ボビーが「鳩がいる」と言った瞬間、「そこ」が「UGCの屋上」なんだ、と気づいたとき、私の中では推理小説で犯人が指摘されたのと同じ高揚感がありました。UGCが街のどこよりも高いビルだということ。ロックストックたちの「雲の中に頭を突っ込むな」という台詞。ユーリンタウンへの長い道のり。そこにたどり着くと誰もが叫ぶ。そりゃそうです。誰も「ユーリンタウン」がいつも見ているビルの屋上だとは思っていない。そして、そこに行けば、その後に続くものが死だと判ってしまうんだから。全ての伏線が、きちんと一つの答えを示していた。全くそういうことを期待していなかったので、気持ち良かった。 この素晴らしい舞台を演出してくれた宮本亜門さんに感謝。亜門さんにユーリンタウンの演出を依頼してくれたホリプロの関係者に感謝。一緒に舞台を盛り上げてくれた共演者、スタッフの方々に感謝。そして、このすばらしいミュージカルを生み出してくれた、マーク・ホルマンさんとグレッグ・コティスさんに感謝。いろんなところで、私の気づかなかったユーリンタウンというミュージカルの魅力を教えてくださった方々に感謝。 ・・・だけど。 |