5月28日放送「これでいいのダ!日本列島あかるいニュース」一部

話してることと同じ内容のテロップは省略してますが、ここを強調したいんだろうな、というところは残しました。
今回、特に関西弁の語尾に自信がありません。私にはそう聞こえたんですが、違うかもしれないです。
本の朗読が山中秀樹アナ、ナレーションが阿部知代アナです。

スタジオ。
鶴瓶「えー続いては南原キャップのレポートでございますね」

南原「はい、また新米ディレクターの藪木(やぶき)という奴とロケに行くことになりまして、今回はちょっと緊張して行きました。」
鶴瓶「それではみさせていただきましょう」
南原「どうぞ」

大阪は西成。
密入国した韓国人の父と
在日韓国人の母の間に生まれ、
成人するまでに「四人の父」と
「四人の母」のもとを漂流した。

   「新宿歌舞伎町駆けこみ寺」より

テロップ「新宿東口」
駅から少し離れたところで立っている藪木さん。駅の方からこちらへ向かってくる南原さん。周りに結構、人が歩いている。


南原「お前、こんなとこで待ち合わせすんなよ」
藪木「すみません、今日もあの、またちょっと行って欲しいんですけど」
南原「えー、どこぉ?」

結局、私は家を出て、
公園で寝た。
ダンボールの家から
私は小学校に通った。

   「新宿歌舞伎町駆けこみ寺」より

藪木「今日は近いですよ」
南原「良かった」
藪木「信号、青なんで渡っちゃいましょうか。あそこなんですよ。あの中にあります」
その方向に見えるのは、「歌舞伎町一番街」という看板。
南原「あそこって、お前。あれ歌舞伎町じゃねぇかよ」
藪木「はい」

子供同士のケンカとはいえ、
いつも相手を殺す気で向かっていった。
後ろからレンガで衝撃を与え、
不意打ちを食らわせる。

   「新宿歌舞伎町駆けこみ寺」より

南原「ドンキホーテ寄って帰るわ」
藪木「ちょっとちょっと。あの・・・でも、もう待ってるんですよね。」
南原「えーっ」

黒い画面に白い文字のテロップ「会ってもらいたい人がいるんです。」

南原「誰と会うの?」
藪木「今日はですね、読んできました」
南原「こんなとこで(周りを見る)読むなよ、お前」(と言いながら、藪木さんの手元の本を覗き込む)

ナレ「藪木が持ってきたのは『新宿歌舞伎町駆けこみ寺』という本」

南原「この人?」
藪木「この人です」

ヤクザとの抗争が絶える事はなかった。
殺されかけたこともあった。
翌日、私がダンプで突っ込んだ。

   「新宿歌舞伎町駆けこみ寺」より

藪木「ここの4階です」
南原「ここら辺、歩くの初めてだなぁ」
藪木「あ、そうですか?」
南原「うん」
藪木「普段、ちょっと物騒なところではあるんですけどね」
カメラが上を向く。ビルの屋上に「新宿救護センター」(駆け込み寺)、24時間OPEN、4F、電話番号などが書かれている看板が出ている。
藪木「行きますか」
南原「行こうか」
階段を上がる二人。

ナレ「玄秀盛(げん ひでもり)さん、47歳。親からの愛情を全く知らぬまま育ち、生きるために暴力を覚え、ヤクザとの抗争を繰り広げながら、悪徳ビジネスで巨万の富を手に入れた男。逮捕歴、数回」

酒気帯び者入室を禁ず、というシールの貼ったドアの前。
南原「怖いな、ちょっと」
ノックをしてから、扉を開ける。
南原「失礼しまーす」
辺りを見回して、近くにいた女性に声をかける。
南原「すみません、玄さん、いらっしゃいますでしょうか」(少し小声で)
女性「代表!」
奥から「どうぞ」という声。
女性「こちらへどうぞ」(部屋の奥へ案内される)
カメラに映るのは南原さんの後ろ姿だけだが、玄さんの姿を確認したらしい。お辞儀をして
南原「あ、どうも失礼します」

CM

ノックのところから繰り返し。

南原「あ、どうも失礼します。南原です。よろしくお願いします」
事務所の一室。テーブルの向こうに玄さんがいる。
南原「どうも初めまして、南原です」

テロップ「幸せですか? 玄秀盛 47年のまわり道」

太陽が照らしている、明るい屋上。パイプ椅子に座る二人。
南原「いや、ここはね、あの玄さんの事務所があるところの屋上に来ているんですけれども。僕、初めて、歌舞伎町でこのビルの屋上に来たんですけれども、気持ち良いですね」
玄「気持ち良い」
南原「(笑い)ねぇ」
玄「意外と穴場」
南原「正直ね、怖い人かなと思ってたんですけど、全然そんなことないですね」
玄「人がそうやってな、偶像化で作ってくねん。やっぱりな、歌舞伎町でこういうとこでボランティアやってる、と。な?」
南原「えぇ」
玄「こうゆうとこでやるんやから、普通じゃないやろ思って。俺が来たら当然、関西弁喋るやん。そんで、関西弁しゃべったら、な。吉本かヤクザしかないんやから」
南原「(笑い)」

ナレ「玄さんは2年前、全てのビジネスを止め、新宿歌舞伎町に「新宿救護センター」を設立。ドメスティックバイオレンス(家庭内暴力)、借金、虐待などにあえぐ、社会的弱者を救済する活動をしています。運営資金は持ち出し。報酬を得ないボランティアとして、6000件以上の相談を受け、昨年12月、ついに自己破産しました」

黒い画面に白い文字のテロップ「自己破産」

南原「いろんな相談をね、受けてきたと思うんですけど。なんか、あー、この相談はきつかったな、とか。あぁ(顔をしかめて)っていうのはありますか?」
玄「ない」
南原「ないですか?」
玄「たとえば、DVなんかでも」
テロップ「DV(家庭内暴力)」
玄「旦那から逃げる。でも追いかけてくる、と。たとえば猟銃持ってくる、でも。俺のとこに来いっていうねん。で、逃げる時には俺の名詞を置いて逃げてこい、と。簡単やろ」
南原「ええー(苦笑い)。簡単じゃないです。簡単じゃないです」(否定するように顔の前で手を振る)

南原「怖いものとかないんですか?」

玄「ないな」
南原「えっ」
玄「怖いのは、東京電力が怖いな。銭、払わんかったら、止まったとき」
南原「(笑い)」
玄「それは怖かったよ。全部止まるやん。俺が風呂入ってるとき、ぴしっと止まるやからな。あれは怖かったわ。生き物に怖いもの、あらへん」
南原「怖いもの、ないんですか」

黒い画面に白い文字のテロップ「強い人」

ナレ「その強さは、命がけで何度も修羅場を潜り抜け、金儲けをしてきた経験からでしょうか?」

玄「要するに、飢餓感があったわけや。自分の中で。渇いてるから、毎日が」
南原「渇いてたんですか」
玄「渇いててん。いくら金もうけても満足感がないわけや」
南原「えぇー」
玄「うん」
南原「どんどん、どんどんゲンナマが来ても渇いてるんですか」
玄「渇いてる、渇いてる」
南原「えぇー」
玄「いろんな女もくるよ。でも寝ても、ようさん金使っても、やっぱりどっかにぽっかりいつも穴が開いたら、次の動作おこるやんか」
南原「うーん」
玄「ようするに、執着心がなかったんやろな。金にも、何にも、女にも」
南原「あー。実は」
玄「そうそう」

テロップ「渇いていた」

妻と子どもとも縁を切った。
家を出てしばらくして、
会社宛てに子どもからハガキが届いた。
「パパ、よいこにするから、かえってきてね。」
私は、それを破り捨てた。

   「新宿歌舞伎町駆けこみ寺」より 

ナレ「親からの仕打ちをそのまま返すように子どもを捨て、金儲けに明け暮れる日々。しかしある日、HTLV−1という白血病ウイルスの保有者であることが判明したのです。いつ発病するか判らない、不治の病」

テロップ「HTLV−1(白血病ウイルス)」

南原「体が、いつ死ぬかもわからないっていう状態じゃないですか。僕、それがあってね、ここの、開設したのかなという風に思って」
玄「それがな、トリッガー(?)っていうて、引き金や。たとえでいうたらな」
南原「はい、はい、はい」
玄「引き金やったいうことや」

「明日死ぬんやったら、
やり残したことなんやろ?」

   「新宿歌舞伎町駆けこみ寺」より 

玄「で、最後。内面からきた問題やな。自分の中で」

死を意識しながらも、
家族に思いをはせることがない。

   「新宿歌舞伎町駆けこみ寺」より

玄「死生観を持ったときから、爆弾抱えるやんか。時限式みたいなもんや。そこで、よし、と思うて」

紀伊國屋書店に立ち寄った。
なにげなく立ち止まった本棚から、
「NPO」「ボランティア」という
キーワードが目に飛び込んできた。

   「新宿歌舞伎町駆けこみ寺」より 

玄「どう切り替えるかや。な? なったっていうときに自分の身を可愛がる、周りを可愛がる、いう生き方もあるやろ。でも俺の場合は全く違う生き方や。それが要するに、この世に残せることやから。俺がな」

二十五歳から四十五歳まで約二十年。
心血を注いできた「金もうけ」に、
自ら幕を引いた。

   「新宿歌舞伎町駆けこみ寺」より

ナレ「そして、ここ新宿歌舞伎町にたった一人で社会的弱者の駆け込み寺を開いたのです。金、地位、家族、全てをなげうった365日、24時間勤務が始まりました」

玄「この1年11ヶ月やな。ほぼ。最初、去年の8月末まで俺、24時間やっててん。460日、ここで寝泊りしとった。460日寝泊りして、平均睡眠2、3時間で。ぶっちぎりでここにおったわけや。ホント閉じこもりのひきこもりでな」
南原「ずーっとそこだけで」
玄「ここでカップ麺の生活を続けながらな、生活しながら。そうやったら、肉体を超えるわな、はっきりいうて」

(「新宿歌舞伎町駆けこみ寺」の表紙が映る)
ナレ「そんな日々の格闘の中から書かれたのがこの本でした。醜い過去をさらけ出しての決意表明。そして、本の最後にはこう書かれています」

今、変に家族のこと考えたら、
私は折れてしまうだろう。
子どものことを考えたら、
明日にでも新幹線に乗ってしまいそうだ。
だから、絶対、
家族のことは思い返さない。

   「新宿歌舞伎町駆けこみ寺」より

ナレ「しかし」

玄「そんなやって、続けへんねん。睡眠不足にしろ、飯食われへんにしろ、もうがたがたになってくる。自分で判るねん」

ナレ「無収入。相談件数6000件、すべて持ち出しのボランティア活動は2003年12月、経済的に破綻します」

南原「12月ですか」
玄「12月やな。で、25日に、クリスマスプレゼントじゃないけど、25日に要するに自己破産出したやんか」
南原「はい、はい、はい」
玄「それでもうホントに俺、身ぐるみ裸なったんや」

黒画面に白い文字のテロップ「自己破産」

ナレ「全てを失って見えてきたものがありました」

玄「でもやってみて、あ、ホンマに俺には何もなくなった。何もなくなったいうたらおこがましいけど、ホントに自分が捨てきれたいうの、要するに握っているものを放した時点で、手の大きさがわかるんじゃないけどな。そこで自分の変化がずーっとこの1、2ヶ月に起こる」
南原「・・・じゃあ、今でも玄さんはどんどん、こう変わっていってる。今、自分の中でも」
玄「変わってる。今、この間、たまたまこういう、時期がええんかもしらんけど、気づいたんや。なんで渇いてたか」
南原「はい。なんで渇いてたんですか」
玄「いや、春休みにチビが来たんや、3人」
南原「お子さんですか?」
玄「子ども、子ども。でも、俺そんな子どもとはそんなに一緒に暮らした記憶もないし、あの、寝食を共にしたことないねんな。結婚しておいて、ほったらかし人生やったから」
南原「あらあら」
玄「5日間、珍道中やわ」
南原「5日間、寝食ともにして。掃除もして、洗濯もしてあげたりとかして」
玄「娘の洗濯するとき、緊張したもんな。ブラジャー干さなあかんやん」
南原「えぇっ、それやったんですか」
玄「全部やった。女の洗濯なんて生まれて初めて。したことないのに、洗濯籠からばーっとだしたら、え、って。(ブラジャーを指先だけでつまむ仕草)緊張してもうてや、タオルで包むようにして、こうハンガーに」
南原「よく知ってるじゃないですか、お父さん」
玄「あのときはもう、俺が冷や汗かいたからな。あんな緊張した洗濯ないよ」
南原「その5日間はどう、夢のような5日間ですか」
玄「夢のような。疲れたよ、百倍疲れたけどな」
南原「疲れた」
玄「うん。でも、心地良い疲れやな。あれでな、子どもの寝姿見たときに、俺、思ったんや。親はなくても子は育つ言いながら、こんだけ素直に育ってる」
南原「うん」
玄「たとえ過去どうであれ。みんなわかってるやん。俺がみんなカミングアウトしてるんやから。な? 要するに父親として落第生が、評価点頂いて、いわゆるなんかこう、親ばかになれた、いうの。俺、本当に純粋に親ばかになりたかったんや」
南原「ついこの間じゃないですか」
玄「そうそう。潤ってかなわん。コップからこぼれるぐらいやな」
南原「へぇ」
玄「メールでな、こう一生懸命メールやって。今、メール(?)。子ども3人にメール」(携帯のボタンを押すような仕草)
南原「子どもからね、認められたって、親はどんな気持ちがするんですか?」
玄「死んでもええよな。ぬくもりって言うかな、やっとこう人肌が判ったいう」
南原「ふーん、へぇ」(文字にしづらい。納得した、という感じの相槌です)

黒い画面に白い文字のテロップ「自己破産」

ナレ「全てを失って振り返ってみれば、一度も省みることの無かった子どもたちが、ずっと玄さんを見てくれていたのです」

南原「えー、玄さん。玄さんは今、幸せですか?」
玄「めいっぱい幸せやな」
南原「良い服きて、車乗って、外車乗って、ブイブイ言わせてっていうような、頭で考える幸せは幸せじゃなかった」
玄「なかったよな。あくまでも、そこに心はなかったんやから。俺、幸せって与えることやと思う。与えることが幸せに、自分とこに戻ってきたんや」
南原さんの顔をうつす。口を開いているが、何もいえない。
玄「俺が一番、救われたんちゃうか。はっきりいうけど、ホンマに」
南原「へぇ」

ビルの入り口前。見送りに出てくれている玄さん。
南原「玄さん、今日は本当にお世話になりました」
玄「どうもありがとう。またよろしくお願いします」
南原「今後ともよろしくお願いします」(2人して同時に話してるんでよく聞き取れないんですが、こんな感じ)
玄さんの右手に、南原さんが両手で握手をしながら、同時に頭を下げる2人。

既に陽が傾きかけた街の中を、歩いて帰る南原さん。
藪木「どうでした?」
南原「いや、良かったよ。すっきりした。なんかね、サウナ入ったみたい」
藪木「(笑い)」
南原「すっきりした。ここら辺(頭のてっぺんを上につまみあげるような仕草)がすっきりした」

ナレ「長い、長い回り道。全てを捨ててたどり着いたところには、玄さんが47年間、求め続けていたものがありました」

戻る