『大吸血時代』 デイヴィッド・ソズノウスキ:著 金原瑞人/大谷真弓:訳(求竜堂)

大吸血時代

退屈しのぎで始めたはずのことなのに、いつの間にか、それに自分の生活を支配されている。何かの虜になるときというのはそんなものだ。この作品を読む限り、吸血鬼にも同じことが起こるようだ。
物語の舞台は、近未来と思われる。世界の主は吸血鬼。人間社会とほぼ変わらない社会を営みながら、日の光を避け、人工血液を飲んで暮らしている。残り少ない人間たちは富裕層のお楽しみ用としてひっそり飼育されている。
不死身の吸血鬼がつらいと感じること、それは「退屈」。退屈が昂じて自殺に走る者も多い。主人公マーティもそうだった。彼は生からの逃避行の途上で、小さな人間の女の子と衝撃的な出会いをする。人間牧場から逃げてきたイスズ。母を亡くした彼女を、マーティは家に連れ帰る。いずれその血を飲むという思惑に胸膨らませ、死ぬほどの退屈も忘れて。ところが人間の女の子は思った以上に手のかかる生き物だった。物を食べる。トイレにいく。生意気を言う。何より他の吸血鬼の目から隠しておくのが一苦労だ。優雅だったマーティの独身生活はかき乱され、イスズ中心のものに変わる。だが彼には不思議な幸福感があった。手のかかるチビ、でも、笑顔が可愛い……。
クールで皮肉な物言いが身上のマーティだが、牙の生えた今もなお、昔死んだ父を慕い、母を懐かしむ。彼の根本には、失われた自分の家族を愛する気持ちがある。彼がイスズへの庇護欲に目覚めるや、加速度的に良き育ての父に変貌していく姿は微笑ましい。イスズを育てながら、自らもどんどんエネルギッシュになっていく。
吸血鬼の日々の糧である人工血液が存在しなかったら、救いのない話になっていたかもしれない。なんといってもイスズは、飲んでしまいたいくらい可愛い娘なのだから。
吸血鬼にとって、退屈よりもつらいのが喪失感だという。思春期を迎えたイスズは彼女なりのやり方で吸血鬼の友人や恋人を作り、やがてマーティの手を離れる。その際のマーティの狼狽ぶりは気の毒なほどだ。勿論、世の常の例に洩れず、何かを失った後には必ず何かが得られるのだが。
文中にはアン・ライスの小説や映画『吸血鬼ノスフェラトゥ』などなど、吸血鬼ものの新旧の定番作品も登場して、そつがない。


(ウィークリー出版情報’06年10月3週号掲載)