『シズコさん』 佐野洋子:著  (新潮社)

シズコさん
シズコさん

よく「姥捨て山」になぞらえられる老人ホーム。肉親を入居させた人が自らその例えを口にする場合、それは多分に、身近な者の命を他者の手に委ねてしまった、という後ろめたさの響きを含む。著者もまた、呆けた実母を老人ホームへ預け、後ろめたさを感じていた一人だ。「私は正気の母さんを一度も好きじゃなかった」と綴る著者。
それを負い目に思うがゆえに、著者は身銭を切って母親を高級老人ホームに入れる。たまに訪れる母親との間には、思いのほか平穏な時間が流れるようになる。神様のようになった母親に触れながら、著者は母親と自分の確執に満ちた過去を振り返る。
母親「シズコさん」は七人子どもを生み、三人に死なれ、夫にも先立たれた。終戦後の混乱の中で大家族を切り盛りする有能な主婦だった彼女は、反面、見栄っ張りで情にとぼしく、ありがとうやごめんなさいが言えない。
そんな母親に虐待同然の扱いを受けながら育った著者。屈折を飲み込み、反骨を鍛え、やがて絵にも文章にも才能を発揮する芸術家として花開く。しかし心の中では自分の母親を愛せないという事実が堅くしこっている。
著者、佐野洋子は凶暴なまでに正直な言葉を持つ人である。好きだった父親についても、母親を次々妊娠させたかどで「あれはけだものか。けだものだったのかも知れない。」と容赦ない。その舌鋒は己にも向けられ、母親につれない仕打ちをした後で「ゴメンネ、ゴメンネ」と言いつつも、「あやまったからって誰がゆるすか、私だってゆるさない。」と手厳しい。
同時にその言葉にはリアルな体温もこめられている。著者が母親の皺深くなった小さな手を握り「涙がたれて来た。」とつぶやくとき、単に「涙が流れた。」とあったのでは伝わらない、頬をたらたら濡らす涙の、どこかしつこい生温かさがわかるのである。
本書は雑誌の連載をまとめたもので、一章ごとに読みきりになっている。章の始めでかつての壮絶な母子の逸話が語られ、終わりに呆けた母親との神がかったやりとり。その繰り返しは、寄せては返すさざ波かフラクタルの曲線を見ているようだ。
とかく幻想を抱かれがちな、母子という関係。著者とシズコさんのそれは自我と自我との戦いに他ならないが、それぞれが生きる意志に溢れて眩しい。


(ウィークリー出版情報’08年9月3週号掲載)