『最後のユニコーン』 ピーター・S. ビーグル:著 金原瑞人:訳 (学習研究社)

完全版 最後のユニコーン
完全版 最後のユニコーン

最初にこの作品を読んだのは十代の頃、鏡明訳でハヤカワ文庫から出版されていたときだった。『指輪物語』や『ゲド戦記』の洗礼を受けた後で読んだせいもあるが、かなり地味で、体感温度の低いファンタジー作品という印象を受けた。もっと正直に言えば、少しつまらないなあ、と思ったのだ。
主人公は、とある森にただ一頭住み着いたユニコーン。彼女は自分以外の仲間がすべて「赤い雄牛」に狩りたてられて地上から姿を消したことを知る。彼女が仲間を探索する旅に、魔法を使えない魔術師のシュメンドリック、盗賊団にいた女モリー・グルーも参加。やがて一行は「赤い雄牛」を擁するハガード王の城へと辿り着く……。
ユニコーンその他の幻獣たちの造形は表現こそ詩的だが型通りだし、ハガードや「赤い雄牛」に象徴される悪や権力も非常に抽象的だ。しかし、無能な魔術師シュメンドリックが、ついに存在の内奥から湧き上がる真の「魔術」に満たされる場面は深く心に残っていた。二十代になってから文庫を再読してみたのもそのためだ。すると以前は見えなかった魅力的な箇所が次々見つかった。見世物小屋に捕らわれたハルピュイアの「本物」ゆえの恐ろしさ。それに固執する興業主フォルトゥーナの愚かしさ、切なさ。ただの小うるさい登場人物だったはずのモリーが、自分の作った料理を食べた人間を悪く思えなくなる性質だという点にも目が留まり、急に彼女が母性を帯びた好ましい存在になったりした。そして三十代の今、手に取った本書は全面新訳、しかも完全版。その上、本編の後日譚である短編「ふたつの心臓」が併録されている。この短編では年齢を重ねた後の主要登場人物たちに再会することができ、同窓会のような気分を味わった。また、訳者あとがきに抜粋された作者の言葉から、『最後のユニコーン』が「古典的なヨーロッパのフェアリーテールへの愛をこめたパロディ」であり、著者が敬愛する「作家たちに対するオマージュ」であったこともわかった。
若い日に感じたこの作品の体感温度の低さは、ここに由来していたのかと納得した。読む者の身をも焦がすような刺激的な創作世界でこそないが、透明感を帯びた端正な物語世界は新訳でも変わらない。
まさにユニコーンそのもののような作品である。


(ウィークリー出版情報’09年11月3週号掲載)